昔日の友
彼らは山を登る。
粗末な草布生地に包まれたそれを、荷車に乗せて、数人で引き上げる。
酷く喉が渇いている。だが、その仕事に携わった者は冷たい水を与えられる。
だから、彼らはこぞって奪い合う。誰かが倒れて動かなくなる事を内心、喜びすらする。
彼らは山を登る。
死体を運んで、山を登る。死体を捨てるために、山を登る。
人が新たに訪れれば、それが知人でなければ、喜びすらする。
それは誰かが、冷たい水にありつけるということだから。
明日は我が身が、そうなるかも知れない事から、目を背けて。ただ、無心に山を登る。
コヴ・ラドは朱色に染まった陽を、ただ静かに窓から浴びていた。
「御父様、いらっしゃいました。」
ノックに続けて、娘が声を掛ける。
返事をすることなく、静かに陽を浴びていると、再びドアを叩く音がする。
「入りなさい。」
コヴ・ラドが返事を返すと、来客が部屋の中に入ってくる。
「来てくれたか、ジエ君。それにトウコ殿。エルカ殿もようこそ。」
三人目にやや意外性を感じていたが、コヴ・ラドは深く腰掛けた椅子から身を起こすと、彼らに手を差し出す。
「まずは、御身体の平穏を祈らせてください、コヴ・ラド様。」
コ・ジエがそう発すると、幢子とエルカに合図をする。
「いい。これは雪のように体の奥へ降り積もる毒でな。備えていても、避けられない。この毒の事については、エスタの領主が一番詳しいのだ。それに療養次第で症状も徐々に良くなる。」
毒、という言葉を聞いて、幢子は顔を歪める。その症状は、三人にとって村でも見ていたものに似ていたからであった。そしてそれが、一時的なものではない、という事を指してもいた。
「症状は似ていても、原因が違うってこともあるんだよ、ジエさん。だから対処を誤ると、危険かもしれない。詩魔法の祈りは魔素も消費するから、他の症状を引き起こすかも知れない。」
「草木の青い香りを感じられなくなるのだ。味覚も徐々におかしくなっていく。そうすると食欲も落ちていく。水を求め、冷たく澄んだ空気が恋しくなる。その治療には、エスタの深い森で、静かに穏やかに、積もった毒を抜いていくしかない。」
コ・ジエには、コヴ・ラドがそうして毒を溜め込んだ理由に心当たりがあった。内々に、父から話を聴いた事、そして焼け落ちた館に遺された書に、それを匂わせる記述を見たからであった。
「それが、罪地の毒、なのですね。」
コ・ジエが問うと、コヴ・ラドが静かに頷く。
「まずは、罪地の事について教えよう。王族、そしてコヴになる者にはそれを知る必要がある。」
「罪地は、サザウの北にある連峰、その裾野、エスタ領の最北西にある。代々、エスタ領主は、スラールの罪人の内、特に罪深き者を罪地へ送り、その罪の深さをより深く探る役目を担ってきた。新たな罪人を探るためでもあり、罪人を罪地に封ずる看守でもあったのだ。」
「長い歴史の中で、スラールは分裂し、バルドー国はその罪人を、罪地ではなく鉱山の犯罪鉱夫として用いるようになったが、リゼウ国とサザウ国ではその関係は細々と続いていた。故に、エスタはリゼウ国と親しいと、それを知らぬ者に揶揄され、事実、時にはそういう側面もあった。もっとも、当代の懇意は、実は、罪地の運営とは関係がない所から始まっている。」
コヴ・ラドは、ドアの傍に静かに佇む、コ・ニアを一瞥し、直ぐにコ・ジエに視線を戻す。
「もしや、その毒は、煮えた湯の湧く場所特有のものではありませんか?傷んだ鶏の卵の様な臭いのする場所の。」
幢子は、場所からの類推に思わず言葉を差し込む。
「黒髪黒目の異邦人は、その様な知識まであるのか。」
「詳しく知っている訳ではないです。微量の硫化硫黄を長期間摂取することで、中毒化したのかも。酸欠はその中和や排出に時間がかかる事で、少しずつ慢性化したのかも。」
幢子の説明に、コヴ・ラドは深い溜め息を吐く。そうした仕草も、酸欠から来るものなのかと、同席するエルカは胸を締め付けられる思いでいた。酸欠症状は、たたら場で幾度も見てきたからである。
「貴方達が、十年早く、この地を訪れていたならば、と幾度思った事か。」
「その頃であれば、そのドレスの本来の持ち主もまだ生きていた。もし病から生き長らえていた未来があったなら、ヘスもどれほど喜んだ事か。その喜ぶヘスを、私はずっと見ていたかった。」
「母の事は、私も残念でなりません。しかし、過ぎた事です。」
コ・ジエの中で、何処かで割り切るに至る、そういう事が既にあったのだろう、そう、幢子はその瞳と言葉から感じ取る。
「そうだ。だが、ヘスの事は違う。私は割り切れる事ではなかった。エスタに生まれ、領主になるべくコとして育てられ、罪地の秘と、リゼウとの関係を詰られ、それでも、変わらず、ただ友として接してくれた、無二のヘスを苦しめ、命まで奪った、忌まわしき罪人たちを、私は一人残さず、あの山々の火口に放り込むと、強く決心をした!」
次第に言葉を荒げ、夕日に染まる赤い顔で、息を切らせ叫ぶコヴ・ラドに、目を伏せるしかないコ・ジエ。
「先日、罪地へ送られてきた詩魔法師の一人が、ディルの館に火を放った際、夜目を付与した者だと自白をした。それを指示したのが、ダナウの子、コ・デナンである事も、冷たい一杯の水を得たいがために認めたよ。」




