表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
詩の空 朱の空(仮称)  作者: うっさこ
スラールの転機
173/249

初めての戦い 健やかなるを祈る

 エルカは、霧雨が降る中、迫りつつあるそれを、思いながら、心を落ち着けていた。


 幢子に任された、衛士たち二百名の、命。

 共に支えてくれる、衛士付き詩魔法師たちも居るものの、それを預かる重責。


 それでも、そこに立っていたのは、過ごしてきた日々と、経験に依る、自身の成長だとエルカは感じていた。

 怯えも、怖さも、不思議と無かった。そこにあるのは少しの不安だけだった。


 戦って、勝つための策も、備えも、ここにこうしているまでのあらゆる支援も。

 幢子がそれを考え、準備し、或いは調整している所を、エルカは側で見てきた。


 幢子のしてきた全ての事に、自分たちは期待し、その結果を信じてきた。

 そしてそれを手伝って来た事と何も変わらない。その事に、強く自信を持っていた。



 霧雨が降っている。こうなると、オカリナは使えない。

 しかし、エルカはそこに不安はなかった。不安があるとすれば、幢子の無事だけだった。


 同じ様に雨が降っていたあの日。

 あの日も、憧れていた詩魔法師は、一の豆の苗を前に、豊穣を祈り詩を唄っていた。

 あの頃に、この首から下げたオカリナがあれば、今の自分が彼の傍に居たならなと、エルカはあれから何度も夢に見た。


 同じ様に雨が降っている今。

 事前に、戦場には、昨年収穫した、強い一の豆が蒔かれている。


「始めます。」

 エルカがそれを言うと、衛士長は全員に合図を送る。

 エルカの目、その遠くには、バルドーの兵たちが見えている。それは現実であった。


「らー。らーららー。」

 オカリナを用いない事に、詩魔法師たちは、ハッとする。

 事前の打ち合わせでは、雨であっても、オカリナを用いることになっていたからであった。


 エルカはオカリナでそうする様に、自らの声のチューニングを取りながら、ヘッダーの音階を紡いでいく。

 幢子がそうする様に、そうして自分と、詩魔法を研究したように。

 自分の心を、その思い描く幢子の姿と重ねて。


『芽吹けよ、豆よ。雨季は来たれり。』

 思い描く。あの時、憧れた詩魔法師は何を願って唄っていたかを。

『豆の目覚めは、人々のかて。』

 詩は、きっと、歌詞以上の意味を持っていたのだと。

 音を奏でるオカリナは、音階に願いや歌詞を思い描く。だから余分なものはない。

『芽吹けよ、豆よ。日々は来たれり。』

 けれど人が歌詞を口ずさみ、それを詩とすれば、歌詞は、歌詞以上の意味を持つ。

 誰を思って唄うか、何を思って唄うか。そういった感情も、魔素と一緒に流れ出す。

『豆の目覚めは、明日へのかて。実りし豆は、我らを育む。』

 あの日、倒れたあの人は、何を思って歌詞を口ずさんだのか。

 それは、もしかしたら、詩魔法に憧れ、それをせがんだ自分が、健やかに育つを願って、この歌詞を唄ったのかと。


『芽吹けよ、豆よ。明日は来たれり。』

 エルカは身体から魔素が多く流れ出すのを感じる。

 それはオカリナでの放出に慣れてきたからこそ、より確かに自覚でき、そしてその量を自分でしっかりと手繰ることが出来た。

 

 本来ない、三節目を口ずさんだ時、その歌詞を自身で考え、紡いだ時、エルカは強く覚悟する。

 

『豆の目覚めは、我らのかて。共に願うは、この詩を。』

『この地を住まう全てのものに、健やかなる明日を。』


 エルカは手放しそうになる意識を支えながら、詩にフッターを紡ぐ。

 魔素の流出が急速に収まっていく。

 顔が上気し、額に汗が吹き出るのを感じ、そして背筋に寒気が襲ってくる。


「エルカ殿!」

 近くに居る詩魔法師たちが慌て、魔素を分け与えるために、オカリナに口を当てる。

 しかしそれを、エルカは手で制す。


「大丈夫、です。それより。」

 倒れ込まないように膝に手を当て、身体を支えながら、エルカは指差す。



 戦場が出来上がり始める。

 幢子が想い描いた、その舞台が、完成の時を迎えようとしていた。

 エルカの祈りに答えるように、それ以上に、広く、高く、豆は苗となり、苗は水を吸って伸びていく。


 そして、それに応えるように、霧雨は止み、雲の切れ間から陽の光が射す。


「すぐ、息を整えます。大丈夫、です。作戦を、始めてください。」

 エルカの表情とその言葉に、詩魔法師たちは意識を切り替える。


 懐で濡れないようにしていたオカリナを持ち、衛士たちに滑走の付与を願い始める。


「私は、唄いきれました。やっと、貴方に、追いつけました。でも。」

 エルカは、首から下げ、服の下に隠していたオカリナを手に取る。吹き口に唇を当てる。

「私は、もっと先へ行きます。トウコ様と、一緒に。」

 エルカは願う。祈る。そうして音階を奏でる。この舞台が無事終演を迎えられるように。


 陽の光が、少し冷えた身体に心地よく感じていた。

 エルカの身体を支えるように、それは正面から全身へと降り注いでいた。


「作戦開始だ!」

 そんなエルカの姿に目を奪われていた衛士たちに、衛士長の激が飛んで、各々が飛び出していく。


「エルカ殿、まだ始まったばかりだ。今は無理をせず、息を整えてくれ。うちの詩魔法師たちも触発されて張り切っている。活躍させてくれんと、立つ瀬がない。」

 衛士長は振り返らずに、背を向けたままエルカにそう伝えると、自らも槍を構えて飛び出していった。


 海からの一陣の南風が戦場に吹き込み、霧を晴らすように、一面の草を扇いで駆け抜けていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ