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詩の空 朱の空(仮称)  作者: うっさこ
動き出す大国
244/249

扉の向こうから

「耕作地を増やそうにも、土壌改善のための肥料もない、人手も居ない。」


 左手を顎に当て、右手の指で机を叩きながら、難点を口にして幢子は思案を重ねる。

 こんな時、手持ちの状況を整理してくれるジエも側に居ない。

 こんな時、気持ちを落ち着け、安寧を奏でてくれるエルカも側に居ない。


「ディル領はね、専業制に舵を切ったんだ。全てを自分たちで解決しない道を。これはジエさんの発案でもあるし、私の方針でもあるの。ディル領が得意な事をする、灰や木酢液、煉瓦、鉄。それらが欲しければ、我が領が欲しいものを送らせる。」


 耕作地を増やせばいいのでは、と喉元まで出掛かった発言を、部隊長はつぐんで飲み込む。


「部隊長さん。再編中のバルドー国が出せるもの、と言ったら何でしょう。」

 幢子は、よく考えれば彼の名前を未だに知らない事を思い出しながら、それでも、思慮の整理の合間に尋ねてみる。


「バルドー国に出せるもの、というと?やはり鉱物資源でしょうか。」

「現物がないよ。まだ鉱山が稼働していない。」

 即座に飛んできた否定に、彼は思わず顔を歪めて苦笑いをする。


「では、収穫の二の豆、三の豆でしょうか。それを引き換えに煉瓦を与えては?」

「二の豆、三の豆なら、ディル領に必要な量は、自領と、リゼウ国からの取引で十分なんだよ。わざわざ質で劣る割高の豆を買う必要もないし、豆が必要なのはむしろ、バルドー国側なんだ。」

 幢子は、自分で考えていた事を整理するように、口に出して、それから考える。


「では、兵力でしょう。今回の再編には武官や兵士が多く参加したと聞きます。」

 幢子は机を叩いていた指を止める。


「兵士としての質は、衛士さんたちの方が上だし、ハヤテの輸送隊にしても、衛士さんたちが随行した方が円滑じゃないかな。それに、それだと問題である食料自体は増えてないんだよ。」

 幢子はそこまで口にして、再び指で机を叩き始める。


「ジエさんが前に言ってた通り、優先順位で考えるとするなら、そうだね。この問題の本質、欲しいのは食料なんだ。でも、リゼウ国やエスタ領がまだ手をつけていない生産性の低い食料、という事になるんだよね。」


 幢子は手に取った鉛筆と紙を、思うままに走らせる。部隊長は黙してその紙面を横から覗き込む。


 ふとその時、教会の扉が開き、赤子の泣き声が入り込んでくる。

 鉛筆の手を止めて、幢子は顔を上げると、中にはいってきた人物に顔を向ける。


「トウコ様、お時間御座いますでしょうか?」

 その言葉を言い終えぬうちに、小さい足音が幢子に向かって駆け出し、座っている椅子の脚に縋り付く。


「窯元、どうしたの?今日は非番だったっけ?あ、よく来たね。」

 幢子は足にその小さい両腕で抱きついてきた、まだ幼い少年の頭を撫でる。手のひらの下で彼は満面の笑みを浮かべ、幢子を見上げている。


「すみません。こら、止めないか。」

「大丈夫だよ。陶器窯の方で何かあったのかな?」

 幢子は男の子を抱きかかえると、自らの膝の上に乗せる。

 少年の体に染み込んだ煤の香りや、火に当てられすっかりと乾いた草布の服の香りに、思考のモヤが払われていくのを感じていた。


「いえ、改めてお耳に入れるような出来栄えとは行きません。新しい釉薬も、例の二人と一緒にいろいろ試していますが。実はその二人の、両親の事で。」



「成程ね。徴兵だっけ?お兄さんが兵士になったって言うし、自分の兵役中に知り合った仲間とか、安否が気になっているのかも。」

 交流を続けている中で、日常の話題の些細な仕草に、違和感をもって報告された内容に、幢子は手元の情報から想像を働かせる。


「おじちゃんね、お魚釣るのが上手いんだよ。この間、川の魚を一緒に焼いて食べたんだ。前は、寒くなったらお船で海に漁に出てたんだって。それでね、皆でお魚を焼いて食べたって言ってた。」

 幢子の膝の上に座った少年が紙に鉛筆で文字を書いている。そこには魚の絵も添えられていた。


「お魚。」

 直前に書いていた幢子の箇条書きに、同じ単語を見つけて、少年が指をさす。


 幢子の側でその光景を見ていた部隊長が頭を上げたのと、幢子が笑ったのはほぼ同時だった。


「そうだね。お魚。いっぱいお魚食べたいね。」

「お魚の炊き汁!次はいつ?」

 幢子の言葉に、少年が振り返って期待を浮かべた目で幢子の顔を見上げている。


「窯元。彼を呼んできてもらえないかな。ちょっと聴きたい事があるんだよ。後、今夜の皆の炊き出しはお魚の干物を入れてって、当番の人に伝えて欲しいんだ。ご褒美にね。」


「よろしいので?」

「勿論。ジエさんも居ないし、私も食べたいし。」

 ジエがいれば小言の一つ、咳払いの一つも聞こえてきそうだと思い浮かべながら、幢子は苦笑いをする。


 父親が教会を出る雰囲気を感じると、少年もまた幢子の膝の上を飛び降りて、その後ろに駆けていく。


「兵士を兵士として使う必要はない、って考え方は、バルドーでは当たり前すぎて、こっちでは馴染みが無さ過ぎて、忘れちゃってたね。」

 頭を鉛筆の背できながら、幢子は笑う。


「なんなら、セッタ領のコなんだし、しっかり働いて貰っちゃおうか、由佳ちゃんに。」

 幢子の浮かべた笑みに、今度は部隊長が苦笑いを浮かべていた。

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