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詩の空 朱の空(仮称)  作者: うっさこ
群雄割拠の舞台
207/249

潜入 石畳の上の墓

 冷たい雨が降っている。男たちはそれをただ無言でその音を聞いていた。

 あと少しで、豆が来る。それを信じて、雨が止むのを待つ。


 教会に広げられたその場で、ただ天井だけ見て過ごす。

 腕を失い、足を失い、それでも唯、生きているだけで、そこに並べられている。


 この身体ではもう、鉱山で働く事も叶わない。何ができるわけでもない。

 恐らく、無駄飯喰らいの自分に、豆を運んでくる者も居なくなるだろう事も解っていた。


 何もせずにそうして天井を見ていると、まだ賑やかだった頃を思い出す事も多かった。

 自分にまだ腕があり、自分にまだ足があり、そうして鉱山に入って、鉱具を振るっていた頃。


 銅が出れば、その日は豆が沢山振る舞われていた頃。

 その記憶の一番端っこに、黒髪で黒目の、気さくな娘が現れた頃。


 どこから来たか知らないが、奇妙な格好をしていた。


 彼女は、男たちに色を要求されながらも、それをいなして、うまく立ち回っていた。

 そんな彼女に絆されて、彼らは、彼女をどうにかこの掃き溜めから出してやろうと考えた。


 いつもは取り合いになる気晴らしの港町への買い出しを、それとない理由で全員が譲ってやる。

 二回、三回と送り出してやって、港町に顔を覚えさせる。


 そうして、今度は商人になる事を勧めて、男たちで持ち寄った駄賃を渡して、足しにしてやる。

 鉱山にいる政官役人まで、一緒になって考えた悪巧み。

 悪さをしてこの鉱山に来たやつも少なくはなかった。それが本気になって口車を考えた。


「買いに行くんじゃなくてよ、お前が商人になってよ、ここに運んできてくれよ。」

 天井を眺めながら自分に割り当てられた言葉を口にして、男は、涙が頬を伝ったことに気がついた。

 どこか遠くで、そんなあの娘の懐かしい声でその返事が聞こえた気がした。




「おっちゃんたち!いるか!」

 由佳が叫びながら教会の扉を開ける。

 そこには、他と変わらず、皮だったらしきものと骨だけの遺体が散逸し晒されているだけだった。


 声を張り上げて、由佳は、記憶を頼りに鉱山の各所を走り回る。

 ただ無人。そこに或るのは、遺体ばかりだった。


 たまり場だったはずの全壊した家屋も、詩魔法師がいて、怪我人が集まっていた教会も、鉱山の採掘場にも、白骨遺体が転がっているだけだった。


 冬期の冷たい風が吹き抜ける。

 そんな予感はしていた。そうである十分な理由もあった。


 由佳の予想通り、ちらりと見た記憶のある、掘られていた縦坑は埋められ、塞がれていた。

 だが、それが何で、どうなって埋められたのか、それを教えてくれる人すら居なかった。


 遺体の中には、腕や足の骨がない、そんな姿をしたものが少なくなかった。

 状況証拠に過ぎなかったが、それ以上、手がかりがなかった。

 だから由佳は、それで納得するしかなかった。


「おっちゃんたち。来るのが遅くなってゴメンな。」

 教会の片隅で、どこか他人のような気がしない、そんな腕と脚を失った白骨遺体の前に、由佳は膝をついて座り込む。



 リオルが教会の扉を開けると、そこで由佳は座り込み、目元を赤く腫らしている事に気がついた。


「こういう時ってさ、鉱夫が一番早いんだよ、死んじゃうのが。必死に仕事をして身体が大きいからさ、血の量も、食う量も、呼吸だって多いんだ。だから寒けりゃ真っ先に凍えるし、暑ければ一番にひっくり返る。腹が減れば一番最初の飢えるんだ。」


 由佳はリオルの顔も見ずに、それを口にする。


「それでも、銅が出てる間は、大事にされてたんだよ。有難がられてたんだよ。役人さんとも上手くやってたみたいだった。南の港町でも、怖がられてたけど、嫌われては居なかった。」


 リオルは森を南に抜けて、偶然にも直ぐ近くに目で見える場所に鉱山が見えて、走り出した由佳の姿を思い出した。その時の勢いは、すっかりと抜け落ちている様に見えた。


「崩落が起こったんじゃないかなって、そんなのを見た最後にここに来た時、少しだけ馴染みの顔と話したんだ。役人が変わったから、近づかない方がいいかも知れないって、言ってた。多分それは本当なんだろうけどさ、薄々、もうこの鉱山が危ないって、皆気づいてたんだろうなって、そう思うんだ。だから、逃げろって、そういって、アタシを遠ざけたかったのかも知れない。アタシも余裕がなかったから、気づかなかったよ。でも、そうなのかなって、今、思った。」


 由佳は、白骨になったその遺体の、遺された片腕の手の骨の上に、手を乗せる。


「でも、約束したんだ。買いに行くんじゃなくて、運んでくるよって。また豆を運んでくるって、深く考えもせずに、軽く約束をしたんだ。その約束は、それから色々あって果たせなくなって。それでも、この国の状況が、幢子さんの所から流れてきてさ、だから、約束果たさなきゃって、荷車に豆をのせて、夜通しで準備して、走り出してたんだ。」


 由佳の涙が、その頬を伝って、教会の石畳の上に落ちていく。


「遅くなってゴメンな。豆をここに置いていくよ。お代はここを出る時に、皆から貰ってるから大丈夫。また来るよ。今度は、仲間を連れて、ここに銅を掘りに来るよ。その時まで、このままになっちゃうだろうけど、許してくれよな、おっちゃんたち。」


 そう言って由佳は、荷車から移し替えて、背負ってきた乾豆の袋を四つ、その場に並べる。


「無駄足になっちゃったけど、ゴメン。我儘に付き合って、一緒に来てくれてありがとう。帰ろう。」

 立ち上がって、涙を拭って振り返ってそう言った由佳の言葉に、リオルは静かに首を横に振った。


「こういう事は、必要だろうさ。看取られる、看取ってくれる人がいる、惜しんでくれる人がいるってのは、死者にとっての救いだ。不要だと、切り捨てられ、見捨てられる最期よりは、その方がずっといい。」

 それは、この旅でシギザ領で打ち捨てられた遺体を散々と見てきたリオルの口から出た、素直な言葉だった。他にも思い浮かぶ情景は、いくらでもあった。


 それは、あの戦場で死んでいった、指揮官に捨てられた、バルドー国の兵士たちの末路だった。

 そしてそれは、ポッコ村に逃れてきたあの一家が辿るべきだった未来かも知れない。


 或いは、河内幢子が現れなかったディル領の領民の姿だったかも知れない。

 あのポッコ村の一件で、狼に敗れて、自分たちが辿った末路だったかも知れない。


「そうやって、誰かをいたむ奴の姿は、他の誰かがちゃんと見てるもんだ。そしてそういう奴は、信用されるし、信頼される。いつか困った時に助けて貰える奴は、そういう奴だ。助ける代わりに今度は自分の最期も悼んでくれってな。」

 リオルの言葉に、由佳は涙を頬に伝わせながら微笑むと、その場を惜しみながら、教会の扉を閉じた。

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