豆を育てる以外の生活
彼らは二の豆の作付けに参加できなかった。
彼らが遠く離れたリゼウ国にやってきて、一年が過ぎようとしていた。
泣く子をあやしながら、気の立った仲間を宥めながら、何日も歩き続けて。
そうして、あの川の側で、やっと足を止めて豆を得て。
一年の間に、居なくなった仲間が居たことも解っていた。
彼らにとって特に印象的だったのは、しきりに我が子を捨てる様に言い続けていた男だった。
リゼウ国の面々は彼らに、徐々に警戒を解いていった。
三の豆の収穫が行われる頃には、同じ様に領を追われて逃げてくる者は目に見えて減っていった。
時折、姿を消して戻ってこない者が居たが、そういう連中がどういう者なのか、次第に察していった。
それに気づくようになったのも、畑を耕し、豆の水炊き汁を食べ、良く眠ることが出来た影響だと実感していった。
領の村に居た頃は、空腹を詩魔法師に頼んで誤魔化す様な苦しい生活を、ここ数年続けていたからだ。
そうして、あの冬季がやってきた。
残った全員が、ここで自分の命運が尽きるのを覚悟した。
しかし、農作業が出来ない子供に至るまで配られた防寒具、羊や鶏の世話仕事、収穫された綿毛や羊毛の加工など、忙しくも温かい日々の中で、領で過ごしていた頃のような、明日に怯える夜は無くなっていった。
冬期の終わり、雨季が始まる前。
自分たちと一緒に一の豆を作付けしていた兵士たちが、槍を手に城を出ていった。
何かが起こっている事は解っていたが、それに関わる事より、今の安心できる明日を手放す恐怖の方が、彼らにとっては怖かった。
地震が起こり、北の山が煙と火を吹いた。
残された彼らも大きな騒ぎになった。
それでも、一の豆の収穫を前に、旅立った兵士たちが、無事帰ってきた事を手放しに喜び、共に振る舞われた鶏の丸焼き肉を囲んだ。
そうして、次の一年が始まるのだとばかり、彼らは思っていた。
しかし、彼らに二の豆を作付けする機会は与えられなかった。
彼らに与えられたのは、一年を過ごした畑ではなく、土を掘る仕事だった。
家族も連れられてきている。井戸や、簡素だが雨風をしのげる程度の東屋などが建てられていた。
再び、先の見えない日々が始まるのだと、誰もが感じていた。
「始まってるっすね。」
彼らの前に現れたのは荷車を引いた女の独立商人の一団だった。
「あ、豆とか、干し肉とか、鉱具とか運んできたっす。手伝ってもらえるっすか?」
「細川由佳っす。ここで仕事をする人たちの監督を任されて、しばらくここに滞在するっす。」
そう言われ、集められた彼らは目の前で広げられた鉱具や食料の多さに驚く。
「現場見せてもらって、皆で上手くやっていけるように、一緒に考えさせてもらうっす。色々考えて用意してきたっす。けど欲しいものとか、困った事があったらすぐに教えて欲しいっす。」
独立商人の娘は、ただ指示をするだけでなく、時には自分も作業に加わった。
数日置きに、王城からの使いが荷車に豆や干し肉を積んでやってくる。その対応をするのも商人の娘だった。
食べる豆の量も、干し肉の量も同じ。彼らの子どもたちが口寂しそうにしていれば、干し肉の袋から肉を一つ取り出して、その口に放り込んでやったりもする。
怪我人が出れば詩魔法師を呼んでくるのも、年老いた世代が身体を傷めれば肩を貸したのも彼女だった。
彼女が休憩を呼びかけるのも、その日の作業の終わりを告げるのも、食事や、眠る時間を告げるのも、その場の全員の様子を見ていて、決して無理なものではなかった。
そして、土を掘り、石を除け、時折混じった、赤く重い石を荷車に積んでいく。
一杯になった荷車が連日、そうやって何処かに送り出されていく。
「いいっすか。これが赤鉄鉱っす。これが、皆の食べる豆や干し肉と交換して貰えるっす。」
最初は見分けがつかなかったそれを、彼らは次第に分かる様になっていく。もし解らなければ、それを彼女に尋ねれば、決して怒ることなく教えてくれる。
稀に抱えきれないような大きな塊が掘り起こされれば、彼女と一緒にそれを割る。
乾季に入って珍しく雨が降った日、積み上げた土の山が崩れて大事になった時も、陣頭指揮を取って犠牲を出さなかったのは、彼女の手腕だった。
崩れて埋まった鉱脈を、笑いながらまた一緒に掘り返す作業をしたのも彼女と一緒だった。
掘り返した土の、崩れにくい積み上げ方を一緒に考えたのも彼女とだった。
時折、建材が運ばれてきて、東屋がいつしかまともな家屋になっていった時も、煉瓦で組んだ共同の炊き場が出来た時も、それを手配したのが彼女だと、その頃には誰も疑っていなかった。
長く連れ添った、老いた父や母が永い眠りについた時も、それを一同と一緒に弔ったのは彼女だった。
彼らは二の豆の作付けに参加できなかった。
しかし、豆を育てる以外の生活の仕方や、食べ物の得方を教えてくれたのは、彼女だった。
「自分なんてまだまだっす。もっともっと凄い事、やってる人いるっす。」
改めて感謝の言葉を述べられた時、彼女は歯を見せて笑いながらそう返す。
そうして、ゆっくりと乾季は過ぎていき、急ぐように冬季がやってくる。
「また来るっすよー。」
代わりの人員だという独立商人の男と、暫くの間、仕事を共有して引き継ぎを済ませ、彼女は去っていく。
彼らには、しっかりした口調の彼女に比べ、代わりに来た青年はひどく頼りなさげに見えた。
冷たい風が吹き、赤い夕陽の射す中、時折振り返って手を振る彼女を、彼らの子どもたちは涙を流しながら懸命に手を振って見送った。
そうして彼らは、今日も土を掘る。石を掘り返しては、赤鉄鉱を荷車に積んでいく。




