来訪者 ジエの知らせ
使者を王政庁へと送り届け、コ・ジエは滞在屋敷へと急ぎ足を向ける。
「ジエさん、助けて。」
幢子は、漸く応接間へとやってきたジエに、眉間にシワを寄せ、口元を歪め、手を伸ばす。
幢子の眼の前には差し迫った書類が高く積まれている。
それは、各所から届けられたハヤテの雑事の報告書類であり、それを持ち込んだのはブエラやハヤテの事務運営陣であった。
由佳が居なくなった事に対して、補填のような形で協力を気軽に申し出た所、その日の夕刻にはそうした書面が積み上げられていき、幢子はその書類に足止めされ、身動きが取れなくなっていた。
「ユカに、衛士を付けて送り出したと。」
報告を受けて、険しい顔で自分を睨みつけるブエラ郎に対して、コ・ジエは顔を背け目を伏せる。
「バルドー国の一党が目の前に迫っているような状態で、他に手段を講じる余裕がなかったのです。」
コ・ジエの話に、積み上がった書類を前にしながら幢子は、ため息を吐き出す。
「その場の判断としては悪くないが、衛士が越境をするとなると、また話が変わってくる。そもそも、ユカがそんな馬鹿な事を考えねば良かったのだ。なぜ私に相談もせずそんな事をしでかしたのか。」
目を細め、一際寂しそうに、ブエラが視線を泳がせる。
「由佳ちゃん、バルドー国の鉱山での事、ずっと思ってたみたいですよ。自分でも採掘事業に関わるようになって、いつかは目の届く場所に引っ張ってきたいと思ってたんじゃないでしょうか。」
身を起こして、また一枚、新たに書面を手に取りながら、幢子がそう言うと、ブエラはそれを一時睨みつけ、首を振って、改めて目を細める。
「ユカに迎えなり支援をやらねばならん。だが、私は王政庁の顔役として、バルドー国から来たという厄介な使者を相手にせねばならん。向かった先に衛士が一人ついたというのも、その使者の往来と、たまたま折が重なって得た、僅かな幸運と言えなくもない。誰かを咎めるのは間違っているというのは私も解っている。だが、こうして侭ならぬを許せぬのは、貴族一族の血というものだろうね。」
ブエラは腰掛けた椅子から身体を起こして座り直す。
「その使者がサザウに何を求めに来たのか、まずは聞き出さねばなるまいね。それに、リゼウ国の宰相も来ているのは都合がいい。釘を差して、事が済み、対策を講じるまでトウドに留まる様、伝えねばなるまい。」
「エイジ殿が来ていらっしゃるのですか?」
到着したばかりで、それを知らなかったコ・ジエが声を上げる。
「チャーハンの材料が必要だって、足りないものを集めに行ったよ。生の卵と、豆の油とか、あと、中華鍋なんてないから、代わりになるものも探してくるって。」
幢子が言うそれを半分以上理解できないながらも、コ・ジエは頭を抱える。
「使者連中がどういった目的で来たのか、聞き出すことは出来なかったのかい?」
ブエラに問われ、コ・ジエは静かに首を横に振る。
「武官殿が言う事は、或るべき姿に戻すとばかり。政官殿はあまり口を開きませんでしたが、サト川以西を見て、彼らは足を止める事が多かったように思います。」
幢子は書類から再び目を離して、コ・ジエの話に意識と耳を傾ける。
「気になる点ではありますが、彼らはトウドの入都門の待合列を見て、ひどく周囲を警戒しているようでありました。疫病がどうとか。」
「疫病かぁ。うーん。」
コ・ジエの話を聴いて幢子は頭に指を当てて、考え込む。鉛筆で紙を叩きながら、思考を巡らせていく。
「もしかして、栄養失調と魔素不足から来る飢餓状態を、疫病だと思ってる?後は、貴族病でもあっちの貴族で一度に発症して蔓延してるとか。」
幢子が独り言の様に言ったそれを、ブエラとコ・ジエが顔を上げて、言葉を追う。
「なるほど。或るべき姿か。その筋やもしれないね。」
ブエラは口を開き、懐から砂時計を取り出し、砂を寄せ、応接間の机にそれを立てる。
「コヴ・トウコ、ジエ、考えられる事を考えられるだけ言ってはくれないか。この砂が落ちきるまでに考えをまとめてみよう。」
ブエラが、砂時計の試しを自分に課したのを理解すると、幢子とコ・ジエは顔を見合わせる。
「私達は既に、三年前から対策を講じてきて、領民が食事に用いる豆の量や、不足する栄養価について試行錯誤を続けてきましたけど、それって、身体に蓄積される魔素も深く影響し合っているんです。栄養が足りなくなると、体調が悪くなって、あわてて詩魔法師に壮健を祈ってもらう。その詩魔法は身体にある魔素を消費して、不足した栄養価の代わりの様な変化を身体に与える。それで健康になったように見える。そこで話が終わってしまうのが、それまでの話。」
「トウコ殿が、身体、或いは土地の魔素の枯渇について危惧を呈されたのが、それとほぼ同時期でした。魔素が身体に十分に蓄積するまでの間に、再び身体に失調を及ぼす程の飢餓や外的要因が発生すると、詩魔法自体が効果を及ぼさなくなる、そうした事例をディル領でまず仮定をし、詩魔法による魔素消費の効率化と、栄養価改善についてリゼウ国、エスタ領と同時に取り組んだのです。」
「豆を食べよ、様々なものを食べよ、詩魔法はオカリナを使用せよ。そこの本質は、この国が、詩魔法に依ってぎりぎり生き長らえてきた、見えない飢餓を患っているからではないかと、トウコ殿とエルカは考え、裏付けを行ってきたのです。」
「で、栄治さんと豆のやり取りを始めた後に起こったのが、例の交易道封鎖騒動だったんだよね。あれで、ディル領から東側に行く独立商人が完全に居なくなって、リゼウ国と私達は孤立したように思ってたんだけど。」
幢子は、手に持った鉛筆を、手癖に上下ひっくり返す。
「もしかして、その逆もあるんじゃないかな。バルドー国は、そういう情報が得られてなくて、これを、疫病だと思ってるんじゃないかなって。それとは別に、サザウ国やリゼウ国や流通が止まった事で、得られていたものが十分に得られなくなったのかなって。例えば、豆とか。」




