火種を摘む
「ちょっといいかな。お願いがあるんだけど。」
窯場に現れた幢子が、馴染の男に声をかける。
そこに現れ、自分に話しかけてくる事が一大事と受け取った周囲は、見合わせて急ぎ、窯の火を止めようとするのを、幢子が慌てて止める。
「そんな大事じゃないから安心して。夜の豆を食べたら、エルカと一緒に教会に来てよ。待ってるから。」
急ぎその場を離れ、家で幢子にそれを頼まれたと家族に告げると、彼はまだ妻に抱かれるの幼子と、妻自身も連れ、家族揃って教会へと顔を出す事になった。
夜の食事を済ませると、窯場の仲間にその場を頼み、家族を迎えに行き、教会の前で待っていたエルカを伴って、その扉を叩く。
中には、幢子が身構えて座っており、その横に伴うようにコ・ジエが立ち、役人たちの姿も見える。
「あ、皆できてくれたんだね。ありがとう。」
幢子は家族を見て微笑む。彼の息子がいつもするように側に駆けていく。
「ちゃんと、お父さんとお母さんを助けてあげてる?」
息子がしっかりと頷くと、幢子が口元を緩めてその頭を撫でる。その姿を見て、側に立つエルカが微笑んでいるのは、周囲にとって安堵となった。
「トウコ様、お話というのは。」
母の腕の中の幼子を覗き込みながら、その小さい手に指を差し出している幢子に、彼は話しかける。
「昼間の話は聞いてるかな?バルドーから来た、家族の話なのだけど。」
炭焼き窯の騒動については、離れていたものの、彼の目に入っていた。そしてその顛末に、幢子がその家族と、エルカの件で揉めたことを、要所をかいつまんだ形ではあったが聴いていた。
「どうしたら良いのかってね。村の皆で考えてみて欲しいんだ。エルカと、あなたたちに、頼めるかなって。あっ、私の名前は極力出さないで、でも、必要なものがあったら遠慮なく相談して欲しい。毎日、豆と薪も持っていってあげて。」
彼は幢子の言葉を聞いて、俄に不安を感じ始める。
「しかし、どう関わったら良いものか。トウコ様のお力を借りずに、私達に何ができるでしょうか。」
「大丈夫。私がこの村にやってきて、今まで、色々な事があったでしょ。それを思い出しながら、どういう話をしようかな、どういう事が必要かなって。私が村に来る前の気持ちから、ゆっくり振り返っていけば、少しずつ、見つけられるんじゃないかなって思う。」
幢子は、母親に抱かれた赤子が眠そうに目を細めているのを見て、微笑みながら告げる。
「これから先、この村にはもっと色々な人達がやってくると思う。でもその時に、私が助けてあげられるとは限らないし、この村に居ないことだってあると思う。そうした時に、誰と相談して、どういう事をして、村を守ったり、やってきた色々な人達と上手くやっていけるか、考える練習だと思って欲しいんだ。今回は、エルカも一緒にそれを考えてみて。」
彼はその日頼まれた事を、夜通し考えた。その翌日も、心が決まらず、窯の前で考え続けた。
そうした中で、まずは関わってみようと思い至り、翌朝、河原に足を運ぶ。
陶器窯の面々は、暫くの当番を快く引き受け、相談相手になってくれると腕を組んだ。
妻は幼子を抱きながら、彼を快く送り出した。
彼の息子が付いてこようとしたが、その日は村の中にに居るようにいいつけると、その場は子供たちの輪へと走っていった。
河原では、家族が小さくなって、焚き火を突いていた。
冬季が近いことを思い出すと、彼はそれが寒さからくるものだと思い至る。
住む場所もなく、何かする事もなく。ただ、焚き火の前で陽が暮れていくのを待っている。
彼の目に入るその光景は、自分の記憶の何処かにもあった気がした。
それが何かわからず、話しかけることも出来ずに彼らを眺めてその日が過ぎた。
家に戻る途中で、水炊き豆の入った湯気を立てた鍋を持ったエルカとすれ違う。
そのエルカが帰ってくるのをその場で待って、彼は声をかける。
「トウコ様は、私が請われるままに詩を唄おうとしたので、それを怒ったのです。」
エルカはその日あった事を、彼に告げる。
「良く知らないオカリナの詩魔法に、不安のようなものがあったのでしょうね。でもその不安は、ずっと引きずってはいけない、そういうもので、彼らのために詩を唄えば、彼らにとってオカリナの詩魔法をずっと疑ったままになると。そうすれば、私の身体にも、あの家族の身体にも、良くないのだと、それで、引き止めてくれたのだと思います。」
夜の道を月の明かりを頼りに歩きながら、エルカは彼に話す。
「覚えていますか?トウコ様が昔おっしゃられた、『知識の壁』の話。」
言われてその言葉を思い出し、彼は、それを言ったエルカの顔を覗き見る。
「『知識の壁』がある私達を、トウコ様がどう見ていらっしゃったのか。多分それが、私達が今、見ているものなのではないでしょうか。」
エルカと別れ、彼は月の明かりの下を家へ向かって歩く。
そうした中で、もっと村の人達と当時の事を話してみるべきだと考え始めていた。
まずは家族と。次は仲間と。
或いは、冬に手伝いで村にやってきた青年たちと。合流した別の村の者達と。
そうした記憶を掘り起こす懐かしいココロの旅の中で、彼は、粘土を手に取る。
月明かりの差し込む窓辺に飾られた、砂鉄継ぎの大皿を時折眺め、そしてまた粘土に向かう。
翌朝、そこに出来上がった皿と、器の土器の種。
それを何処で焼いてもらおうか、施釉はするべきか、と考えて居る内に、彼の妻は幼子を任せて、黙ってそれを手に、炊き場へと歩いていった。




