来訪者 先王の遺言
二人の思考合わせを前に、机の上の砂時計は、静かに砂を落とし続けている。
「我が国では今年雨季を前に開示されましたが、新しい開墾技術も得られていないならば、豆の収穫量の減少が深刻化している可能性もあるかもしれません。飢餓の段階が、更に進行した可能性も。」
コ・ジエは、収穫量の低下に、領主であった父が毎年、頭を悩ませていたことを思い出す。
減っていく豆の収穫量が、それを補給港として提供し貨幣を得ていたディル領には痛手であったのは、彼にはもう、随分昔のように思えた。
「戦場で被害が出なかったのも、バルドー国では魔素消費の最適化がされてない、燃費の悪い詩魔法に加えて、体内の魔素量がそれほどなかったのかも。そこへ、無意識の飢えで思考能力が低下してたとか。後方の補給物資の積荷に火がついて、それで糸が切れちゃったっていうのもあるのかな。」
「恒常的な栄養価不足であれば、滑走や遠当ての詩魔法の付与に、身体が耐えきれないと言った可能性も。」
コ・ジエの思考補足に、幢子は頷く。
身体測定の結果を鑑みるに、そういった事もありうると思ったこと。
かつて、エルカから聴いた、村人たちが狼に立ち向かった際の有り様。
それらは線で繋がっていても、不思議ではない様に思えた。
「けど、バルドー国は大国と交流や貿易が出来てるでしょ。それで深刻化するのに時間がかかったとか、交流してる海峡の向こうの大国側で、何か大きな事件が起こったとか。」
幢子は最近頭を過るようになった、バルドー国の更に向こうへと思考の手を伸ばしていく。
「銅鉱山が崩落したかも知れないと言っていたのはユカ殿でしたか。銅や青銅貨を大国との交易の材料にしていたのであれば、銅鉱山の喪失や、通貨流通とその価値を調整していたサザウ国との断絶は、深刻かもしれませんね。」
ふと幢子は砂時計に目をやる。それはもう間もなくと、砂が尽きる所であった。
「こんな所かな。栄治さんが戻って来たら、リゼウ国がバルドー国とどういう流通関係だったかも情報が得られるかも知れないけど。」
話に耳を傾けていたブエラ老は、砂時計を懐に戻し、一つ、大きな息を吐き出す。
「或るべき姿に戻す。恐らくその大本は、スラールという一つの国、ではないかと私は考える。」
椅子の上で、身体をやや前に傾け、ブエラは膝に肘を乗せる。
「古くはバルドー国は武力と採掘、サザウ国は通商、リゼウ国は食料の供給という形で、役割をそれぞれが担っていた。それが徐々に、各々の国でそれらを賄い、僅かに足りない部分を助け合う形になっていった。世代を重ね、国としての自我、或いは、王族や貴族に自我が生まれていったのだろうね。」
ブエラが話す言葉に、幢子は表情を歪める。
「その不足部分がある互助の関係が、崩れたって事だよね、私達が現れた事で。」
幢子が口にするそれを、ブエラは首を横に振って否定する。
「どの道、サザウが腐り落ちて、崩れて居ただろうさ。お前さんたちが来るまで、それは時間の問題だった。リゼウ国につくか、バルドー国につくか。エスタ領はリゼウ国に近く、シギザ領はバルドー国やその向こうの大国と懇意であった。」
コ・ジエはそのブエラの言葉に、折々の事を思い出し、静かに唇を噛む。
「私も、その流れに飲まれて身動きが取れなかった事がある。私がコヴを退いたのは、王国の均衡を俯瞰して見える位置に立つ事で、それを永らえさせようとする、その一心であった。先王ラザウ・サザウでさえもその均衡を保つのに追われ、旧友であったヘスの心中の窮地に気づけんかった。先王が崩御した事で、サザウ国は中央から割れるはずだった。」
ブエラは椅子を立ち上がると、静かに陽の光が差し込む窓辺に向かう。
「しかし、そうはならなかった。それを私は、心底、良かったと思っている。だからこそ、お前たちには、伝えておくべき言葉が一つある。」
ブエラは、眩しい光を手で遮り、それでも目を細めながら、一つ息をつく。
「民は、お前たちに託す。死後、迷惑をかける。お前たちは、思うようにやって欲しい。先王は最早尽きようとしているその病床で、私と、ヘス、ラドの前でそう言った。それは最早、私しか知る者の居ない、先王の遺言のようなものだ。」
「故に、サザウの最後の王命は、以後、今尚、覆される事なく、ヘスを継いだお前たちに今もある。民のためを思うのであれば、それはこの国の誰に憚られるものでもない。ラドは復讐に狂ったが、その代わりに私は、ユカという代え難い後継を得て、その道をお前たちと共にまだ歩めている。向こう見ずな愛弟子に多少の苦労をさせられたとて、感謝しているのだ。」
「なら、由佳ちゃんには、ちゃんと戻ってきて貰わないとだね。」
窓際に立つブエラの姿を見て、幢子は自然にその言葉を口にする。
「では、私達がお役に立てるかも知れませんね。」
その声に、一同が声のする方に目を向ける。
異国の装いをした男女と、コ・ニアが、応接間の入口に立っていた。
「ねぇ、サウザンド、コージ。この方たちを助けてあげられないかしら。そうすれば、二人の必要な物を、私達は十分に用意できると思うのだけれど。」
続けてコ・ニアがそう発したのを、理解できたのは、その場では幢子だけだった。




