夜襲戦 村を狙う矢じり
「エルカ、大丈夫?」
幢子の問いに、エルカは静かに頷いて、オカリナに唇を当てる。
そこに、必要な荷をまとめた村人と、衛士と、役人、そして幢子、エルカ、コ・ジエが揃っている。
村にいる全員といっていい。一同が声を発さず、周囲には篝火の弾ける音だけ響く。
ホー ホー ホーホホー
ホー ホーホー ホホーホー
幢子にしたそれよりも、滑らかで調子の短いヘッダー音を済ませ、続けて静かに音色が響く。
誰もがそれを静かに聞いている。
「終わりました。どうでしょうか。」
エルカの演奏が終わり、声が響く。
「すごいね、これ。暗視スコープと集音器そのものだよ。っと。」
体制を崩しながらも、幢子が自分の目耳に訪れた変化に興奮している。
「先程よりも、負担が小さいな。身動きも抑えやすいし、音も、目の違和感も薄い。それでも十分だが。」
幢子の詩のそれと比較するように、リオルが体を動かしている。
「では、避難を開始してください。なにかあれば役人を送ります。その際は指示に従ってください。」
コ・ジエがそう村人に言葉を向けると、各々が頷いて、静かに確かめるように動き出す。
「先方の詩魔法師は、恐らく後方から街道を渡ってくるのだろうと思います。」
「やはり、本命は南側か。」
リオルの問いに、衛士の一人が頷く。五名を見かけた東側に対して、南の搬入路を進んでくる野盗は松明を焚いて、道沿いを十名を超えて歩いて来ていたという。
「弓矢を携えていました。恐らく南側から火矢を射掛けて、動揺と意識を誘って、東側から夜目の利く連中が引っ掻き回すのだと。」
火矢という言葉を聞いて、コ・ジエが表情を歪める。記憶の端に、否応なくそれが引っかかる。
「南を先に潰しましょう。」
思わず、それを口に発していたコ・ジエに対し、リオルが頷く。
「火矢が合図になっている可能性もある。それを阻止すれば、時間が稼げるかもしれない。人数が少ないのだから、工夫が必要だな。」
リオルはそう言いつつ、自身の中で、人を殺める覚悟を詰めていく。
野盗という扱いとは言え、衛士として直接、自己の判断で人を殺める。そうした局面は初めてであった。
「捕縛をするのなら、後ろを歩いてくるだろう詩魔法師を押さえればいい。状況は悪い。余裕はない。構わないな?」
「この村の情報が漏れる方が問題です。最悪、野盗の情報を得る機会なら、またあるでしょう。」
コ・ジエが自分を真っ直ぐ見つめているのを見て、リオルは決心をする。
「北からは、来ないかな?」
幢子が呟く。一同はそれを失念していた訳ではないが、考えたくはない事だった。
「その時は、その時だ。その時考えるしか、俺達には出来ん。先に気づけて、相手を把握できている。その幸運を信じるしか無いだろう。」
リオルの空笑いに、幢子も一寸を置いて、頷く。
「こんな事なら、ちょっとは罠とかも考えておけばよかったね。今後の課題だよ。」
ため息と後悔を吐く幢子を見て、リオルは吹き出す。
「あんたは肉団子を食わせてあの狼どもを撃退したんだ。期待してるから、今度も凄いのを考えといてくれ。」
リオルはすれ違って幢子の肩を叩く。その仕草に、その場の役人やコ・ジエ、エルカが咄嗟に冷たい視線を向けるが、対して、幢子の表情は和らぐ。
「考えておくよ。だから皆で生き延びよう。皆で、河原で朝ご飯を食べよう。」
幢子の言葉に、リオルは背中越しに片手を振って返すと、立てかけていた槍を担いで走り出す。
その背を追って、衛士が三人、同じ様に走っていく。一人がもしもの備えとして残った。
野盗という事になっている彼らは、ジリジリと燃える松明の灯りを頼りにその道を進む。
シギザの役人の上方から指示をされてこのような事をしていたが、昨今は人使いが荒いと感じていた。
シギザ領から住人を追い出してディル領へ送り出す。
その廃墟を拠点として、支度や武具を集め整える。そうしてディル領の農村を襲う。
詩魔法師まで送られてきて、次第に、全員の野盗という雰囲気に気持ちが乗ってくる。
そういう手はずであったが、最初に襲った村には誰も居ない。豆の作付けすら行われていなかった。
それを手始めに、南部に点在する農村を街道沿いに順に襲っていったが、結果は同じであった。
指示には、襲った村の豆は自由にしていいと聞いた。捉えた村人は自由に扱っていいと聞いた。
しかし、そのどちらも得られていなかった。
ディル領側で既に警戒されているのだと察して、北の森林部の開拓村も襲ったが同様だった。
ディル領の半分以上も歩いて、漸く掴んだ尻尾が、川を超えた先の港町だった。
そこに至るまでに、随分と時間がかかった。それだけに、情報収集を含め慎重に事を進めてきた。
冬季が間近にきていた。あのディル領主の館に火を放って、そろそろ一年が過ぎようとしていた。
各々、出世も、取り立ても約束されていた。だがそれ以上に、妙に全員の腹が減っていた。
豆を始めとした食料をたんまり乗せた荷車を見つけたと聞いた時、全員が歓声を上げた。
青銅の鏃に油を乗せて火をつけた矢をつがえ、弓を持つ。
そこに村があるのは港町で仕入れた情報からも確かだった。
火がついて、村に反応があってから、東側の連中が乗り込んで、方を付ける。
それに合流して、全て終わったら、その場で存分に豆を食う。そういう約束だった。
しかし、弓が引き絞られることはなく、その火矢が放たれることはなかった。




