ハヤテの商旗を掲げて
鉄道着工式の一幕を終えたばかりの由佳は、差し迫った時間を加味して、その結実を見る事なく荷車を引いてポッコ村の南門を発った。
沿岸の交易道に乗り上げて、サト川の一つ手前の港町へと駆け込むと、そこの独立交易商組合の支部へと顔を出す。
「遅くなったっす。いやぁ、大変だったっすよ。」
支部の支部長室で、萎縮し肩を狭めた支部長が、入ってきた由佳に救いを求めるような目を向ける。
「直ぐに発つ。」
支部長の対に座っていた本部長が席を立つと、由佳を睨みつける。
「ま、待って欲しいっす。いや、ちょっと話を聞いてから、一度、よく考えてから出発したほうが絶対にいいっす。」
言い添えてそれを制止し、由佳は彼の耳に、鉄道着工式での内々の事情を小声で打ち明ける。
「なぜそういう大事が、お前の行く先々で起こるのだ!」
一度腰を上げた本部長は再び、椅子に座る。支部長はその様相にますます萎縮し、瞳を潤ませる。
「コヴ・トウコ、お助けを。その叡智で私を、今こそお救いください。」
目を閉じて両手を組み合わせ小声で呟き、天を仰ぐ支部長の姿に、藁にも縋る、という言葉を由佳は思い出していた。
結局、道々の面々から人を出せないという結論に至り、至急の名目で本部への指示書を手紙の配送依頼という形で出す事になったが、それに依って半日遅れた日程を取り返すように、由佳は先を行くバルドー国の使者一行とサザウ国の使節団を追って港町を出発する。
各港町の組合支部の機能を再建させながら向かうその道程は、進軍とも言える様相を呈しており、由佳はハヤテの荷車隊を率いてその設営、物資搬送を引き受ける事となっていた。
「なんか、こうしてみると何処かで見たような宅配業者って感じっすね。」
由佳は黒猫のシルエットが駆ける商旗を荷車の縁に縛り付ける。
それは、求められて即興で鉛筆で書いた絵図が、手に手を渡り、綿生地が手配され、染色の段取りまで決まってしまったもので、由佳にとっては気恥ずかしさのあるものだった。
「森を駆ける狼をなぞらえたものだ。立派なものじゃないか。」
猫なのだと、一応にブエラに主張はしたが、由佳のその主張は、猫を見たことがないこのスラールの民には伝わらないものであった。ブエラのみは、猫の存在を名前でだけ知っていたが、それは狼だと譲らず、公証には狼ということになっている。
だがそれは、それを知っているだろう黒髪黒目が見れば一目瞭然の類似品であった。
気恥ずかしさもあって、由佳は栄治や幢子には誤魔化せなくなるまで存在を伏せておこうと考え、それを隠していた。
しかし鉄道着工式に出席するために遅参したコヴ・ドゥロは、由佳のために誂えた真新しい礼装服を持ってきており、その襟にこの商旗の猫と同じものが綿糸で刺繍されているのを見て卒倒する。
幸い、式典の一幕もあってそれの意味する所を彼女らに気付かれはしなかったが、兄弟子の自慢げに語る所によれば、既に建造予定となっている中型船の帆に掲げる紋章としても手配が進んでいるという。外堀がすっかり埋まってる事に、由佳はただ、ため息を漏らした。
その商旗を掲げ、道々の一行は港町を巡りながら、交易道をバルドー国の王都へ向けて進んでいく。
後続から追いついてくる荷車もあれば、荷を空にして後ろへ下がり、引き換えしていく荷車もある。
しかしその荷車隊の先頭は、変わらず由佳であり、その荷車には商旗が靡いている。
バルドー国の国境へ差し掛かる最後の港町の廃墟で、由佳と組合本部長達の一行は先行する使節団と合流を果たす。ここからは護衛としている衛士隊の面々の追加の物資も、追ってやってくるハヤテの荷車が運んでくる事になっていた。
由佳が関係者たちに挨拶をすると、丁度この廃墟同然の港町に滞在していたと思われる衛士の別班隊がハヤテの荷車隊を眺めていた。
見覚えのある衛士が、河内幢子の側に立つ事も多い男であったのに由佳は気づくと、掲げた商旗とその視線を遮るように立ち、それとなく挨拶を済ます一幕もあった。
しかしついぞ誤魔化すことは叶わなかった。
「ああ、旗といえば。紙と鉛筆はお持ちですか?」
それがハヤテの商旗である事を説明すると、衛士の興味は別へと向かい、請われるままに紙と鉛筆を渡す。すると、鉛筆を滑らせて、一枚の紋章らしきものを彼は書き上げた。
「この紋章と同じもの、或いは似たものをバルドー国で見かけたら、それを伝令に乗せてほしいのです。その紋章に関する事で情報もありましたら、それもお知らせくだされば助かります。」
そう言って、彼が手渡したその絵図を由佳はまじまじと見つめる。
「なんすか、これ。」
「カルネリア王国という、海峡の向こうにある大国の紋章です。船や旗などで見かけることがあるかも知れません。コ・デナン、コヴ・ダナウが繋がっているとしたら、バルドー国だけでなく、その国もかもしれません。」
コ・デナンと聞いて、由佳はあのシギザ領の館が炎上した一件を思い出す。
「お察しの通り、シギザ領の館に痕跡があったのです。この港町も丁度調査をしていた所で、今の所、あまり成果は上がっていません。館が焼かれたのも、これが何か関わっているかも知れません。」
衛士の説明に、由佳は再び、その絵図を見て頷く。
「わかったっす。見かけたらリオルさん宛に手紙を書くか、ポッコ村に伝えに行くっす。」
衛士は由佳に礼を払い、その場を離れていく。由佳が商旗について口止めをするのを忘れた事に気づいたのは、それから少し後のことで、その時には既に彼の姿を見失ってしまっていた。




