待望の時
「まぁよ、落ち着けよ。」
眼の前の畑には、一斉に白い花が咲き乱れている。
コージィにとってそれは予想していた事の一つであり、同時に複雑な心境でもあった。
だが、その光景を前にしても、その価値を知らず、男はまるでそこに目には見えない空間があるかのように往来を繰り返している。
「ったくよ、俺が国で苦労してこいつを産業にしたってのに、お構い無しかよ。」
コージィが持ち込んだ蕎麦の種は、区画分けされた畑に手際よく種まきされ、すくすくと成長をした。
恐らく、このまま行けば難なく実をつけ、収穫となるだろう。そこまで理解ができてしまった。その事に、憤りが全く無いわけではない。
ミレネイルに比べ、この地域は比較的温暖な気候である事は理解できている。十分な生育を得るために、国元では種を蒔く時期には特に検証を繰り返した。
しかし、まるで無造作に見えるやり方で、彼は十分とも言える結果を見せている。それだけでなく生育速度も早かった。
強いて言うならば土壌の質、特に海にやや近いことに依る土壌の状態には懸念を感じていたが、目の前の転移者はそれらの問題は解決済みの様子ですらあった。
その空間に人が駆け込んできたのは、そんな光景が昼過ぎまで繰り返された頃だった。
「産まれました!」
勢いよく発せられた言葉に、栄治は立ち止まり向き直る。
「男の子か!女の子か!アイツの様態は!」
「子豚が五匹、母体も無事です!」
まるで息を合わせたかの様に言葉が重なり、間を置いて、やってきた役人は意味を理解し、申し訳なさそうに顔を伏せる。
同じ様に、役人の発した言葉の意味を理解した栄治もまた、彼が間違いなく吉報を持ってきたのだと、自身の複雑な感情を飲み込む。
「いや、良くやってくれた。日が重なったのはたまたまだ。お前は悪くない。寧ろ、良い事が重なったのかもしれねぇ。」
養豚事業自体は、栄治がこの国で掲げた目標の一つであった。
様々な飼料配合を馬で試しながら、イノシシの捕獲、由佳が持ってきた芋の栽培を経て、いよいよ山や森を知らない三世代目となる、豚の原型が産まれたのは、栄治にとって悲願であるとすら言える。
栄治の言葉だけしか解っていないコージィにすらも、様相から、その一端はなんとなしに理解ができた。
報告にやってきた役人は立ち去る事もできず、その場に足を留め、遠く詩魔法師のオカリナの音が流れてくる場に、三人が無言のまま、立ち尽くしている。
少しの間を置いて、城壁を隔てた向こう側から、歓声とも受け取れる何かが響き伝わってくる。
先程と同じ様に駆け込んできた役人が、今度は疑いようのない喜色を浮かべ、走ってくるのが、コージィにも見えた。
「お産まれになりました!」
遠方から叫ぶような声に栄治が駆け出したのは一瞬だった。
豚の出産を伝えに来た役人もコージィに一礼し、その場を小走りに駆けていく。
「縁起のいいこって。」
一人呟いたコージィは、漸く監視の目が離れたという事を漠然と理解しながら、漂ってくる風に揺れる蕎麦の白い花を眺めていた。
暫くそうしていると、その場にサウザンドが現れて、静かにコージィの背に立つ。
「女の子が産まれたそうだ。」
通訳やメモなしに簡単なやり取りや単語の聞き分けが出来るようになった彼女が、真っ先にそれを伝える。
「お前さんも欲しくなったか、ミリィ。」
「いや全く。第一、面倒だ。国が荒れる。」
無表情なまま返される即答に、コージィはため息を吐き出す。
「存命中は在位。崩御したら王族の末裔に国を返す。胸中を臣民が聞いたら、それはそれで暴動が起こるだろうぜ。」
「ならない。ちゃんと後継者教育はするし、している。」
そういう単純な事ではない、と口を出掛かった言葉を飲み込む。
「帝国側の舗装工事が一区切り着いたという報告があった。正式に第二陣の使節団が編成され向かっているそうだ。」
「やっとか。これで東に行けるな。国境の向こうが直ぐニアの領地だって言うが。」
東に向かい強い風が吹き抜け、一斉に白い花が揺れる。
その光景を見てサウザンドは目を細め、自然と頬を緩める。
「ここの蕎麦は美味しいだろうか。」
「帰り道に食えるように、奴に手配しておくさ。何なら、製粉して東に運ばせてもいい。」
その夜、リゼウ国王城は大宴会が催された。
新生児である王女の姿こそはお披露目とならなかったものの、国主アルド・リゼウの無事と共に、王女の誕生は夜駆けの触れとして、伝令兵とともに伝えられ、各村の備蓄の豆を、減税と共にそれを振る舞う事となった。
体よくばお祝いであるが、もっと食わせるべきという栄治の腹づもりもそこには含まれていた。
南からの夜風の靡く、東の大地のその光景を、宴会の声を背に、サウザンドはただ静かに眺めている。
コージィはその喧騒に招かれ、ミレネイルの代表として離れたため、珍しく場には、サウザンドただ一人が佇んでいる。
その背を、一人、大役の節目を終えた詩魔法師のエルカが、気づき、足を止め、顔を向けて眺めていた。




