文明の代償
鉄器
今文明社会に於いては、極めて初期の発明である。ただし、それは国家レベルでの話である。
鋳鉄、鍛造、そして鉄器の運用。これらは千数百年に渡り、行政に依って管理されてきた。
最大の要因は、その凶器性である。
兵士、役人は行政の管理の元に置かれ、そうでない者に対する優位性として兵器として鉄器が与えられる。
この優位性は長らく、行政の重要な取締の一つであり、それが変遷したのは、後に生まれる銃器がより優れた兵器として生産、普及してからである。
銃器により、鉄器による暴力に容易に対応できるように成った、というのがその大きな要因ともなっている。
ともあれ、そこに至るまで、鉄は重要ではあるが、民間レベルの裁量でその鋳鉄・鍛造・そして鉄器が広く浸透すること、させることは不可能とも言えた。
その先の生活水準の向上に価値を見出すそれ自体が、余地のないものであったと言える。
日本に於いては、安土桃山時代などの「刀狩り」がその取締の一例と言えるであろう。
コヴ・ヘスは幢子を見る。それはその言葉が出る前のそれよりも強く、鋭い。
「開拓村にある釘、鉈、或いは節々に使われている鉄金具。これらは非常に洗練された水準の高いものでした。これらを、ディル領では他所から工業製品として購入しているのではないでしょうか。」
幢子は続ける。転移し、ポッコ村に滞在するようになってまず気づいたことである。
「そうだ。一部を他領より仕入れ、また一部は他国から仕入れている。領税収と引き換えにだ。」
「村の普段遣いには不要な高級品です。また高級品であるため数が用いれない。結果、工数の進展に大幅な抑止がかかっています。粗悪でも鉄を自領・ひいては村々で生産と鍛造をし、普及を進めるべきです。」
幢子がずっと気になっていたことだった。そして、コヴ・ヘスもわかっている問題であった。
「ディル領は水と木材、食料を排出すればいい。それが国の方針だ。望む望まぬとな。」
コヴ・ヘスは改めて幢子を見る。幢子が見ているものを見る。
そしてそれに自分が驚いているのだと自覚する。
「間伐が行き届かない最大の要因は、鉄器の不足。斧・鉈といった作業従事者の工具不足が絶対的にあるのですね?で、あるからこそ、それを他領から仕入れるために輸出品を求める。」
「酪農がそれに活路を見出すと、私は考えた。少しずつではあるが成果の現れる開拓村もあった。これが私の精一杯であったのだ。」
「鋳鉄技術そのものを普及する手段もないから、ですよね。」
「そうだ。買えばいい。必要な数だけ仕入れればいい。だがそれには時間が途方もなくかかる。」
「領主様の次の代、そのまた次の代で改善するための、今の布石、なのですね。」
幢子の問いに、コヴ・ヘスは表情を変えず、それまでのように即答はしなかった。
「技術普及のための指導を乞う人材の派遣を、商利のために妨害されているというご自覚は?」
「ある!わかっている!何度も要請をした!国王にも願い出た!当代では無理だ!」
「作ってしまいましょう。鉄を。その先にあるものを。でなければ、飢えます。間違いなく。」
幢子は断言する。
「農具の鍬が鉄器になる。薪割りの鉈が二本増える。木を切る斧が村に常備される。戸の建て付けの釘、石切のノコギリ、金槌、調理のための窯の金具、今の半分の製鉄精度、見よう見まねの道具でも、余裕を持って冬が越せます。」
インフラは壊滅的だった。
冬を越せる建物は村の教会しかない。
その狭い空間で、村人が冬を営むには限界がある。
煉瓦を導入しようと試みたのは、何よりも新造家屋にであった。
山に白い雪が、麓にかかるその日が来ないかを、幢子は恐れ毎日確認を怠らなかった。
しかし煉瓦だけでは家は作れない。
更に煉瓦を焼く時間で冬支度に支障が出る。
村人の努力を最大限に振り絞っても、工数の進捗速度には限界がある。
工具の圧倒的な不足。
森を散策し得た枯木で行う生活消耗品の補充ですら、それが村人を拘束している現状を見て、幢子は土器を焼き、陶器を目指した。
「本当にできるのだな?コウチ・トウコ殿。具体的な展望は?私にとっても危険を伴う大きな計画だ。」
幢子は草布の服の腰に吊るした袋を取り出す。そしてそれを差し出した。
「今の窯と火力だと、これが限界です。サト川の川底に溜まった砂鉄を集め、使ってみました。」
コヴ・ヘスは袋を傾ける。ガラガラとそれがこぼれ出てくる。
小指の先程の小石状の金属ケラがその中身だった。
その一部に、粒ではなく、寄り集まった黒寄りの灰色の光沢が見て取れる。
「多分、銅や錫があれば青銅なら。でもそれを掘りに行く土地勘も調査も、鉱具もないのが現状です。鉄を固めるには、それを継続して行くためには、少し背伸びが必要なんです。」
だがコヴ・ヘスはその言葉を聞き流し、その金属ケラの鉄らしきものから目が離せなかった。
(手の届く所に、自領独自の製鉄が、ある。)
恐らく幢子にはその知識があるのだろう。
そしてそれを普及する力があることも、陶器を目指し土器を焼き始めた村人たちを経て既に知っている。そこを疑う心は消えていた。
「保険は必要だ。期間と要望にも従ってもらう。試すようで申し訳ないがな。」
そういって、コヴ・ヘスは手元の呼び鈴を鳴らした。