最初で最後の一手
組合支部から武官たちが帰っていく、その後ろ姿を月明かりを頼りに由佳は見ていた。
「どうなるかと思ったっす。何とかやりきったぁ。」
椅子に腰掛け、机に顔を突き伏し、両腕を伸ばして、由佳は内心を誰へともなく吐露する。
「あ、あの、商会長。こんな大それた事、勝手にやって良かったのでしょうか。」
同じ様に、商会員たちが力なく背もたれに寄り掛かり、椅子の上で力尽きて呻いている。
「ああ、うん。大丈夫っすよ。多分。」
「ユカは、正式に領主のコとして貴族の地位も、外交交渉の全権も持っている。交渉にあたっての裁量権も委任されている。手続き上は問題ない。」
本部長の口から明かされる由佳の現状を、今始めてそれを知った商会員達は小さな悲鳴を上げる。
「身構えなくてもいいすよ。貴族なんてガラじゃないっす。今回の件で都合が良かったから借りただけで、トウドに帰ったらばあちゃんに話して返上するつもり。」
そうして、月明かりの差し込む窓辺で頬杖をついて作り笑顔を浮かべる彼女を、商会員達は言われるままに今までと同じ目では、とても見れそうになかった。
「商旗を木細工にして襟元につけ従者待遇の様に商会員を配置するとは、良く考えたな。あれだけで演出がここまで変わるとは思わなかった。」
「色々やらせてますからね、うちの商会員。鉛筆や紙の職人さんの所にも研修で放り込んだっす。幢子さんの所へは大工研修にもいかせてるし。日雇いにも職業選択の自由っすよ。自分探しっす。」
由佳の言葉に、彼らは様々な現場に放り込まれた日々を思い出しながら萎縮する。しかしそれらの経験もあって、皿にスープを盛る手が震えるのは抑え込めたという自負程度は感じていた。
「来てくれる、かなぁ。」
かなり深い夜になるまで、続けられた議論と交渉に、武官達は最後まで結論を出すことができなかった。それであっても、その決定までの期日と、決行の工程までは伝える事ができた。
不安に頭を抱える由佳にできる事は、彼らが去る間際に、その最後尾で政官の彼が、確かに頷いたのを見て、それを信じる事だけであった。
ラルタの王城では、それまでと同様に偽りの交渉が後数日、行われる手はずとなっている。
この表の交渉は、平行線のまま決裂するだろう。そして、由佳たちは引き返すことになる。
引き返せば、当面、ラルタへと足を向ける事はない。ここを敵地として、道中に新たな国境線を引く。その向こう側に、新しい国ができ、そこまでが交易路の終着点となるからだ。
新しい国には、必要最小限を除き、賠償の請求はしない。今後の支援も、更生への道筋も立てる。
古いバルドーには、賠償の請求はなくなるが、一切の支援もしない。
その打開案と、終わるはずのない今の表の交渉を続ける事とを、民の寿命で天秤にかけさせる。
此夜限りの、本当の交渉。
手持ちの札で三人が考えた、懐柔、離間の最初で最後の一手。
武官達が最後まで難色を示していたのは国王の扱いであった。どうにか国王も救い出す手段がないか、それだけを強固に主張する者がどうしても出てしまった。
しかしそれには、病床の国王に招いているカルネリア王国の医師の存在が切り離せない。
それは、カルネリアと同様の関係を今後も続けていくという事であり、奴隷貿易と縁を切れないという事であった。その上で、恫喝交渉や略奪戦争を仕掛けた責任問題を切り離せなくなってしまう。
誰かが責任を取らねばならない事。それを別の手段、つまり表の交渉で解決できない事。
それを無条件に許せば、支援を出す側であるサザウ国やリゼウ国に悪感情が起こる。
まして、カルネリア王国と帝国ミレネイルの間に起こった確執、そしてその火種を焚いた何処かに居るコ・デナンや、その協力者たち、そういった面々との関係を今後も持ち続けるという事。
そういった危険因子を、由佳はできうる限り根気強く、説明をし続けたとは考えている。
それでも、の一言が決して消える事がない。それは承知していた事ではある。
満場一致で乗ってくる事など、ありえない。そういう風にも考えていた。
けれども期日はやってくる。期日が来れば、由佳含め、使節団は引き上げる。
そして由佳は、拾える限りの民に声をかけ、そこに国境線を引いて、新しい国を立てる。
武官達の協力が得られなければ、更に厳しい始まりとなるだろう。取りこぼす民も多く居るだろう。だが、それは極端に言ってしまえば人数が変わるだけ。
「アタシ達は、後は準備をしながら期日を待つしかないっす。京極さんに頼まれたものも集めなきゃいけないし。この支部も撤去する方向で進めるんすよね?」
由佳の問いに、蝋燭の明かりの下で確かに本部長が頷く。それを見て由佳は目を細めて欠伸をする。
「じゃもう寝るっす。皆もお疲れ様っす。明日からは街を駆け回って貰うから、ちゃんと寝とくっすよ。」
そう言って由佳は、椅子から立ち上がると、背伸びをしながら部屋から出ていった。
そうして、数日が過ぎ、ついにその日がやってきた。




