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詩の空 朱の空(仮称)  作者: うっさこ
スラールの転機
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壁には耳があり、障子はまだない

さる尊き人物の手記 視察の終わり

 あの日、彼は他の誰もが言わなかったような事を語り続けていた。


 卵の殻の硬さ。これは今までの飼料を与え続けた所で良くはならない。

 産卵数の減少。これもそこに起因する。

 負荷率の低さ。殻の薄さが原因である。


 鶏の体躯、飼料についても、今のものを手に取り、考えられる事を述べていた。

 

 では、それをどうするか。そこに言及できていたことも実に好ましく思う。


 一つの説としては十分過ぎるものであるし、城に上がってくれば検討に値する。実際そうするつもりであった。そう。正規の方法で進言をすればいい。こんな小娘に向かい、何故それを語るのか。

 この国の国主とはそれほど狭量きょうりょうであっただろうか?


 真剣な顔で語るその姿は、それでいて、どこか頬が緩んでいる。血色もよく、受け答えもはっきりとしている。問えば間もなく返ってくる、それだけの知恵と自信がある、強さを感じた。


 容姿を見るにこの地の者ではない。何故こんな場所にいるかはさておいて、こんな男がいれば、是が非でも手に入れたくなる。

 こんな片隅の養鶏場に真剣になってくれる男ならば、限らず、用い方は幾らでもある。

 その意欲が本気であるならば。そう願い、そう祈り、力のない養鶏場の小娘は嘘を重ねた。


 今日で視察を終える。それまでにあの男は帰ってくるだろうか。居もしない小娘の嘆きを信じて。



 夕刻のあかの日差しが窓を通して差し込む中、栄治は部屋を後にする。

 由佳の資料作成と質疑応答はまだしばらく掛かりそうであった。城に客間を用意させる必要を感じそれを命じるつもりであった。

 実際、そうしなければ、まだ運んできた荷と荷車についても問うべき事がある。その時間はなかった。


 ブエラ老から送られてきた先触れの手紙には、所要が済み次第、護衛の上、直ぐに送り返すように求める声もしたためられていた。


「一体何をすれば、あれほど気に入られるのやら。」

 そう独り言を口にしながらも、栄治は、郷土の同僚たちを思い出していた。年寄りは孫くらいの年齢の者を酷く可愛がるものだと、物陰で聞いた自身の噂話を耳にした夜を目に浮かべる。


 その独り言を、気付かれず、真後ろを歩くアルド・リゼウが心で笑う。


 前を歩く男が、何を思ってその言葉を口にしたのかは、大凡おおよそ見当がついていた。

 あの同郷らしき若い娘が、栄治に気に入られているだろう事は、壁の向こうで聞き耳を立てていた時にも、昼の炊き場の一件でも、十分に理解できた。


 得難き同郷。同じ髪色、同じ目の色、そして眼の前を歩く男と同じ様に、教養と強い自我がある。


 そうした存在が隣国の、それもその敵地の眼の前にも居るという。

 実際に手紙をやり取りする相手だ。

 この男なりに、心配と焦りがあったのだろう事も、アルド・リゼウには理解できたつもりであった。


 その相手を守ること、協力することは、国主としてもやぶさかではなかった。実際にその同郷人は、今まさに生み出されている国益に、大きく貢献すらしている。


 あの時、卵を見つめる小娘が重ねた嘘は、この男と隣国の縁を結び、その縁が様々な波紋を呼んでいる。水面みなもに今起きているのは、最早渦と言ってもいいだろう。

 隣国の領主の娘と、細々とした手紙のやり取りで続けていた事だけでは、ここまでのものにならなかったであろう。何れ来る時代の波であったとしても。そう、アルド・リゼウは思案する。


「一体何をすれば、お前はそこまで気に入られたのであろうな、農相。」

 ほんの少し悪戯心を効かせて、少し高めの声でアルド・リゼウはそれを言う。


 後ろを歩くその行列に、その声で気づいたとばかりに栄治はおののく。


「陽も落ちてきた。灯りも持たず歩けばいくら農相でも、壁に頭を打ち付けることになるぞ。」

 取り乱した栄治に、いつもの声色で話しかける。笑みを堪え、硬い表情を作る。


「大丈夫だ。夜道を歩くのは、歩けもしないのに畑を気にする爺どもに鍛えられて慣れてるんでな。」

 実際それを指摘された事で、間もなく陽が落ちることも、足元が暗いことも意識し直し、それが夜であるとして、栄治は周囲を見回す。意識さえすれば目だけに頼ることもない。


「客人の部屋の手配はさせてある。頃合いを見て兵が灯りを持って伺い、食事と客室への案内をするだろう。」

 どうせ夜陰で見えないのだろうとばかり、アルド・リゼウは、あの日の小娘の様に顔を作る。

「良い国主であろう?求められる前に、既に手を打ってあるのだ。国中に伸びる手足を使ってな。」


「そうだな。感謝する。ありがとう。」

 どうせ夜陰で見えないのだろうとばかり、京極栄治は、素直に笑う。

 その言い草は、兄にそれを自慢する弟か妹のように思えてしまったからだ。そして、自分はそれに感謝するのも極自然のように感じていた。


「あの積み荷はどうした?」

「先人に習い、丁重に謁見の間に運んである。台座も用意するように指示を出した。好きに足を運び、好きに用いよ。」 

 国主としての声、国主として威厳、アルド・リゼウは随伴する兵士や役人にそれを悟られぬ様に嘘をつくろう。今、横を歩く、この男の顔を見ていると知られぬように。


 自身もそれなりに夜目は効くのだ、と心に秘しながら。

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