飢えを自覚せよ
「ジエ、資料を。」
幢子に示され、コ・ジエが先程と同様、紙の束をブエラへと差し出す。
ブエラはそれを取らず、それを大凡、半分にとりわけ、左右へ流す。
「行っている事は、大きく三つ。詩魔法の最適化、農地改善、農具改善です。詳しくは時間もございますので、資料を後ほどご確認ください。この内、詩魔法の最適化に必要なオカリナについては、ディル領で製作したものを、独立交易商組合を通し、国内の農村の詩魔法師の全てに行き渡るよう、この議事の後、即時手配致します。」
「情報の御提供のみとなるのは、農地改善と、農具改善です。まず、農地の改善に関しましては、既に向こう四年、ディル領が産出する余剰の草木灰、木酢液は、買い手が決まっております。その取引先も明記がありますので、必要であれば、そちらにお求め量を交渉頂くか、其々(それぞれ)で何らかの手法に依って手配頂く必要があります。」
「リゼウ国と、エスタ領でほぼ塗りつぶされているではないか!」
目ざといものがそれを叫ぶ。それを皮切りに、口々の言葉が加熱していく。
「ご推察の通り、リゼウ国が灰を求めている事は事実であり、それはこの農地改善に必要なものであったからです。そしてその結果が、この数年の豊作となったのでしょう。リゼウ国は、それほど、先の王太子が当時述べていた、「たかが灰」に飢えていたのです。その灰を、リゼウ国は、ディル領より豆や木材で買っていたのです。」
「もちろん、ただの灰ではない。品質、出所、由来がはっきりした、草木灰である。ディル領より提供されるそれは、その点で信用が於ける、価値の高い灰だったのだ。」
注目が集まっているのを察したアルド・リゼウが口を開く。
「木酢液も同様です。ディル領で木炭を作成する際に副産物として産出されます。その生産量はこの数年伸ばし続けていますが、需要に対して供給が追いついていません。よって、ディル領ではこれらにつきましては、用法以上のものが提供できないのが現状です。また、農地改善につきましては、この二つに限らず様々な物が肥料として必要になります。それが必要であれば、誰かがそれを作らねばなりません。」
「そして最後になる、農具改善です。端的に言えば、農業に携わるものが、もっと豆を食べ、栄養をつけ、身体を養い、良く眠る。未来に農業に携わるものが、子どものうちからそれを行えば、その効果はより高くなります。逆にそれを怠れば、怠ってきたからこそ、昨今、サザウ国を襲う、疫病と言われているものを引き起こすのです。」
「ジエ、資料を。」
コ・ジエが幢子に示され、三度の紙束をブエラへと差し出す。それを受け取るブエラは再び自らの分を取らず、半分にとりわけ、左右へと流す。
対してそれを受け取った者は、逐一と渡された資料を食い入る様に覗き込み、遅々として行き渡らずに居る。
「紙面に書かれているものを端的に申しますと、ディル領で領民に食されている豆の量の増加、豆以外の食物に関する事例と効果、その入手先、その結果となる一例として、全力で凡そ三十二ヤートルを走り抜ける速度の変化が記されています。これ以外にも、睡眠時間、休息の取り方、用いる詩魔法の最適化、極力、或いは絶対に使用を避けるべき詩魔法などが記されています。」
一部の者は新たに渡された紙と、そこに記された文字の質の違いを見る。そして、その中のごく一部は、それがセッタ領で作られ始めた紙と、鉛筆に依るものだと知っている。
それらに、この様な運用方法があり、記された資料の価値を見るものも居れば、資料の方式自体に目を奪われるものも居る。
「実態として、豆の消費量は増え、それ以外の食品の使用量が、今も増えています。これが、ディル領に於ける最大需要であり、それを補い助けるために、食品以外にも防寒具の購入、越冬用の薪の消費の増加も御座います。」
「勿論、これが全てではありませんが、まず、私の信用の担保として、皆様に提供させていただくものです。秘匿するのも良いでしょう。品々を商機と見て確保に奔走されるもいいでしょう。扱われている商品の見直しに用いるも良いでしょう。そして、皆様にも気づいていただきたいのです。」
「私達は、今、正に、飢えている、と。」
幢子がそう述べると、一度、礼を払う。
それを見て、ブエラは、自らの前に添えた、まだ僅かに砂の落ちる時計をしまう。
「ディル領は飢えております。故に、その飢えに立ち向かうための方針と、実案が必要なのです。そしてその実案の一端が、資料に用いられているヤートルであり、そのヤートルはその価値を共有する領や組織、国家で、等しく基準となるヤートル原基を持ち合い、保管しております。これは私が自ら、炉を前に作ったものであり、私が信頼できる商売の相手にこそ既にお届けさせて頂いております。」
「私は、このヤートルを始まりとして、皆様に、飢え、を可視化し続けます。それをディルの領主として成すべき事とし、飢えを最も知りて、私を信頼してくれる領民と共に、飢えに立ち向かう術に、それを行使し続けます。」
「伝えたい事は、終わったかい?」
椅子に深く腰を掛け、目を閉じたままのブエラが、幢子にそれを問う。
「この数年で積もった不満を、僅かに吐き出す程度には。」
幢子は、表情を強張らせたまま、ブエラを見据え応える。
「ヘスが目を伏せ、村を一つ、差配を丸投げする訳だよ。これで、僅か、と言い捨てる。村に閉じ込めていた、という方が正しいだろうね。そして、これを巧みに制御していたヘスはもう居ない。」
「我らはこの解き放たれる飢えを、どう対処するか、以後苦心せねばならない。サザウとしてはディル領一つ与えてそれが暫し保たせられるのなら、安い買い物だろう。幸い、今ならば、敵だとは思われていない様子だ、上手く付き合えば、対策を考える事もしてくれるだろうさ。」




