鉄道着工式
二の豆の作付けも終わり、雨季の雨の強さも弱まり続けていた頃。
その日は雲が切れ、帯状の光が空から覗いていた。
順延もなく、無事執り行われることとなった鉄道の着工式には関係者が参列している。
鬱蒼とした林道であったスラール旧街道は三十ヤートル以上広い幅となっており、切り株がまだ随所に散見されるが、見通しの良い状態となっていた。
完成したばかりのレールも既に相応の量が運び込まれている。これは完成次第、矢継ぎ早に運び込まれる手はずになっており、着工式が行われている今この瞬間にも、ポッコ村では鋳型に溶鉄が流し込まれて、製造が行われている。
まずは伐採に使われた斧のディル領への返却儀礼が行われる。実際には斧はリゼウ国が購入したものであり、形式上のもので、式典後に再び譲渡されることになっている。
続いて、現場に並べられていた整地用のツルハシとシャベルが幢子とコ・ジエに依って、作業を行うリゼウ国のアルド・リゼウ、京極栄治に手渡される。
そして現場にハンマーとレール、枕木が一組分、運び込まれ、その敷設が行われる。
その固定となる止め杭に幢子とアルド・リゼウの二人でハンマーが振り下ろされ、それが参列者たちによって拍手で締めくくられる。
その作業の最中、終始苦笑いを浮かべていた幢子に、栄治と由佳は含み笑いを浮かべていたが、その二人へは主催挨拶や来賓挨拶という大命がその場で下され、それを画策した幢子とアルド・リゼウはそれを含み笑いで見送った。
同時にこうした催しが、セッタ領、エスタ領へ敷設作業が進行する際にも行われる事になっており、領主に同伴した各領の役人たちは、コ・ジエの元で予備計画や敷設工程について相談を重ねていた。
式典の後は軽食会という形式が取られ、実質輸送路として開通したその沿線を伝って、エスタ領から運び込まれた果樹の果実が振る舞われた。
「もう作柄として出荷できる規模になってるんですね、ミカン。」
その場に並んでいたのは夏みかんやオレンジといっても差し支えない甘い柑橘類であり、幢子も王都の交流会に上がってきたものを口にする機会があったが、建設作業に従事する兵士や、ディル領やセッタ領の役人などにはこれが最初のお披露目という事になった。
「ええ。これは収穫したばかりのものを今回運ばせていただいています。品種の違いで乾季の終わりから冬季の初頭にかけて収穫するものもあります。」
そう言って笑顔を振りまくコヴ・ニアに、幢子はミカンをもう一つ求めると、彼女は頷いてそれを手渡す。
「鉄道が完成すれば、トロッコに果実や豆をのせて、ディル領へもリゼウ国へも運ばせますわ。鉄具や綿生地がそれで買えるのならば、エスタ領も潤います。」
「そうだな。前に食べたものに比べて、酸味も心地よい。」
アルド・リゼウがそう述べると、コヴ・ニアはその手にもミカンを乗せる。
「少しお疲れなのでは、アルド・リゼウ。お顔が優れないように見えます。食も進んでおられないのでは?」
「そうかもしれん。帰路は馬車を用意させているので、ゆるりとしよう。道中の伴にミカンを幾らか頂いても良いだろうか。これならば口に食んでも差し支えがなさそうだ。」
コヴ・ニアはその言葉に頷くと、側に居た役人に伝を言いつける。
「まぁ、あれだ。そういう事かもしれん。という、自覚はあった。」
一連のやり取りにハッとした由佳が、幢子を呼び込んで栄治を問い詰めると、彼は観念したように自白を始めた。
「それらしい、と認識したのはこちらへの視察へ出たばかりでな。馬車の手配も慌ててした次第だ。食事の件は、ニアさんの機転に感謝しかないな。立場もあるしな。ただ、本人に自覚がなくてな。」
由佳が栄治の頭を小突く。場に巻き込まれた幢子は、一連のやり取りを途中まで何を指しているのか気づかずにいたが、萎縮する栄治と、気を立てている由佳の挙動を見て漸く思い至る。
「あっ!お目出度?」
由佳は幢子がここに至るまで会話の流れに気づいていなかった事に、溜め息を漏らす。
「そんな顔しないでよ。そういう縁は、私の身近にはなかったし。」
幢子の記憶にあるものといえば、遠い彼方にある妹の生まれた頃の事であったが、それはもうすっかり薄れてしまっており、自身の縁遠さがそれに拍車をかけていた。
「直ぐにエルカさんに頼んで、それとなく伝えて貰って、詩で祈って貰った方が良いっすね。」
リゼウ国の鉄鉱山の現場で一連の経験があった由佳は、その場の面々の一日の長として、呆れながら主導権を握る。
「そうか、そっち方面の手配も必要だったのか。完全に失念していた。」
「それもあるっすけど、オカリナを使った祈りに関しては、エルカさんが第一人者っすからね。ポッコ村が直ぐ側で良かったっすよ。具体的な今後の予定についてもその時に詩魔法師含めて一度相談したほうが良いっす。」
由佳に睨まれて増々萎縮する栄治の姿を、他人事の様に見ていた幢子であったが、直ぐに由佳に睨まれ気が付き、慌てて村へとエルカを呼びに使いを走らせる事になった。