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詩の空 朱の空(仮称)  作者: うっさこ
スラールの転機
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未だ遠き道のり

「こんな所に居たのか。」

 コ・ジエに教えられ、訪れたその場で、栄治は幢子を見つけ、声をかける。


「ああ、京極さん。ごめんなさい。行かなきゃいけなかったね。」

 幢子は階下からやってきた栄治を一瞥すると、直ぐに視線を戻す。


 西の空に陽が沈もうとしていた。

 朱色に染まる空は、冬季では稀に晴れた日にしか見れないものだった。


 このレンガ造りの物見櫓が形となったのは、前日の事だった。幢子は晴れた日があれば、それを見ようとずっと思っていた。

 見晴らしの良いその場で運んできた椅子に腰を掛け、煉瓦を背に夕日を見ていた。


「あっちはエスタ領や、リゼウ国の方だな。」

 栄治は同じ方向に目を凝らすが、自身が歩いてきたような森しか見えない。


「最初に焼いたのは煉瓦だったなって。積み上げて、煉瓦で煉瓦を焼いて、その煉瓦でまた煉瓦を焼いて。そうやって続けてきたそんな先に、この光景があったんだなって。」

 そうして遠くを見ている幢子に冷たい風が吹き付ける。


「リゼウ国って、どんなとこなんですか?私、まだ王都より西って知らなくって。そもそも、この村やディル領からあんまり出ないし。」


「そうだな、田舎だよ。王城は平野にあってな。城壁の上から見渡すと周囲は畑や点在する住居しかねぇ。北の方を見ると、あの山々と、森が少し見えるかなって所だ。夜になると静かで未だに不気味に感じるくらいだ。」

 栄治がそう言うと、幢子は視線を落として村の全景を眺める。


「私が過ごした最初の夜は、狼の遠吠えに怯える夜でした。生き残れるかなって。教会の扉を豆の袋で抑えて、村人皆で怖がって、息や声を殺して、無事明日を迎えられます様に、狼が居なくなりますようにって。」

 幢子の目には、炊き場で赤々と照らされた篝火の下で、仕事上がりと遅番の村人が、夕飯の汁をすすっているのが見えた。

 今は遠くからでも、それが誰であるかわかり、そのうち何人かは、思い出したその夜の何処かに同じ顔があるだろうということを知っていた。


「最初の夕日は、地面に向かって黒曜石を割ってて、まったく、覚えてないんですよ。罠の肉団子を急がなきゃって、汗と生肉でベトベトの身体で、手に布を巻いてそれを混ぜて。村のあちこちに皆で仕掛けて。」


「そういう意味じゃ、俺はまだマシだったかもな。最初の夕日は良く覚えてるよ。鶏の卵に並々ならぬ関心を示した小娘に、色々とお節介の老害じみた講釈こうしゃくを垂れていた。その日は養鶏小屋の隅を借りて、虫の音すら無い中、鶏と敷き藁をかき寄せて寝たんだ。」


「音がないのも、結構辛いと思いますよ。」

 幢子が耳を澄ませば、炊き場から声が聞こえてくる。物見櫓ものみやぐらを降りて、村を歩けばもっと生活音が感じられるだろうことも解っている。


「私も、誰かの声や生活音や、雑踏が聞こえる事が、好きなんだなって感じてて。妹がいるんですよ。そういう事を言う、少し、歳が離れてるんですけどね。」

 元の世界で、元気で暮らしていて欲しい。そう思う日が幾度かあった妹の事を思い出しながら、幢子は空に目を戻す。


「もうここはもう村じゃなくって、街になり始めてるんじゃないかなって。欲しいものを求めて誰かがやってきて、ここへ何かを運んでくる。ここに来たい人が居て、ここに来る理由があって。でもまぁ、まだまだなんですけどね。」


「そうだな。まだ道は遠い。こんな大層なものを作ったんだから、次を考えていって貰わにゃ困る。俺はそういう話を持ってきたし、そのために、河内さんに頑張って貰うための土産も持ってきた。」

 そう言って、栄治は肩に担いだ大きな草布袋から、一つ袋を取り出して、幢子に放る。


「運送屋に任せたら、途中で食っちまわないか心配でな。田舎者が困った時、都会で暮らす同郷の友人に助けて貰った、その礼だ。俺が直接、出向いて手渡すのが礼儀ってものだろ。」

 その言葉に、幢子は慌てて、その真っ白な袋の中身を確認する。


「森の中を進んできた甲斐はあった。雨や潮風に晒さずに済んだからな。生憎、肉や野菜じゃないが、そいつを食べたいんじゃないかなってな。」

「お米!お米じゃないですか!」

 徐々に薄暗くなり始めたその中でも、手に持ったその感覚、確認する一粒一粒に幢子は嬉々とする。


「大丈夫だ。道は遠いが、俺達はちゃんと進んでる。進めてる。目の前に辛い局面があっても、あんたが俺を助けてくれる限り、俺はあんたを助ける。」

「それにな、田舎者が、今年の米を送ったと言ってやれる。これは、尊厳を取り戻したも同然の事だ。それだけの事をあんたはやってくれている。だからこそだ。次は味噌だ。次は醤油だ。俺はもっと先を見る。」



 幢子は、先にった栄治の背を追って物見櫓ものみやぐらを降りる。

 周囲の生活音が色濃くなるに従って、緩い香りが鼻を刺激する。


 炊き場では、大ぶりの陶器の皿が薪の火にかけられていた。しかし、村では不思議なことに一回り小さな皿がそれに覆いかぶさるように乗っている。

 まるで鍋の様だと思った幢子は、そこまで考えて自分の手にある袋に気が行く。


 今更ながらに気づいた綿生地と思われるその袋、中身にあった玄米。

 それがもし一袋でなかったとするならば、と。

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