変わり始めた意識
漆喰
焼いた石灰と水、骨材となる砂や砂利を混ぜ化学反応により練り上げた接着性のある建材。
地域によってはこれに有機物や繊維を混ぜ保湿性を高めたものも存在するが、古来より切り出した石材、煉瓦などを接着し隙間を埋め、建造物の耐久性・保温性を高める際に用いる。
石灰には、貝殻を砕いたもの、石灰岩を粉砕したものなど様々にあるが、海洋の近い地域では食用とされる貝殻より安価に調達できるため、地域による用途別の改良や試行錯誤が多く重ねられる。
コ・ジエが荷車より受領した木桶の中には大量の貝殻が積載されている。
それを察知した幢子は思わず歓声を上げた。
草布の袋に詰め込み石の上に叩き、細かく砕いた貝殻を凹状に広げた土器皿の上に継ぎ足していく。
それを皿ごと炉に備えて、弱い火で粉末を炙り焼いていく。
炙り焼いたそれを、草布の袋に詰めて、草布を敷いた東屋の一角に積み上げていく。
そうした作業を丸一日、手隙の大人と子供たちとで総出で行い、その翌日、いよいよ焼成煉瓦による大窯の組み上げと成った。
仮組みした煉瓦炉は木組みの支柱に支えられている。まずは一度、支柱から仮の煉瓦を剥がす。
焼いた貝殻の粉末に、水、井戸の底の砂、河原の砂利などを混ぜ、木ゴテでよく混ぜ合わせる。
漆喰の作成に、幢子の手は白くガサガサになっていく。細かい分量も練り加減もわかっていないため雰囲気で行っている。
それでも粘性を得られたのを確認すると、勢いとばかりに炉の煉瓦に塗布して、段を積み上げていく。
村の子供達がそれを手伝い、稼業を終えた大人たちも追って駆けつけた。
上り煙突まで組み上げるのに三日。粘度を失って固まった漆喰も少なくない。精度にも斑がある。
ただ素組では隙間だらけの煉瓦が隙間なく、そして固定されているのは間違いがなかった。
木組みの支柱をそのままに組まれた煉瓦に、漆喰を上塗りし、外壁層を仕上げていく。
この頃になると、窯の頑丈さを確信した子供たちが、窯の奥まで潜り込んでその奥底の暗さを物珍しげに楽しんでいる。
「かっこいい。」
こうして新たに作った東屋の半分の敷地に、手探りの大型登り窯が完成した。
幢子は漆喰に汚れた顔や腕を誇らしげに、外壁が乾くのを待つばかりの登り窯の前で腕を組む。
額の汗も、漆喰まみれの束髪も、袖をまくりあげ、村の誰よりも汚れた草布の服も、間近に迫った冬を物ともしないかのようだった。
待ちきれないとばかりに翌日には木々が炊かれる。
この薪も新たに荷車で届いた薪用の材木を幢子が割り続けたものだった。
煙突から煙が上がる。
真っ白な煙が東屋の屋根の下を漂い、そこから外に漏れ出ていく。
窯の周囲の温度が上がる。今の所、厚めに上塗りした漆喰にひび割れは見られない。
固く締まったアーチの煉瓦が内側から崩れる気配もない。
どのくらい持つか解らないが、素組よりはずっと長持ちし、高温を得られるだろうと幢子は胸を高鳴らせた。
翌日、冷たい霧雨の中、朝早くから村の大人たちが自信を胸に持ち込んできた素焼き済みの土器の椀や皿が、続々と持ち込まれる。
どの品も「領主に収める商品価値のあるもの」という題材に、各家族で親と、子と、幢子で考え、村の人間だけで素焼きを終えてきたものばかりである。
「トウコ様。これをお願いします。」
そうして皿を幢子に手渡したのは、狼の群れに幼い子を亡くした母と、その夫であった。
子を亡くした二人は、夫は農作業、妻は幢子の手伝いと、その合間を縫って素焼きの器を幾度も作ってきた。
この皿も、幢子と妻が形を作ったものを、夫が昼過ぎから窯の前に立って焼き、夜の炊事の後、寝る時間を割いて、粗目の草布で煤を落とし、丹念に磨いてきたものだという。
それを受け取った幢子は、灰色の釉薬の桶に静かに沈め、見計らって取り上げる。
夫妻はそれを真剣な目で見守り、取り上げられた皿を涙ぐんで見つめていた。
まだ技工の欠片もない。
沈めて取り上げるだけの単純な施釉を、幢子は繰り返す。
それをコ・ジエは片時も目を離さず見ている。
未知の作業。まだそれがどういう意味を持つか皆目の検討もつかない。
それを焼き付け、結果を理解するために、知的好奇心が骨の髄まで躍動していた。
最後にそれを持ち込んだのは詩魔法師のエルカだった。
彼女のそれだけは領主に献上するものではなく、自分のものだ。自分自身が使うものだ。
素焼きの簡素な土笛ではなく、幢子が作ったのと遜色のない出来栄えのオカリナの素焼きであった。
素焼きの煤跡が磨ききれずに残っているが、自分の自由になる時間に幢子と二人で焼いて、昨晩寝る前に眠い目をこすりながら磨いてきたものだった。
「お願いします!」
エルカの上弾む声に笑顔で受け取った幢子はオカリナを釉薬にくぐらせる。
持ち上げると指穴から釉薬が漏れ滴り落ち、逆さにして歌口からも釉薬が漏れる。
施釉を終えた素焼きの土器は並べられ、東屋の乾いた地面で干された。
そして日が沈む頃、一つ一つが窯の中に運び込まれる。
火が入ったのは夜になってからであり、火の番は話し合いで決めた通りに村人たちで交代し行われ、夜を通し、窯から煙が登り、東屋は赤々と明かりが灯り続けた。