バルドーの債務
衛士リオルの手記 東の地で
連日、ディル領の赤い煉瓦が荷車で運ばれてくる。
バルドーのこの地に滞在して、半年が過ぎようとしている。
防衛の要所として東端として構えられたこの地で、今日も身体を慣らす。
次々とやってくる荷車は陽が沈むまで、続いている。煉瓦だけでなく、食料や衣類といった物資も届いている。
今日もまた、この地を取り仕切る彼女は、やってくる荷車を差配する。その真新しい荷車にはどれも、駆ける黒い狼が描かれている。
そうである以上、彼女が激務を縫って取り仕切るのは仕方がない事と言えるだろう。
だがそうした中で、この地にまるで賑わう街の様な活気を感じられるのは、単に出入りの多さからだけない事を、知っている。
黒髪黒目とは、本人たち自身をまず渦中に置かねば気がすまないのだろう。巻き込まれる我らにとっては困ったものだが、休む間もない連中自身もまた、不憫なものだ。
「一手、お手合わせ願いたい。」
この日、三度目となる願い出の声を聞いたリオルは槍を構える。
それを同意と見た相手は、自らも槍を構える。リオルよりやや年上であるが、いざ槍を構える姿は周囲の目にも、気後れしているのが明らかだった。
槍の柄が打ち合わされ、甲高い音が響く。
打ち合ったその柄を滑るように押し出したリオルの動きに、対応しきれずに彼は足を下げる。
重なり合った柄が、俄に離れると、それに促されるままに彼は更に体制を崩す。それに気づき慌てて踏みとどまり、更に一歩後ずさる。
そこへリオルの槍の柄が、遠心力を得て再び打ち付けてくる。
甲高い木の音が再びと響き渡り、彼は左側に大きく体勢を崩す。
一閃。
リオルの身体がその場でくるりと翻り、強い遠心力を得て、三度、槍の柄同士が打ち付けられる。
ついぞ、構えたそのまま彼はうち伏せられ、手を離れ地に転がった槍をリオルの足が踏み抑える。
周囲から歓声が上がる。過去に同じ手合いで打ち負けた面々には、苦い表情を浮かべた者もいる。
「まだ身体が全然できちゃいない。ちゃんと豆以外も食ってるか?」
リオルにとってみれば、鍛錬にもならない結果に、思わずため息が漏れる。
この地に赴任して、バルドーの兵士たちと模擬戦が行われて以後、それはリオルにとっての日常ともなっていた。
「不安かもしれねぇがよ。ちゃんと食えって。豆が滞ることも、尽きることもねえんだって。今年も、少なくとも西側じゃ一の豆は豊作の見通しだって、連絡はいってるんだからよ。」
リオルがそう述べても、声を向けられた彼らは各々に躊躇い、首を振る。
「ちゃんと食う。ちゃんと寝る。それで身体を動かす。今やることはそれが最優先だ。身体検査をした後でアイツもそう言ってたろ。」
リオルが顎を向けたその先で、雨季後半の蒸し暑さに商会長服を着崩した細川由佳が、文官たちを前に笑っている。
「そうっすね。鉱山の方に行ける人、もう少し減らすしかないっすね。」
各村の再編、再建状況の数値を認めた書面を流し読みしながら、由佳は愛想笑いとともにため息を漏らす。
文官たちの申告より、ディル領とセッタ領から借り受けた分析官の出した数字が、恐らく正確だろうと由佳は解っていた。
その通りであるとするなら、本心であれば、鉱山業務に差配できる労働者はむしろ作りたくなかった。
だが、バルドーには負債とも言えるノルマが存在する。
ディル領と取り決めた銅資源の産出。
ガラ石として打ち捨てられていた純度の低い赤鉄鉱を加工し、パレットとして焼結しての運び出し。
それらを担保に、ディル領から多量の煉瓦と食料を買い入れている。
その食料は、それらを債権としてエスタ領やリゼウ国、あと僅かにではあるがセッタ領からも得ている。
食わねば飢える。それを見越して、既に豆を始めとした作物の大量生産が始まっている以上、それを買わないという選択肢も取れない。
商業は回し続けなければならない。それは由佳も商会を運営する身となって規模と視野が広がり、解っていることである。
だが国の経営をしていた文官たちは、それを由佳よりも遥かに理解し、そして国を跨った債権を恐れている。
彼らはバルドー国中央の文官から疎まれ、各村の監理官として左遷されていた者たちであり、志も高かった。
彼らを取り込んだ事で、西側のみ、ほぼ半分となったバルドーの国土とはいえ、漸く把握と管理ができる所まで再建の目処がたった。
けれども、騒動の渦中になかった彼らは、未だにサザウ国以西の現状を正確に把握しているとは言い難い。
武官、兵士たちと同様に、支援を打ち切られるかもしれないという不安と、焦りがあり、再編した村で二の豆を目標に試験が始まった農業改革にも未だ懐疑的であった。
だからこそ、まもなくと迫る乾季の鉱山の再建に理解を示した由佳へ、それが可能であるという過分の証明を持って、連日やってくる。
その度に、由佳は、そうして苦笑いを浮かべて、その規模と現実に頭を悩ませいた。
そんな状況に一手を打つべく、由佳は手紙を出していた。
今もそろそろ届くであろう、その返事を待ちながら、文官たちを眺めていた所であった。
「栄治さん、早く来てくれないっすかねぇ。」
そう仔鹿の様に震える声で呟いた由佳が、届いた荷物の中に、待望の蝋押し封筒を手に取ったのは、まさにその時であった。
由佳が失望に膝を突く、その少し前の事である。




