物語の主人公
「すこし、エルカとお話させてもらっていいですか?」
幢子が学長にそう問うと、学長は近くの部屋へと案内する。そこはこの時間は使われていない講堂であった。
髪を乱したまま、そこに静かに座った幢子に、釣られるようにエルカが隣に座る。
エルカがどうしたら良いか判らないままでいると、そこへ幢子が肩を凭れ掛かる。
「エルカには、何度か千ちゃんの話、してるよね。」
雨の音だけが響く、静かな講堂で、幢子が話し始める。
「トウコ様の、妹様、ですよね。チトセさんのお話。」
エルカが、唸き言葉を返すと、幢子は黙ったまま頷く。
「千歳とはね、仲が良かったんだよ。でもそれは、ちょっと前までの話。千ちゃんは恋をしたんだよ。」
「千ちゃんが中学校に上がった頃だったかな。あれはきっと好きな人が出来たんだって、そういうのに気づけたのはお姉ちゃんだったからかな。それまでは、私を見て、私といてくれた千ちゃんが、はっきりとね、姉離れをしちゃったの。」
「ニアさんが言ってたでしょ。私の妹が、エルカよりも活発で、行動的で、意志の強い方なんじゃないかって。そんな事が分かる人がいるんだって、ビックリしたんだよね。」
「千ちゃんは恋をしたんだよ。びっくりするくらいに大人になって、夏祭りでおめかしをしたり、私の知らない年上の人と話したり。ああ、あの人が好きになったんだなって。」
「その後ぐらいに、大きな地震があって、少し離れた場所に学校へ通ってた千ちゃんがね、その男の人に連れられて帰ってきたんだ。私はすごく心配して、迎えに行かなきゃって思ってたのに、不安そうな顔もしないで、大冒険をしてきましたって、そういう顔で。」
「きっと、千ちゃんはね。物語の主人公になったんだよ、その時にね。だから、お姉ちゃんの役目はそこでお終い。私は一人ぼっちになったんだ。」
淡々と話す幢子が、寒さに震えているかの様に、エルカの袖を掴んでいる。それに気づいていて、エルカはただじっと、幢子の話に耳を傾ける。
「私はね、自分が世界から、少し浮いてるってわかってたの。まるで別の場所から連れてこられたって感覚があってね。だから、世界にすごく興味があって、見るものや触れるものがどうなっているのかって、凄く興味があったんだ。後もう一つ。何処か遠くに、会えない誰かが居て、その人がすごく好きって感覚。だからね、恋っていうのがどういうものか、何となく解っていたし、その相手が見つかった千ちゃんが凄く羨ましかった。予約されたまま、使われる宛のない心を抱えたまま、一人ぼっちになった私は、好きな世界の研究だけをやってきた。色んなものを俯瞰して見てたんだよ。」
「だから、この世界、この国に来た時、少しだけホッとしたんだ。それで、エルカと会って、皆に頼られて、信じて貰って。それで満たされて、充実して。だからね、後悔とか未練はないんだよ。」
「それでもね、さっきの詩。あの詩を読んだ時に、それを、この世界で唄った誰かの、強い感情をぶつけられた気がしたの。好きな人に会いたいんだ。もう会えないかも知れない、その人に会いたいんだって。諦めきれない気持ちが張り裂けそうになって、それが詩になって、この世界に詩魔法として解き放たれたんだって。」
「だからね、今もそれが包むこの世界は、訪れる異世界人に、どこまでも優しいんだって。言葉の壁がなくなってしまうくらい、それが奇跡になって、今も伝えられてるんだって。それが恋とか愛の力なんだ、物語の主人公の力なんだぞって、アレは、一人ぼっちになった、私には刺激が強すぎたかなって。」
「トウコ様は、一人ぼっちなんかじゃないです。」
言葉の端々に解からないものがあるのを置いて、エルカは幢子の手を握る。
「ありがとうね、エルカ。それと、こんな姿見せちゃって、ごめんね。」
エルカは、いつの間にか、幢子の震えが収まったのを感じていた。
「あの本の事は、また今度、でいいかな?今はちょっと、まだ無理そう。」
「はい。でも、あの本の事を、トウコ様にお伝えしてよかったのでしょうか。」
「良いに決まってるよ。エルカがそう思ったんだから。これは、私個人の問題。ずっと先送りしたり、見ないふりをしてきた、私の問題だよ。それに、この世界に、詩魔法がどうして、どうやって生まれたのかも、あれだけで大分解った気がする。」
雨の音が響く講堂で、幢子は鼻をすすって、席を立つ。
「教えてくれて、ありがとうエルカ。傍に居てくれて、いつもありがとうエルカ。」
幢子はその両腕で、エルカを上から抱きしめる。その柔らかさと温かさに、人肌の実感に、幢子はココロが落ち着いていくのを実感していた。




