スラールの東端
由佳たちが国境となる関所を越える。その先に広がっているのはバルドー国の大地である。
かつてスラール国と呼ばれた半島は、東西に広がっている。その東部の海岸は外洋に対して南北に広がっており、暫く北上すると、海を跨いだ更に東の向こうに広大な大陸が存在するのを視認していくに至る。
その東の大陸と、スラールを僅かに繋ぐ海峡を「ベル・ラルタ」と呼び、そのやや手前に構えられたのがバルドー国王都ラルタである。
由佳たちの旅の目標はその王都ラルタであり、目的はその沿線の東西、そして東端でラルタに向かい北上する交易道の復興である。
沿線を進んでいく中で、季節は移り変わっていく。二の豆の収穫が行われるような、乾いた空がスラールの地に広がる。
交易道沿いを進む由佳たちの横目にも、度々、農村が散見される。しかしその農村に住む人々の目には生気が抜け落ちている様な印象を、由佳は感じていた。
「如何、思われますかな、ユカ殿。」
馬の上から、側を進む由佳を見下ろし、政官役人が問う。トウドの会食での一件以来、彼はそうして由佳に話しかけることが時折あった。
「良くないと思うよ。リゼウ国の王城にいったら周囲一面の見渡す限りの畑に、兵士さんたちが追われるように懸命に鍬を振り下ろしてたり、豆を刈り取ってる。城内の炊き場だと日中は交代で行われる食事と休憩でずっと賑わってたし。」
荷車がカラカラと音を立てながら、その音を背景に由佳は答える。彼との会話を、由佳は苦痛に感じては居なく、できる事であるのなら、協力を惜しむものではないと考えていた。
とは言え、奉仕という方向では問題があると、由佳は自分の立場が商人である事を念頭にその旅路では考えていた。
かつて、自分が不在の間に行われた、王城での聴聞会で、使者とリゼウ国側で行われた終始を、由佳もその記録に目を通していた。
その場で言及されたというコヴ・トウコの要求とされる一覧には、流石に過剰とは思っていたが、それは言及の仕方が問題であっただけで、それに近いものが落とし所になるとは考えていた。
「鉱山で銅が採れていれば、って簡単な問題でもないように思う。むしろ銅が採れていたのだから、サザウ国よりもずっと条件は良かったはずなんだよ。でも、そうはならなかった。コヴ・トウコの受け売りになるけど、青銅がサザウ国でも扱えれば、更に状況は良くなっていたって言うし。」
鉱山の事を自身で取り上げながらも、その事で由佳自身の気持ちはやや沈む。
自分がバルドー国に残っていれば、鉱山を出たりしなければ、まだ出来ることがあったのでは、とそれは幾度も考えた事だった。
「鉱山のことは、もうご存知、だとか。」
それは彼が、旅の道中でずっと、由佳に対して切り出さなければならないと思っていた話題であった。彼の言葉に、由佳は言葉や仕草では、肯定も否定もしなかった。
「静かになった教会の片隅に、豆の袋を置いてきたよ。きっと、お腹いっぱい食べてくれたと思う。アタシにできたのは、それだけだったよ。」
ただ、由佳は自分がしてきたその行為だけは伝えておこうと考えていた。
彼もまた、人事を拒否して、その場に残り、まだ尽くせる手があったのではと、ずっと考えていた。
バルドー国での銅の産出の重要性は、誰の目にも明らかであった。それだけに、大きな成果が出ない事に対して、気を苛立たせるものが、武官にも政官にも多かった事を、彼は覚えている。
そして後任は、自身の執るだろう施策に絶対的な自信と慢心を持っていた。その事は引き継ぎの際に解っていた事であり、それに対して中央でも手段の講じ方もあったのではないかとその後悔を重ねていた。
「そうですね。ユカ殿が豆を持ってきたのなら、連中も喜んでいた事でしょう。腹を空かせた大男ばかりでしたからね。その上、鉱山送りになる程、手癖も悪い連中だ。きっと取り合いで喧嘩になったのではないかと。」
そういう未来があったかも知れない、それを思い浮かべ、彼は由佳に答える。
互いに、そんな光景は無い事がわかっていたとしても、その言葉の意図が、弔いであると解っているからこその、残された者同士の、お互いを慰めるためのやり取りだった。
「カルネリアって国とは、そんなに上手く行ってなかったんですか?」
由佳は、機会があれば、と考えていた言葉を、話題を変えるために切り出す。
バルドー国を取り巻く国難について、由佳自信も興味がある、それは事実であった。
「詳しくは私の口から言えぬ部分もあります。ただ、難しい、というそういう状況であったのは確かです。銅の減産が、ただ減産ではなく、閉山の瀬戸際となる事は、状況も相まって、どうしても避けねばならぬ事でありました。」
政官の馬の向こうで、武官が振り返り、会話を交わす由佳たちを凝視したのはそんな時だった。由佳はそこで会話が終わってしまったと考え、口をつぐむ。
一行が進むその道の先、右手に見えるだけでなく、正面にも海が見え始めたのはその時だった。
徐々に、夜の帳が、東の空と海に掛かり始めていた。
「銅がなければ、最早、豆を食べるその口を売るしか無いだろう。」
正面を向き直った、武官が、誰に向けるわけでもなく、力なく、それを呟いた。




