初めての戦い 群像劇の舞台裏で
五つの影が、森を走る。それは正に、必死であった。
バルドー国から遠征をしてきた。部隊に潜んで、或いは武官への陳情という形で、サザウ国との戦争に端を切らせる。略奪をさせる事で双方に戦争を避けられない、そんな道筋を演出する事が、与えられた役割だった。
戦争が始まれば、軍備に余念がない、バルドー国が優位に立つとばかり、そう思っていた。
しかし実際に戦端が開かれれば、サザウ国の衛士に翻弄され、指揮をしていた武官は戦場を逃げ出した。
その段階で、彼らは部隊を離れ、事の成り行きを見守り、情報を持ち帰る算段に入った。
自分たちが、敵に発見されたのは、正に不運だった、としか思えなかった。
後方の輸送隊をリゼウ国の兵士が壊滅させている。
その襲撃の一部始終を見届けた時、状況は自分たちが思っている以上に、危ういのだと感づいた。
そして自分たちの想像以上に、バルドー国が脆弱化しているのも否応なく思い知った。
この情報は持ち帰らねばならないものだった。そのために身を潜めていたはずだった。
「がッ!」
共に走っている仲間の一人が、膝から崩れ落ちる。それを即座に諦め、見捨てて走る。
倒れた男は後頭部にナイフを生やして、そのまま絶命していた。その判断は正しかった。
「ひッ!」
一人の足に激痛が走る。
「連れってってくれよぉ!連れてってくれよぉ!」
足を止めた自分を置いて、振り返りもせずに走っていく仲間に声と手を必死に伸ばす。
その背中が見えなくなった頃、喉と背中に激痛が走り、そのまま自分から命が流れ出していくのを感じ取る。
辺りは暗くなっていた。夜に身動きが取れなくなるのは避けたかった。
呼吸を求める喉を必死に押し殺して、汗を体中から吹きながら、木の陰に隠れる。
他の仲間の影は、もう近くになかった。それを確かめる手段も、理由もなかった。
「お困りでしょうか?」
それを自分に問う声がする。即座にそれが、幻聴であるか幻覚であるかと切って捨てる。
「もう、貴方お一人です。多分助からないと思いますよ。」
幻聴は、今の自分の有り様を的確に指し示す。
「た、助けてくれぇ。」
男の心境は、藁にも縋る思いだった。得体の知れない、誰の声かもわからない、そんな幻聴に縋って、拾える命があるのなら、それに賭けるしかない心境に追い込まれていた。
「ごめんなさい。時間切れみたいです。」
その目に、白いラフドレスを纏った、銀糸のような髪の女性が確かに映し出される。
そこへ必死に手を伸ばす。もう一度助けを乞おうとした、その瞬間、首筋から勢いよく命が吹き出していくのを、自覚する。
「なんでこんな場所に居る。」
木の幹に倒れ込んだ男の確かな絶命を確認し、京極栄治は、木々から溢れる月明かりの下に姿を映しているコ・ニアに向かって吐き出す。
「トウコさんにお手紙で、お手伝いを申し出ていたのです。森に詳しい知り合いが沢山居るので、お声をかけましょうか、と。」
その言葉に思い当たるいくつかの節を重ねて、栄治は深い溜め息を吐く。そして額の汗を拭う。
「キョウゴク様は、もしかして、忍者だったりしますか?」
栄治はその問に、思わずツバを飲み込む。その問いを、自分自身も、古くに誰かにした事を思い出す。
「そんなんじゃない。ただ、呆けた爺さんたちの末期の道楽につきあわされただけの事だ。」
そう述べつつ、栄治は周囲の気配を探る。少し離れた場所に、ただ静かに立つ気配を感じ取る。
「だ、そうですよ。ご心配なさらず。コヴからお借りしている森の案内人の皆さんです。」
コ・ニアは静かに一歩、一歩、栄治に近寄っていく。
「もう逃げて回っている、バルドー国の兵士は居ないかと。」
「そうであったら、助かるがな。」
栄治はコ・ニアに背を向ける。途中で置いてきた直属部下の兵士と合流し、もう少し散策を続けるつもりだった。
「あんた、元、日本人、或いは、地球人だったりするのか?」
ふと思い浮かんだ疑問を、栄治は振り返らずに投げかける。
「そういう方がいる、という話は聞いた事があります。けど、私は違います。」
「ほぅ。今度詳しく聞きたい話だな。だが、今は止めとくわ。」
コ・ニアの言葉を背に、栄治は地面を強く踏み込む。
そして、その場に彼女だけが残される。
「凄いですね、トウコさん。こんなに凄い方だとは、思っていませんでした。」
「私も、河内教授について詳しく知っているわけではない。まして、どうにも知っているよりも些か若い。時代が違うようだ。或いは良く似た別人か。」
「サウザンドに実際に会って貰って、お互いの印象を聴いてみたいです。」
「またそれか。そんなに会いたいのか。」
「もうすぐなのです。会いたいですよ。ずっと、ずっと。もう一度会いたい。ずっと一緒に居たい。」
「でも、物語はここで、もう一幕。」
コ・ニアは一人、森を歩く。
歩いた先で、木々が開けた、月明かりの照らす、小さな広場へ進み入る。
その中心に立って、足を止める。
『 Near, Near, Hope it , print to gone days. 』
強く、強く、願い、祈り、ただ一節の詩を、唄い上げる。




