スラールに迫る影
北より、迫る集団有り。
その知らせは、リゼウ国の西端、赤鉄鉱の露天掘り鉱山のハヤテの派遣員から齎された。
一報を受けた宰相直属の調査隊は、程なく、リゼウ国北西側より、軍隊と呼べる様相の集団を確認するに至る。集団が掲揚する旗の紋様を書き留めると、即座に王城へと駆け戻った。
「北から軍隊だと!?なんだそりゃ!?」
国政の場に出れずに居るアルド・リゼウに代わり、政務を兼任していた栄治はその知らせを受け、視認された旗の紋様を検め、唖然とする。その紋様に確かに見覚えがあった。
「急いでエスタ領主、コヴ・ニアに使いを出す。伝令の馬を用意しておけ!」
その呼び声に即して、急ぎ王城の外の馬屋へと駆け出した兵士が数十ヤートルと走らぬ内に、同じ様に駆け込んできた兵士に呼び止められ、振り返り、大声を発する。
「エスタ領主コヴ・ニア殿が、只今、こちらにお着きになりました!」
駆け戻ってくる直属兵の姿に再び唖然とし、頭を抱える。
一連の騒音に、寝室で安静としていたアルド・リゼウは、侍従する詩魔法師のエルカと聞き耳を立てていた。
あまり慣れない身体で起き上がろうとするアルド・リゼウを押し留め、エルカは代わりに確認をする旨を伝えると、部屋を出て、騒動の声へと向かっていく。
「すまねぇな、エルカさん。何があるか分からねぇ。身重な国主様を診るためにもうちょっと留まっちゃくれねぇか。」
栄治はやってきたエルカに深々と頭を下げる。丁度その側を、到着したばかりのコヴ・ニアが佇んでいた。
彼女はエルカに軽く会釈をすると微笑んだ。それに対し、エルカも浅めに礼を払う。エルカの目には、そうして目を細め、満面の笑顔を浮かべるコヴ・ニアの姿を見るのは初めての事であった。
「ウチの調査兵が持ってきた旗の紋様の書き留めだ。」
「サウザンドの国の物で間違い有りませんわ。」
彼女の表情を変えぬ即答に、栄治は頭を抱え、溜め息を吐き出す。
「あんたは、ここへ、この瞬間に、何をしにリゼウ国、この王城へやってきた?」
硬い表情で、コヴ・ニアへそれを問う、京極栄治のその声色に、エルカは不安を覚える。
「アルド・リゼウ様へ、蜜柑とお茶のお届けに。と言っても、信じてはくださらない、ですよね。」
そういって、コヴ・ニアは、まるで踊るようにしてその清楚なラフドレスを広げる。
「お友達に会いに来ましたの。間もなくこちらへいらっしゃるのでしょう。」
「気づいてるだろうが、俺はアンタを疑っている。悪い意味じゃない。何かを隠している、という漠然とした意味で、だ。アンタは物事の幾らか先が見えてる様に、折々に、その場に現れる。まるでこの地域一帯で起こっている些細な事まで、今この時も把握しているかのように、適切な瞬間に、だ。」
「そうした目を持っておりますので。」
「前にも尋ねた事があったな。アンタは、俺達と同じ様な転移者か?」
「違いますわ。」
「では尋ね方を変えよう。アンタは、何らかの手段で俺達と同じ世界から来た異邦人か?」
「違いますわ。私はこの世界で生まれ、この世界で育った、この世界の、人、ですわ。」
「ではもう少し変えよう。アンタは、何故、言葉が通じないような異国の人間と、友達、になった?それは一体、いつの事だ?」
「随分と昔の事ですわ。それがどれ程、昔の事なのか、今の私には解りません。」
「ではこういう尋ね方をしよう。あんたは、一度死んで、この世界に生まれた、輪廻転生者、か?」
「その言葉に対して私は、それをお応えできません。私は、近く、近くへと、ただ願うのです。あの過ぎ去りし日々をもう一度過ごしたい、と。」
コヴ・ニアと話しながら、ただその口から発せられる言葉を聞き続ける栄治の姿を、エルカは固唾を呑んで見守っていたが、その最後の一節を聞き届けるなり、その場に飛び出して間に割って入る。
「あら、エルカさん、気付かれましたか。流石です。」
エルカの前で、コヴ・ニアは微笑んでいる。
「エイジ様、お体に異常は有りませんか?」
「なんだ?特に変わったことはないが。」
「今、ニア様に詩魔法をかけられたのです。どういったものかは解りませんが。途中から、ニア様は何処か異国の言葉でお話になられていました。その一節が、詩魔法になっていたのです。」
エルカの言葉に、栄治は驚き、コヴ・ニアを睨む。
周囲の兵士たちはその言葉に警戒し、コヴ・ニアを中心に距離を取る。
「ただ少し、夢を見てもらっただけですわ。私がもう一度見たかった光景を、ほんの少し脳裏に焼き付けるような。疑問にお答えできたでしょうか?」
そうして微笑むコヴ・ニアに、栄治は警戒を解く。
「いや、何ともない。済まなかったな、ニアさん。何か勘違いをしていたようだ。」
それまでの怒気を孕んだ様な声色が、栄治から失われたのを、エルカがどういうものかをそれで理解する。
「やはりトウコ様は流石ですわ。貴方サウザンドに少し似ていますのね。私、気づきませんでした。いえ、それとも。」
コヴ・ニアはエルカの前に一歩、進み出て、警戒を続けるその瞳を、身を屈めて、下から上目観る。
「それとも、トウコ様にそうされてしまったのかしら。あの本の詩魔法で。」
尋ねるかの様なコヴ・ニアのその言葉を聞いて、エルカの目は、俄に力を失った。