未来のための船出
漁網法
近代ではトロール漁に代表される極めて取り締まりの厳しいものから、設置網、延縄、河川などでもおこわなれる投網漁など、様々に存在する。
古くから行われてきた漁法であり、その効率化や、最適化の模索は幾度となく行われてきた。それは大型化、輸送力の増加、或いは蒸気機関などの船の近代化と共に、より多くの魚介類を陸へと運び出した。
魚群探知機なども、この網漁を最適化する目的で発展を続けていき、養殖開発の遅れていた海産資源が、今尚、食生活の一角を築くに至っている。
一隻の船が、ディル領の港を出港したのは、乾季も半ばに入った日の夕方だった。
西の空が朱色に染まる中、松明を手にした船頭へ向けて、その船出を見送る大勢の人々が手を振っている。
間もなく暗くなる、そんな中を、船の上から一人の船員が、その何処かにいるだろう家族に向けて懸命に手を振っている。
「さぁて、私達の未来がかかってるっすよ!」
由佳は青い顔を浮かべながら、それを隠すかのように奮起を口にする。
乗員は二十五名。定員一杯とされる人数だった。
航海は沖合への一泊。翌日の夕方の帰港が予定されている。
由佳が乗り込んだのは、先日完成し、一通りの試験航海を終えたばかりの「ヤートル船」であった。
当初は全長二十五ヤートルを想定して設計図を考えられていたが、三十ヤートルに図面を書き直され、セッタ領で建造されたばかりのもの。その一号船である。
その大小の計二本のマストにはそれぞれ大型の縦帆が二枚、天辺には暗くて見えないが、それなりの大きさの「ハヤテ」の三角旗が吊るされている。
「大丈夫ですよ。私も最初は戸惑いましたが、一応、浸水などありませんでした。」
それが空元気だともう察している船長は、由佳の後ろから声を掛ける。彼自身には、慣れのようなものがあっての事であるが、搭乗する多くの船員や、由佳にとっては、まだそれを感じるには航海時間が短すぎた。
そんなに怖ければ、丘に残ってくれていた方が、自分たちも変な気を使わずに済んだ。船長は由佳の背を見ながら、そう感じていた。
決死とも言える試験航海を終えて帰ってきた時、領主のコヴ・ドゥロは盛大な歓迎を催し、それは彼の揺るぎない自信となった。
だがその数日後、まるで形相を変えた領主が、試験航海の船出の際にも見せなかった強い威圧を持って、彼にこの任を命じた。
それで済めばまだしも、領主を退き尚、中央で王領貴族を取り纏めているとされるブエラ老が馬車で乗り込んできて、激励という名の質問攻めと、領主に勝る威圧をかけてきた。
託された旗は、音に聞こえしハヤテ商会のものであったのだから、その原因が彼女の存在であり、領主親子の溺愛ぶりが噂通りであるというのは、疑うまでもなかった。
そして彼女とともに乗り込んできたのが、十四名にも及ぶ、バルドー国の兵士と、そこへの一名の合流者。
武装をしていないとはいえ、彼の国の武官と何を間違ったか文官まで一名ずつ、それに着いてきている。
船の上での指示権は、船長である彼に一任されているものの、船員の半数以上が勝手の知らない新人船員ばかりであるというのは、まだ慣れていないこの船では、目眩のするような無謀とも言える事であった。
善処すると共に要求した、翌日の帰港。それがすんなりと受け入れられた事や、目的の成否よりも生還が重視されたのは、彼にとっては当然の事だったが、出港の直前には苛烈と聞こえしディル領の領主まで現れた時には、役目の返上を願い出たいと切実に考えていた。
どうやら、「この国賓や、今回の事業」は「全てが国を左右するもの」だと、その時初めて気がついた。それが遅すぎた。
船の出港は船員たちの意外な奮闘と、厳格な指示系統で滞りなく進んでしまった。こうしている間にも沖合に進んでいる船は、もう引き返すとは言い難い所まで進んでしまっている。
船長の心労とは別に、由佳は船の縁で嗚咽を繰り返している。
自分もそうしたいと、心の底から、船長も思っている。
海は幸いにも穏やかで、しかし周囲は暗くなっていく。
「とりあえず、試すしかないっすね。」
甲板からふらふらと船倉に降りてきた由佳が、座って蝋燭の前で微動だにしない文官に声を掛ける。
「少しお休みになっていては?」
「そうさせてもらうっす。海ではあたしは戦力外っすね。」
由佳の弱気な姿に、文官は思わず表情を崩す。
小舟の揺れに比べれば、と耐性のあるバルドー国の面々にとっては、この珍しい一幕に、役目の気負い以上に、腕を組んでの優位感すらあった。
「その分、我らが気張ればよいのだ。船に乗った以上、お前にも仕事をしてもらうからな。」
対座する武官が、歯を見せて笑い、文官はそれに対して苦笑いを浮かべる。
「こうして、同じ船に乗って、まさか漁に出る事になるなんて、わからないものですね、未来の事なんて。」
文官はその苦笑いを浮かべたまま、由佳が出港の際に揚げた号令の一節を掻い摘んで、何処ともしれない、過去の自分に対して一人言を投げかけた。




