むすめ、という立場
「そうかい。そんな話が進んでいるのかい。」
ハヤテの商館、という事になっているセッタ領の旧王都邸には、今もセッタ領の役人が出入りしている。それに限らず、王都の役人や組合本部の職員も頻繁に足を運ぶ、各組織の支所の様な有り様である。
ハヤテはそんな場所に居を構えているものの、未だ邸の主はブエラ老といった有り様ではあったし、周囲の人間はそうなるであろうとは、最初から解っていた。
とはいえ、館にはハヤテの面々が自由に扱える部屋もあり、それとは別に、由佳が寝泊まりできる専用の居室もある。そういう意味では、由佳が「セッタ領に囲われている」という体裁が出来上がっており、それが彼女に対する有象無象からの障壁となっているのも事実であった。
丁度滞在していたというブエラ老に城壁の建設計画と、その発端となったという野盗や方眼紙の話を伝え終えると、由佳の肩の力が漸く抜ける。
その肩に、質素ではあるものの羊毛織のブーケがかけられる。
「ん。ありがと、おっちゃん。」
話し込んでいる間に、商会の荷車の点検を終えて戻ってきた彼は、由佳の隣の椅子に腰掛ける。
「あの荷車はどうだい?長年荷を運んできた荷運びの意見も聞いてみたいね。」
ブエラはその話を男に振る。問われ、自分に話が振られた事を意外に思いながらも、顎に手を添え、それを考える。
「そうですな。車輪から伝わる振動が良く逃されておりますな。荷運びとしては、荷の状態に傾ける意識を減らせるのは大きい。前に進む事、周囲に気を使う事に割ける余裕が増えるのは、車体の重さの増加よりも恩恵となるでしょう。細かい箇所に鉄の補強材が足されているのも安心感がある。」
「その余裕で、水の革袋に穴が空くような事も減るのなら、井戸の水一杯を得るのに、荷を全て失うような大損をすることもないだろうね。」
そう返ってきた言葉に、彼は目を伏せ顔を逸らす。
見られ、覚えられているだろうという予測と失敗は心の何処かに感じていたが、若い会長を前にして改めてそれを指摘されると、苦い思いが滲み出てくる。
「おっちゃん、そんな事あったの?」
事情を知らない由佳と、その事情すら知ってわざわざこの場でそれを指摘するブエラに、どちらにも答える言葉も見つからないので、口をつぐむことに専念をする。
しかしそれを知ってか知らずか、由佳の口元が緩んだのを見ると、それも含めての話題振りであったのかとも、或いは紐付きである事への牽制であるのだとも感じられ、ますますと泥濘にはまっていく感覚であった。
「まぁ、若いうちは色々あるものだ。うちの末の弟子にも、先達として色々と教えてやってほしいね。それだけの保証や報酬は約束されているも同然だろう。」
由佳が紹介状を手に自分の元にやってきた時、それを手配しただろうエスタ領に二心があったとしても、それを置いて、採算を考えず快諾をしたのである。その事に、後悔はなかった。
だが、ブエラのその言葉に頷きはするものの、会話を交わす度に、この特段に目をかけている若い同僚を、「むすめ」と念を入れて主張するブエラの言葉に、少なからず対抗心はあった。
「さて、その紙の話に戻ろうか。具体的な話を聞かせてもらおうじゃないか。」
「紙の厚み自体は問題じゃないが、そっちの鉛筆やクレヨン、方眼紙というのは、新しい商材になるだろうね。製造の方法についてはどうなんだい?把握してるのかい?」
ブエラにそう問われ、由佳は幢子に代筆してもらった走り書きを見せる。文字を習ってはいるが、まだ思った事を満足に書けずに居る。この点については由佳はまだまだ時間が必要であると感じていた。
その走り書きの字が由佳のものでないと即座に察したブエラは、一瞬、由佳に目をやると、改めて目を落とす。
「どうっすかね?」
走り書きに目を落としながら、黙したままであるブエラに由佳は声を掛ける。砂時計の砂が落ちきって尚、ブエラはそれを返そうとしなかった。
「この製造は、ディルやエスタ、リゼウ国へ既に持ち込まれているのかい?そうした指定はあるかい?」
「それはまだっすね。原料さえ集まれば、作ること自体はどこでもいい感じすね。」
ブエラは顔を起こし、目元を指で抑える。
「では、私に任せてはもらえないか。勿論いくつか理由があるのだが、聞くかい?」
由佳が頷くのを掠れた目で確認をすると、ブエラは砂時計を返す。
「今王都、王領では仕事を失った非定住者が溢れている。それは解っているね?」
「はい。仕事と食事を得られないから、この冬季にかなり餓死者が出るかも知れないってぐらいには。」
その懸念は、難民を支援している幢子を河原で見かけた際の往来で、話の端に、コ・ジエから聞いていたことを、由佳は思い出していた。
「その連中を通貨で買い叩いて、役にも経たないそれをディル領に送りつける。そうして無理に方々に恩を着せようという馬鹿者が、まだ王城や内政府にそれなりにいる。馬鹿者共は今はどうにもならない。だったら、非定住者の方をどうにかしなきゃならないが、受け入れ先がないんだ。」
由佳が目耳を尖らせている事に満足気に頷くと、昨今、王領の差配を悩ませているそれを吐露する。
これを放置していれば、王都の城壁の外に死体が山となり、今以上に人が寄り付かなくなるというのは、連日、この旧王都邸内で、各所が持ち寄る火急の課題としてやり取りされていた。
「そうっすね。ポッコ村は手が足りないといっても、誰でもいいってわけじゃないですし。難民を既に送っているリゼウ国へ送るってわけにも。」
「非定住者と言っても、王領の領民であり、状況が変わればまた必要になるかも知れない存在だ。ダナウとまだ繋がっている奴も居るかも知れない。リゼウ国に送るのは得策とは言えない。」
ブエラには罪地へ送った足のついた者も、まだそれが全てだと思えていなかった。王権の後釜も定まっていない今、王領の民はなるべく目の届く場所にまとめて置いておきたいという内心も、色濃く尾を引いていた。
「紙も、この鉛筆やクレヨンというものも、新しいものだと言っても、まだ扱いやすい。製造手法もこうしてある。それをお前さんが、出遅れている兄弟子に恵んでやれば、覚えも良くなるだろうし、一時的な仕事先の捻出にも、セッタの位置は都合がいい。セッタもその収益で乾豆と信用を仕入れる数も増やせるだろうさ。」




