奴隷
一行が王都ラルタに辿り着いたのは、それから二晩後の事であった。
「一応、活気らしきものはあるんすね。」
組合のラルタ支部の建物は、状態もよく、地震による被害を免れていた。由佳は初めて踏み入れる王都を、その窓の内側から眺める。
「奴隷商とは、随分と厄介な事に関わった物だ。しかも、既に支部で独自に行なった取引の履歴まである。」
由佳の背後で、本部長が書類の山を読み解きながら、嘆き、頭を抱えている。
銅がなければ、豆を食べるその口を売る。武官が道中で口にしたそれが、どういったものであるか、それは由佳にも直ぐ解ったことではあった。
しかし、スラールと呼ばれるこの地域では、スラールが一つの国であった時代から、奴隷の扱いに関してはこれを禁じ、そしてそれは三国に分裂してからも、各々の国家で継続された政策であった。
「日雇いだって、農民だって、王権国家なら奴隷とそう変わらないっすよ。」
由佳は嘆く本部長に向けて、そう呟く。
彼は由佳の言葉に対し、目を置いていた書類を起き、向き直る。
「違う。そうではないのだ。スラールの民を、スラールから出してはならぬ。これはそういう古き取り決めなのだ。とは言え、その取り決めの意味を知るものが少なくなった今となっては、な。」
彼の反論に、由佳は窓の外を見ていた顔を向ける。
「独立交易商組合は、サザウ国とほぼ同じ歴史を持っている。組合の本部長を就任するものは代々と戒める意味で、古きスラールが奴隷を戒める決まりを作ったその根幹を知らされるのだ。そしてそれは恐らく、サザウの王族も同様であったはずだ。だからこそ、罪深き者は罪地で裁く。スラールの商人は、人から人であることを奪わない。」
「どういう事っすか?」
「スラール国は、海峡の向こうの大国の、その罪地であったのだ。故に、海峡の向こうへ戻ってはならぬと戒められ、追いやられた民の末裔だ。スラールの下には何もなし。不毛の地、スラールに送られしは、共に助け合わねばならぬ。我等は、我等の他に頼る宛はないのだから。それが古きスラールの建国であり、海峡の大国がスラールに向ける目であった。」
「はぁ。じゃあ、この地は監獄か何かだったって事っすか?」
由佳が溜め息とともに漏らした言葉に、彼は確かに頷いた。
「スラールを或るべき姿に戻す。武官殿が王城で言った言葉の意味が変わるのだ。武官派閥は、奴隷取引に反発し、或るべき姿、つまりは人から人を奪わぬ有り様に戻す、そう掲げていたと取れる。そのために、人を売らなくて済むように、豆を求めていたのだとな。だが、ここに、独立交易商組合に奴隷取引の履歴がある。これがどういう事か分かるか?」
由佳は口の中の生唾を飲み込み、それぞれの言葉の意味を噛み砕く。
「こっち側の商人が組織として、勝手に人を売っていた、って事っすよね。」
「そういう事だ。そしてその当事者たちはもうここに居ない。大国へ渡ったのだろう。それを主導したのは、書面上では組合とサザウ国となっている。一部の政官と、こちら側に居た誰かが仕組んだ事なのだろう。」
由佳は、その首謀者に一人の顔を思い浮かべる。あの日、その顔を確かに見ていた。
「コ・デナンっすか。コヴ・ダナウかもしれないっすけど。」
由佳の考察に、本部長は静かに頷く。そしてその拳を机に強く打ち付ける。
「館を焼いたのも、そうした証拠を消すつもりだったのだ。恐らくな。そうすれば、商人である独立交易商組合とサザウ国がそれを主導したと、安心して事実を捻じ曲げることも出来る。ディル領征伐の意味そのものが、変わるのだ。」
彼はその椅子から身を起こし、身なりを整える。
「準備しなさい。私は急ぎこれらの証拠を使節団に持っていかねばならん。お前の伝で使者の政官殿とも話を照らし合わせねばならぬ。この齟齬を抱えたままでは、まともな交渉などできんだろう。」
由佳はため息を吐き出し、荷車に乗せたままの礼服を取りに、その部屋を出る。
由佳の荷車の前に、一人の男が立って、それを眺めている。
そんな場面に出くわしたのは、その時だった。
「へぇ、サスペンションに、板バネだね。鉄具が使われてる。この旗はなんだろうね。商隊の旗かな?」
ぶつぶつと独り言を述べながら、係留している荷車を観察している姿に、由佳は咳払いをして睨みつける。
「アタシの荷車に何か用っすか?」
由佳がかけた声に、男は振り向いて、そして由佳の顔をじっと見る。
「ああ、ごめんごめん。あまり見ない荷車の様式だったからね。組合に取引に来たのだけれど、こちらの方が気になってしまってね。」
そうして、彼は由佳に向き直り、背筋を正す。そして貴族の交流会で散見する様な恭しい礼を払う。
「組合の職員に取り次いで貰えないだろうか。また取引がしたいと。」
そう顔を緩ませて、その金色の瞳が、由佳をただじっと見る。
由佳の視線が、その光沢を感じさせる衣類と、その胸元に下げられた勲章へと流れていく。
「少し待っていて欲しいっす。職員を呼んでくるっす。」
由佳は表情をなるべく崩さず、足を再び、組合支部の中へと向ける。
「本部長、た、大変っす!カルネリアが取引に来たっす!」
駆け足で部屋へと駆け込んできた由佳に、彼はまた目を回し、過呼吸に顔を赤くして椅子の上に座り込んだ。