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詩の空 朱の空(仮称)  作者: うっさこ
スラールの転機
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詩魔法師たちのその一歩

 幢子たちがいよいよの開戦と、慌ただしく書面や伝達と格闘を始めだしてすぐ。

 詩魔法師のエルカは、ブエラに連れられ、王都の中を歩いていた。


 その建物が近づいてくる。

 それはエルカにとっては、恐怖と尊敬の混在する、あまり好んで近寄りたい場所ではなかった。



「こんな事態だ。急いだほうが良い。コヴ・トウコと共に居たいのだろう?」

 その言葉に頷きこそしたものの、彼女にとってその場所は、苦い思い出もある。


 王立学校を詩魔法師を志願するものとして卒業したエルカは、学校の授業とは別に、詩魔法師となるための適性試験や、技術的な指導を受けていた。そんな中で、この詩魔法院には幾度となく足を運んだ。

 先輩となる優秀な詩魔法師。その面々は眩しくもあり、憧れでもあった。


 しかし、エルカは優秀な詩魔法師の才を持ち合わせているとは言いがたかった。

 少なくとも、その当時の詩魔法院では、魔素放出が長く続かない事から、同年代でもかなり下の実力と格付けされていた。


 王立学校の卒業を果たし、その証書を手に詩魔法院に向かったエルカを待っていたのは、同じく詩魔法師を目指した同級生たちとは別れた個別の対応であった。


 結果から言えば、その場で待っていたのは詩魔法院の先輩たちではなく、ディル領の役人であった。

 そこで言い渡された事は、故郷の村の詩魔法師の配置転換と、自身の配属である。


 そのまま、村へ戻ることになり、数日の引き継ぎを経て、エルカはその場に一人残される事になる。


 故郷の村に帰ることに不満はなかった。既に父も母も誰一人家族もなかったが、当時の村長はエルカの帰還を喜んでくれていたし、村人たちもそれは同様だった。

 ただ、自分にはそれが実力不足である事も、また詩魔法院でもっと学ぶべき事があったのも、理解していた。

 自分が憧れ、当時この村で息を引き取った、親代わりとも言える詩魔法師。エルカの心では、その姿はもっと大きく、その才は自分よりも遥かに豊かであったと、確信していた。


 自分程度の新人が、村を任されてよいのだろうか。そんなもので務まるのだろうか。

 それは、恐らくあの日が来るまで、エルカの心の殆どを占めていた感情であった。


 そして気づいていったのだ。王立学校の卒業、その日までに、既にもう決まってしまっていたのだと。

 同級の詩魔法師たちは交流と称して、詩魔法院の諸先輩方と新興を深め、自分の存在を覚えさせていく。その時自分は、懸命に勉学と、詩魔法を学んでいただけだったと。


 村人出身である自分には、王都の詩魔法院に所属するための、儀礼の様なものは何も持ち合わせていなかったのだと。


 だからこそ、優れた詩魔法師に覚えられ、可愛がられ、その指導による実力を伸ばしていった同級生たちにも劣り、無名の詩魔法師になってしまったのだと、村で豊穣を祈り、唄いながら気が付いた。


 エルカにとって全てが変わったのは、あの狼に対する愚かな挑戦と、それから救ってくれた幢子の存在であり、当時の詩魔法院に対する憧憬どうけいはそれが徐々に、幢子に置き換わっていった。


「どうしたんだい?」

 詩魔法院の戸に手をかけたブエラを前に、距離を置いてエルカは足を止める。


「私が居るべき場所は、トウコ様の傍です。ここじゃありません。」

 エルカの胸中に、ブエラに取り立てられ立場を持った細川由佳や、望まれその地位を手に取った幢子の姿が思い浮かぶ。


「お前の所属は詩魔法院に収まったままだ。その限り、お前は詩魔法院や王国から命があれば、それに従わねばならない。望むのであれば、お前はお前自身を、それから開放せねばならない。」

 エルカはブエラの言葉に、白濁した意識からにわかに冷める。


「本来なら、コヴ・トウコがこの場に付き添うのだと言って聴かなかった。だが、あれの多忙は今、その時間を捻り出せないでいる。こうしている時間にも、期限は迫っている。お前に目をつけている王領の貴族連中がいる。お前が自分で決着を付けてきたと、そう伝えてやれば、アレの心配が一つ減る。」

 エルカは自身の心に、熱が宿るのを自覚する。一歩、そしてまた一歩その場へ足を踏み出す。


「そのためのお膳立てと勝つための算段は、コヴ・トウコと三領がしてやった。お前が一歩踏み出せば、お前がそれを成し遂げれば、お前の背を追って、そこに多くの者が続く。この国の今年の豊穣を祈り、見事実らせたのは、お前だ。お前たちだ。誰にも恥じる事のない自分自身に、自信を持て。」

 エルカはついに迫った、その門に自らの手を当て、歩みとともに押し出す。



 王都の大掃除に依って、空席のまま機能していない詩魔法院の人事権、並び、それの意を組んでいた王権、その両方が停止していた。

 しかしそれでは、詩魔法師は有事の際、それまでに発行された職務に縛られ、全く身動きができなくなってしまう。


 幢子はエルカのために、エルカのためだけに、数多の議事に紛れ込ませてそれを提出し、そのための根回しと調整に奔走した。


『詩魔法院所属の詩魔法師の、任意による独自裁量権入手を、詩魔法院、王国への貨幣寄付、或いはそれと同量に値する貢献に依って、可能とする。』

 幢子が、身請け、と内心で称し、それを提案した際には、三領の役人はほぼ全てが両手もろてを上げ賛同し、王領の役人や貴族たちは、爪を噛み、口を曲げた。

 抵抗もされたが、続く議事で衛士隊が所属の詩魔法師の補充を王領のそれに求めることを匂わせると、それらは閉口し、採択を迎えることになった。


「村の子供達とか、私も、詩魔法使えちゃうのだけど、まぁ、ディル領で実態ボカして纏めて権利買えばいいでしょ。有事だよ有事。いっそ、まっさらな別組織でも作る?この際だし。」

 議事での採択を終え、その場に添うコ・ジエにそれを述べた時、彼は、目頭を押さえ、長く深いため息を吐き出した。



 こうして、詩魔法師エルカは、「自身の育成費を参考に捻出された」と称する貨幣額に対し、ハヤテが運んできたオカリナの内の数本と、その場で書いた豊穣を祈る詩の楽譜を叩きつけ、晴れて独自裁量権を得て、書面をもぎ取るなり、ドアを勢いよく押しのけて、院から走って出ていった。


 急ぎ呼び集められていた、衛士隊やセッタ領の農村所属の詩魔法師たちは、ブエラから身請け代となるオカリナを受け取りつつ、そのエルカの満面の笑みと全速力を見て、以後それを、理想とする様式美、と持てはやし語り継ぐ事となった。

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