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詩の空 朱の空(仮称)  作者: うっさこ
スラールの転機
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巡り征くもの

「ご飯、食べられるかな?」

 その声に、彼は目を開けて、身を起こせないでいる。

 すっかりとは行かない、脇腹の違和感と鈍痛に、それが夢ではない事を実感する。


「また、助けられました。」

 乾いた口で、衛士は口に出せずに居たそれを発する。

 教会の敷藁しきわらの上で、身動きすら出来ずに、ただ、生き延びただろうことは解っていた。


「あの時の衛士さんだったんだね。ごめんね、気づくのが遅くなって。」

 その言葉を受け止めて、幢子が応える。

 彼の額の傷を、暗視の付与越しに見た時、それが鮮やかに思い出される。

 自分が頭の血を拭った、そのきずあとを静かに見つめる。


「あの時も、助けられました。」

 衛士は思い出す。あの騒動の時、自分の目の前に現れた彼女が、落馬し身動きが取れなかった自分と狼の間に割って入ってくれたことを。そして血を拭われ、命を繋いだ事を。


 あの寒空の海岸で、命を手放しそうになっている独立商人たちに湯を飲ませていた時。

 自分にこれ以上できる事はないと諦めた時に、彼女が現れた事。


 隊長のリオルと再び村を訪れるに至った事。

 言付けを口実に、何度か会話をした事もあった。自分の事なんて忘れていても、彼女は村人や関わる人達を、どうにか助けようと手を差し伸べている事。


 彼女を見かける度に、自分たちが守ろうとしている「もの」の大きさを嫌でも認識する。

 彼女を通して、自分の短い手では届かない、多くの人が救われていくのを思い知る。


 ほんの少し、欲をかいた。自分の事を思い出して欲しい等と、格好をつけようとした。

 その結果、今また情けない姿を晒し、そしてまた助けられた事。


「お腹の傷、治るまで、私とエルカで様子を見に来るからね。しっかり治して元気になるんだよ。そのためにも食べないと駄目だから。魔素の在庫、ちゃんと増やしてね。」

 そう言って、幢子は手に持った碗から木匙でそれを掬って差し出す。乾いた口にそれが、匙を伝って流し込まれていく。 



 その詩魔法師は、ポッコ村の外で、木の幹に一人で隠れ、周囲の様子をうかがっていた所を、馬で港町へ伝令に出ていた衛士に発見された。

 森を彷徨っていた所を、偶然たどり着けたサト川沿いで、怯えながら歩いていたのだという。


 コ・ジエとリオルの元へ引き立てられ、野盗の一味だと判明し、王都へ連行されることが決まった。


「私は脅されて協力していただけなんだ。」

 そう主張を繰り返す。それが真実か、或いは嘘なのかは、王都で調査が行われるだろう。


 しかし、コ・ジエは彼が一味に率先して協力していたと内心疑っていなかった。

 それは、森から回収した野盗一味の亡骸を、彼に確認させたからであった。

 その顔を見る度に、顔を歪め、怯え、順を追って徐々に、見苦しく取り乱していったからであった。


 彼を送り出す際に、連行する衛士に手紙を持たせる。まだ聞き出せる情報があるのではないかと。


 取り逃がした一人については、未だ周囲の捜索では発見される事がなかった。




 男は逃げていた。今何処を走っているのかは判らない。森の中をただ必死に逃げていく。

 日中をまるまる走り通し、木漏れ陽が朱色を帯び始める。


 ついに疲れ切った男は、側の木の幹に腰を掛ける。

 ふと目をやると、緩やかな下り坂の先に、岩場が見える。引き寄せられる様に、身を起こしてそこへ歩いていく。


「水だ!」

 喉が乾いていた。水を認識した瞬間、足が駆け出していた。岩は湿り気を持っていて、その隙間から水がれ出て、音を立てていた。


 両手で僅かな水を掬う。それが満たされるのを待ちきれずに口に運ぶ。

 喉が自分でも分かるほど音を立てて、水を飲み込んでいく。


 安心感を得た矢先、周囲に気配を判じる。誰かに見られているような気がしていた。


 草を踏む音。水の音に紛れて、それが確かに聞こえた気がした。


「誰だ!」

 追手がやってきたのかと、緊張が加速し、心臓の鼓動が早まる。暗くなっていく中で、その音の正体を必死に探す。


 そして、再び草を踏む音。錯覚ではなく、それは確かに男の耳に聞こえていた。

 腰に備えた小刀を引き抜く。そこには、あの時、斬りつけた衛士後がまだべっとりと残っていた。


 男の呼吸が乱れ、動揺と恐怖が加速していく。そうしている間に、陽はどんどんと落ちていく。

 男の首から汗が落ちる。走り続けて火照っていた身体は、すっかり冷えて固まっていた。


「グルルルル。」

 それは確かに、動物が喉を鳴らす音だった。

 男は、それを確かに聞き取って、思考が加速していく。


 思い出していた。数年前、自分が潜んでいたシギザ領の開拓村で、狼追いをした事を。

 老いた家畜の鶏を絞め、血も抜かないその死体の山を、転々と撒いていく。その方向へ、別の仲間が狼の群れを追い立てる。


 ディル領へと追い立てた、あの狼の群れは、一体どうしているだろう。

 しかしそれは随分前の事だ。その後、ディル領で狼被害が出た事と、それが被害を出しながらも衛士に依って退治された事は噂に聞いていた。


 男はしきりに首を振る。もうすっかり暗くなっていた。

 その暗い森の中を、自分の前に光る目玉が、四つ視える。


 もし、その討伐で逃れた狼が居たのなら。もし、その狼が運悪くつがいであったなら。

 もし、その狼が、森の中で静かに生き延びて、獲物を探して爪と牙を研いでいたのなら。


 直ぐ側の岩場の水を求めて、ここに来ていたとするならば。

 この岩場の近くで、子供を産んで守っていたとするならば。


 手に持った小刀に、ついた血の匂いに、自分の息遣いに、動揺に、怯えに気づいているのなら。

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