来訪者 政官の所存
「やはり、私達が聴いていた話と、事実は大きく異なっているようですね。」
取り乱した武官をそのままに、その横に立つ政官が一歩前へ進み出る。
「既にサザウ国に、シギザ領の一派は残っていない様子。となれば、コ・デナンの手の者の間諜活動も失敗をしましたか。対して我が国はどれほど偽りの情報を与えられていたか、解りませんな。」
政官は会場の中心で深々と礼を払う。その仕草を、一同は静かに見守る。
「まず、先の、我が国の進軍。これは征伐などと銘打っていますが、軍部が主導で行った、略奪を目的としたものです。ディル領を初め、サザウ国、ひいてはリゼウ国も豊作と聞き及び、我が国が得られるはずだったもの、この場合は、その収穫を取り返す、と国王に進言され、断行されたのです。」
「何を言い出すのだ!血迷ったか!」
政官の独白に、武官はその口を塞ぐかのように暴れ出す。
ブエラが指示を出すと、議場の入口に佇んでいた衛士が動き出す。
「話すら満足にできない者は拘束させて貰うよ。」
衛士は武官に掴みかかると、二人がかりでその両肩を抑え込み、縄を打つ。
抵抗をしようにも、衛士の力の強さに、武官は為す術無く、その両手首に縄を打たれる。
「体力差、だね。ジエさんが言ってた通り。寒いでしょ、この議事場。」
縛り上げられた武官の手首の細さ、唇の青さ、しきりに震えていたかの様な仕草を、幢子は見ていた。
「確かにここは冷えますな。我等に対する、何らかの仕打ちかと思いましたが、しかし、皆様はそうした雰囲気に見えない。着込んでおられる様にも、詩魔法師の姿があるようにも見えない。」
政官はそうして手の平と甲をすり合わせる。幢子の目にはその手足もまた、かなり厳しい状態のものに見えていた。
「私も、馬に乗った道中旅で、手足が冷え切ったまま戻りませぬ。恐らく、我等は疫病にかかったのでしょう。」
そう自笑する政官に対し、議場の貴族たちは俄に騒ぎ出す。
「疫病なんてないよ。ただの飢餓。食事量が足りてないんだよ。」
「その豆が、もうバルドー国にないのですよ。」
政官はそう言って空笑いを浮かべる。
「銅鉱山の長年の産出低下と、崩落事故とで、大国から豆を買えなくなったんだね。」
幢子の言葉を聞いて、政官は一寸、その目を見開くと、直ぐに表情を立て直す。
「豆が買えないから、中央の維持のため、冬も魚を捕れる漁村の豆を冬季に幾度も徴収する。他国から奪ってこようなんて考えをする。それでも次の一年はやってくる。次の一年は更に厳しくなる。だってその豆を奪う漁村は翌年にはないんだから。」
「そんな事まで掴まれていましたか。時勢を読み違え、コヴ・ダナウなど抱え込んだばかりに、取り返しの付かない事になってしまいましたな、我が国は。」
ブエラの傍に、幢子と共に佇むアルド・リゼウが、手振りで合図を送る。その合図を受けて、議場に兵士が一人やってきて、政官にそれを渡す。
「我が国で作った防寒着だ。」
「好意に甘えさせていただきます。こう寒くては、交渉もままならない。」
政官はそれを受け取ると、早々に羽織る。
議場の貴族たちはそれを見て、それが我が身の姿だったかも知れない事に恐怖する。
魔素と栄養価の改善は、ブエラの主導によって二年目になる王領でも漸く、効果が見え始めてきた所であった。
その成果には、昨年、独自裁量権を獲得するために、各領の詩魔法師たちが寄贈したオカリナが大いに貢献していた。
「欲しいのは、豆です。そして、疫病を乗り越えるための知識が欲しい。地震の復興すら、我が国はままなりません。今更ですが、それを脅して奪うつもりだけで、武官派閥も、戦になんてするつもりはなかったのです。しかし、ここまで一方的な結果であったとは、交渉も何も無い。」
政官は青い唇を浮かべつつも、目だけは気丈を保ちつつ、言葉を続ける。
「脅して奪うだけ?野盗じゃないですか、最早。国が、為政者がやることじゃない。」
ポッコ村を襲った野盗の件を、幢子は思い出し、拳を握る力が強くなるのを感じていた。
「賠償と言われましても、我が国は最早、差し出せるものはありません。王すら、王城で伏せっておられます。武官と政官で互いを罵り合いながら、恥を晒しながら生きているだけ。逗留していたコヴ・ダナウの姿も暫く見かけておりません。大国の伝へと逃げたのか、どこかで疫病に伏せったか。」
幢子は誰にも分かる溜め息を吐く。その仕草に、周囲の貴族は思わず身を縮める。
「必死に、賠償要求の内容を考えていたの馬鹿らしくなるよ。」
幢子の言葉に、沈んでいた政官は顔を上げる。
「せめてそれを聴かせて頂きたい。最早、無事帰国できるかすら、お約束できませんが。」
政官は、幢子を直視し、その青い唇を震わせて言葉を発する。
「国土割譲、銅の独占採掘権の撤廃、青銅の独占鋳造権の撤廃、青銅貨鋳造権の破棄、国民の割譲、向こう二十年の軍備提供、現国王の退位と新国王の任命権、スラール旧街道の自由開発権と三国の共有化、ヤートル原基の批准、北部森林部の伐採権と材木の所収権、王国で所有する全蔵書の供出。」
淡々と読み上げていく幢子に、横でそれを聞くブエラが自らの眉間をつまむ。
その仕草に、その場に臨席する貴族のほぼ全てが、内心に同意した。
「それならば、率直に併合、と言って頂けたほうが、ずっとマシでしょう、それは。」
政官もまた、一人議場の中央で、諦めたように苦笑いを浮かべ、それを尋ねた自らの目を伏せた。