商品としての価値
スラール
過去にサザウ国周域に存在していた。この時代より90年ほど前に滅んだ国。
国家としての樹立は二百二十年ほど前になる。周辺湾港を武力統一により成ったが、サザウの商業領としての自治、そして独立を契機に緩やかに解体、崩壊に至る。
王朝国家であり、建国から六十年ほどは強い国体を維持していたが、隣国との交易赤字により債務を重ねていき、貧窮に陥っていく。
サザウ国の独立を経て、西部国土を統治の遅延から辺境領と位置づけ、自治権を与える。
後にその西部が正式に独立。
これがサザウ国の西に広がり、エスタ領と接するリゼウ国となる。
残った国東部は鉱山を抱え、その採掘収支により国体は持ち直したものの、内陸の開拓に頓挫し、やがて増税、食糧難により国軍の離反を経て王朝が崩壊。
最後に生まれた国、王朝を武力排除により、成立したのがバルドー国。
シギザ領と接する国である。
割れた陶器。
盛られた大魚ごと、その破片は石床の上に散らばっていた。
「なんと勿体ない、見事であったものを。」
誰かの声がそう嘆く。
コ・ジエはその声が誰の声であるかを確認する気力はもう無かった。
「代わりの料理を持て。急げよ。」
誰かの指示が飛ぶ。同じ声である。その立場からこの交流会を主催する者であるのは間違いない。
そこまで気が追って、コ・ジエは顔を上げる。
声の主は、国王ラザウ・サザウであることに気づく。
目の前で、その最高とも言える機会が、商品が、一度に失われた事実が再びとコ・ジエを追い詰める。
放心するコ・ジエを置いて、時間が静かに流れ出す。
いつしか、コヴ・ラドが彼の背に立ち、その肩に手をやる。
彼には、目から溢れるその涙を止めらぬコ・ジエにかける声が思い当たらずに居た。
自らが男子の親として全くの経験がないことを、その無力感に、悔いるしかないでいる。
友人ならば、親友ならば、彼の正しくの父ならば、どう声をかけるであろう。
必死にその答えを探る。
どれだけの時間が過ぎたであろうか、二人の空間に、近寄るものが居た。
国王ラザウ・サザウその人である。
交流会の華やかな雰囲気に、似つかわぬその様子を気遣ってのことであった。
「見事な皿であった。残念でならない。その方が持ち合わせたものと聴いた、コヴ・ラド。」
知遇浅からぬ重臣に、ラザウ・サザウが悔やむ声をかける。
「王よ。私ではありません。我らが友、コヴ・ヘスより預かり、その名代であるこのコ・ジエと共に参った次第です。あの皿は、ディルにて焼いたもの。王領で需要があればと。」
若く、まして今のコ・ジエには荷が重すぎると、せめて助け舟のつもりで言葉を連ねる。
慌ただしく広間に料理が運び込まれる。
「おお、それは。」
ラザウ・サザウが二人を離れていく。
コヴ・ラドが肩を寄せ、にわかに自我を取り戻したコ・ジエは共にその背を追う。
「これもまた見事な器だ。同じような器をよく見つけたものだ。」
深い黒の大皿に煮込まれた大魚が盛り付けられている。
同じ皿とは言えないが、似通った色とは言えるだろう。
「王よ。私が偶然に持ち合わせたものです。この皿であれば問題はありません。」
そう返す声に、コヴ・ラドが目を向け、そして誰にも気づかれぬよう、伏して唇を噛みしめる。
「お前であったか、コヴ・ダナウ。よく来てくれた。」
ラザウ・サザウの差し出す手をコヴ・ダナウは強く握る。その蓄えた髭の顔には満面の笑みが浮かぶ。
「この皿ならば、あの様に割れることはありません。」
「それはどういうことだ?」
コヴ・ラドはコ・ジエの肩を強く握る。
コ・ジエにとってそれは、これから起こる事を黙して見よという事がなんとなく理解できた。
「この皿は鉄で出来ております。シギザでバルドーより販路を新たに築きました。」
「この黒い皿が、鉄で出来ているというのか。」
周囲で驚きの声が上がる。
鉄の大皿、それも黒い大皿という物珍しさから人が集まっていく。
「なんと、なんと間の悪い。」
コヴ・ラドは嘆かずには居られなかった。
あまり懇意とは言えない相手であるコヴ・ダナウが、ましてこの場を取り直し、そして優れた商材を持ってきている。商談としては完全な敗北であった。
自然と、コ・ジエの肩を握る手が力を増す。
それが、その痛みだけが、コ・ジエの唯一の味方であった。
次々とコヴ・ダナウの周りに話の華が咲く。
興味は商機へと変わり、そして商談の約束と成っていく。
コヴ・ダナウの一際大きな声と笑い声が、場に華となって添えられている。
もはや誰も「先程の見事な皿」など覚えていない。
あの悔やみの言葉をくれた王でさえも。
コ・ジエは歩き出す。コヴ・ラドは呼び止めようと一寸思い、思い留まる。
それが話題の中心とは反対の方角であったからだ。
その背中を目で追う。給仕に声をかけると、それを伴って、コ・ジエは会場を後にする。
流石に見過ごすことは出来なかったが、領主である自分がこの場を抜けることはそれ以上に不可能であった。
辺りを見回し、目当ての人物を探す。
「ニア。ジエ君を追いなさい。私はこの場を離れられない。」
窓際に佇み、どうやら歓談と交流に勤しんでいるとは思えなかった我が子を呼び止め、そう言いつけるのが精一杯であった。