西へ、西へと
彼らは衛士と街道を西に行く。
ディル領の半分を歩き通し、西部を流れるサト川らしきものを見かけた頃、河原を北に目を向けると、白い煙が立ち上るのが見えた。思わず誰かが声を震わせる。
水が貰えるかもしれない。いや、食べ物も貰えるに違いない。
自然と前に突き出す足も早くなっていく。そんな彼らを呼び止めたのは、辺りを巡回していたと思われる衛士であった。
サザウ国を最も東に位置する、シギザ領に住んでいた彼らにとって、衛士は馴染みの薄いものであったが、それでも新たな詩魔法詩が派遣されてくる際や、稀に発生する狼や熊といった野獣被害の際に、その姿を見かける事があった。
安堵の声が漏れる。衛士にすり寄り助けを縋る声も自然と出る。
彼らが村を追われたのは突然の事であった。突然、領の役人がボロボロの衣類で駆け込んできたのだ。
「バルドー国の兵士が、国境を超えてこの村に向かっている。」
彼が官吏をしていた村が襲われ、火が放たれたという。井戸の水を求められ、差し出していると更に数人が村に駆け込んできた。
「自分は他の村にこの事を伝えて回る。君たちは村の備蓄の一部を持って、西へ。ディル領へ向かい助けを求めてください。」
逃げてきた役人がそう言ったが、一の豆を作付けし始めたばかりであり、村を離れることに抵抗を示すものも少なくなかった。領主はこの所、収穫の量について特に厳しく、年々と減る豆の量を村の怠慢だと恫喝する役人が、村にとっての一番の恐怖になっていた。
「突然、火が放たれたのです。」
追って現れた男たちが言う。戸惑っている間に、教会が取り囲まれ、詩魔法師が引きずり出され、兵士たちに連れて行かれたのだと言う。
話を聞いていた村の詩魔法師が慌てて荷造りを始めたのを皮切りに、腰袋に僅かな備蓄の三の豆を分け合って詰め込み、若い者を先頭に意を決して森に飛び込んでいった。
「昨年、私の村は酷い疫病に襲われ、それもやっと落ち着いていた所だと言うのに。」
逃げてきて、更に西へ逃げる羽目となった彼らは、そう嘆く。
村にも疫病の噂は伝わってきていた。
村の年寄りと幼子が、冬季に特に寒がり、詩を貰ってもその症状が変わることはなかった。そのまま、朝には冷たくなっていた事が、それが疫病だったのではと、道中の話題になった。
それを埋葬した母や子が、汗とも涙とも言えないものを垂らしている。
後ろに迫るバルドー国の恐怖に、国を嘆く者も出た。
やっと見つけた村が、人も蓄えも遺されていない廃村だった事に荒れる声もあった。
雨季の雨と、濡れる体の急激な寒暖に、息を切らす姿もあった。
子供が泣かない日は一度もなかった。豆を食わせている間に置いていこうという声さえも上がった。
それでも、誰も欠けぬように、迷わぬようにと、森林が途切れる南のギリギリを、陽の高い内に距離を稼ぎ、夜は息を潜めて交代で眠り、西へ西へと進んでいく。
そうして辿り着いた川のその北の空を、煙が上っているのを目にした時は、誰もが声を上げて喜んだ。
そして現れた衛士の姿に、力が抜けて啜り泣き始める声もあった。
子を抱きしめ、自身が泣き崩れる親もいた。歩き疲れた父母を抱き留め喜ぶ子の姿もあった。
「このまま西へ。道中の食料を渡しますので、数日はそこの河原の近くで火を炊いて、足の疲れを休めなさい。」
言われるままに、河原に腰を下ろす者も居れば、野獣が心配だと近くの村へ身を寄せたいと訴える者も居る。もう歩けないと父母や子の有り様を訴える者も居た。
しかし、荷車にたんまりと積まれた三の豆と、近くの村から応援に来たという村娘と詩魔法師が炊き出しを始めると、そんな声は静まっていく。
詩魔法師が首から下げた土笛を静かに吹くと、苛立っていた者たちも落ち着いていく。
珍しい陶器の碗に盛られ、炊き湯に浮かぶ豆を噛みしめると、その夜は不思議と子供も泣かなかった。
黒い髪、黒い瞳のその手伝いの村娘が、足を痛めたという年寄りに寄り添い体を揉んでやり、詩魔法師は子供を集め、土笛に興味を持った子供からは笑い声さえこぼれた。
日が昇り、近くを荷車が通る。手伝いの娘がそこへ駆けていくのを村人たちが目で追うと、その先には縁者なのか、同じ様に黒髪で黒い瞳の荷運びの娘が居た。
荷運びの娘の側には、数台、同じ様に荷を積んだ荷車と荷運びの姿もあり、共に歩く衛士の姿もあった。
そんな一幕に、既にバルドー国の噂が広まっているのだろうと、そんな声がする。
その日は同じ様に、河原で炊き出しをして過ごす。それを終えた夜半に雨が降り出し、木陰へと身を寄せる。
翌朝、陽も昇らない内に、彼らは手伝いの村娘に起こされる。
強張らせた体を伸ばし、全員が起こされて呼び集められると、若いながらも整った身なりの役人がその中心に居た。
「ディル領のコ・ジエです。既に伝えられていると思いますが、食料をお渡ししますので、まず西のエスタ領へと向かって頂く事になります。王領へはもう知らせが走っています。ここからは安全な南の海沿いの街道を歩いて行ってください。川沿いを南へと歩いていけば、やがて見えてくるでしょう。」
そう言って指示を出すと、手伝いの村娘と詩魔法師が豆の詰まった袋を一人ひとり、手渡しする。
子供が何度も振り返って、幾度も足を止めて、手を振る。
雨も止み、日が昇り始めた頃、再び歩き始めた一行の背を、暫くその三人が並んで見送っていた。
彼らは衛士と街道を西に行く。




