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詩の空 朱の空(仮称)  作者: うっさこ
スラールの転機
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人を笑わば

さる尊き人物の日誌 割れた鶏卵

 毎年の視察ではあるが、その状況は良くない。年々と、この小屋の親鶏も数を減らしている。

 私が来る時だけ慌てて清掃をするのだろう。巧妙な事だ。しかしそれでも、隠しきれないものはある。


 じっと動かない親鶏に、見捨てられたのであろう、生まれたばかりのいくつかの卵。

 取り繕った様な一時の安心感は、事が終われば無防備になるものだ。周囲の目を盗んでここに忍び込んだ。

 その鶏卵を一つ持ち上げると、指で触れただけであるのに潰れてしまう。

 卵液を服で拭い、今度は慎重につまみ上げて、陽にかざす。それはまるで水の様に薄く透けている。中心のはいも、色が薄いように見える。


 「見せてみろ。」その声に息が止まる。辺りには誰もいなかったはずだ。或いはそう思い込んだ自身の満身であったか。だがそれが、この奇妙な男との出会いであった。




「成る程な、女学生。そいつは難儀だったな。」

 リゼウ国王城を前に、広く並べられた大小の試験畑に視察に出ていた京極栄治を目につけ、額の汗を拭いながら荷車を向かわせた由佳を待っていたのはそんな乾いた笑いであった。


「笑い事じゃないっすよ。エスタ領の領館では、あの怖い感じのお嬢様に説明しなきゃいけなかったですし。荷車は行く先々で往来の輸送商さんたちに見物されますし、漸く世間話ができるようになった衛士さんたちも国境までで、そこから先は更に物々しい護衛がたっぷりついてましたし。」


「それは済まなかったな。先にブエラの婆さんから知らせが来てたもんでな。そう膨れるな、女学生。丁度頃合いだ。ちょっと付き合え。いいもの見せてやる。」

「大体なんすか、その女学生って。」


 昼の日差しが照りつける中、栄治に連れられ由佳は王城の門をくぐる。


「これ、コメ、米じゃないっすか!」

陸稲おかぼの玄米だぞ。喜べ女学生。食ってみるか?」

 瞳を潤ませ、由佳は力強く頷く。木椀に盛られたそれを夢に見たことすら幾度もあった。

 野外に設置されたその厨房には、多くの駐屯兵たちが入れ代わり立ち代わり食事にやってくる。その一角に、小さい鍋と妙に見慣れた土作りのかまどが鎮座していた。


「何だ。河内さんに聞いてないのか。王城を出る前にこっそり知らせたんだがな。」

 そうして鍋の木蓋を開く。湯気が一気に立ち上る。

 木の匙を擦るように潜らせて、用意されていた茶碗にそれが盛られる。


「おかゆ、っぽいすね。」

「まぁ、色々理由があるんだ。食えば分かる。遠慮せず食え。」

 腰掛けた椅子のテーブルに、木匙とともに差し出されたそれは、湯気を立てて由佳の鼻をくすぐる。


「なんだか、固いし、苦い?変な味。」

 それが、粥を口に運び、噛み締めた由佳の最初の感想であった。塩気が疲れに心地よいが、口の中のザラザラとした異物に、そのまま噛めずに飲み込み、一旦匙を置く。

「だよなぁ。俺の舌がおかしいわけじゃないって安心したぞ。」

 対座に座る栄治は、そういって自分用に取り分けた碗の中身をすするように流し込む。


「長くなるが聞きたいか?面白いかどうかは知らんが。」

 栄治は同じ様に碗をすするに至った由佳を見ながら、笑う。

「それは興味深い話だね。私も是非聞きたい。」

 その返事は、栄治の後ろからやって来る。丁度合間にすすり上げたかゆを喉でむせ返した栄治は、慌てて後ろを見る。


「私も食事がまだでね。同じものを頂こうか。農相のオカボは気になっていたのだ。毒見はしてくれているようだしね。」

 アルド・リゼウはそう言って、栄治の隣に腰掛ける。



「これは、こういう食べ物なのか?」

 取り分けられた木椀の中身を噛み締めながら疑問げなアルド・リゼウを栄治は眺めながら口を開く。

「まぁ、そうだな。食えるレベルにするにはその調理法しかなかった。固いし、正直言って不味い。精米すれば柔らかくなるだろうが、少なくとも栄養価的に勧められんし、味も良くなるとは限らんな。」


「理由は腐る程ある。代を重ねながら一個一個潰していくしかねぇ。そもそも、土地も悪けりゃ、そいつはほぼ原種だ。気候の問題も、地質の保水量もある。まだ調べてる段階だが、日照量や品種の総合的な因果関係もあるだろう。だがそうまでして、俺には食いたいものだった。実って収穫できたのだから、まずは十分な成果だ。」

 兵士たちによって運ばれてきた鶏の丸焼きを陶器のナイフで削ぎながら、栄治は由佳を見る。由佳は求められている反応を察すると同時に、同意するように恥ずかしそうに鼻を掻いた。


「固いから粥にして流し込む。腹の中で消化すれば同じだ。香りもなければ甘みもない。塩と海藻の粉末でそれを外から整えた。実際の栄養価は判らん。ここには成分分析機があるわけではないからな。正直、二の豆や三の豆を焼いて口いっぱいに頬張った方が利口だろうよ。」


 由佳は一度置いた匙を再び手に取ると、食べ残していた碗の中身を口に運ぶ。既に冷めていたが、それでも歯を立てて一粒一粒を噛みしめる。


「成る程。それは鶏卵と親鶏の関係と同じだな。それならば私も理解をできる。農相のお陰でな。」

 栄治によって削ぎ取り分けられた鶏肉を口に運びながら、アルド・リゼウは目を遠くする。


「お嬢さん。この男はな、その日あったばかりの若い娘に大言おおごとを吐いたのだ。三年で、雛の数を数え切れないようにしてやるとな。まるで軽口に聞こえるそれが、見栄ではなく、本気で言っているのだとは思われなかった様だが。」

 肉を噛み締めながら、コップの白湯をすするアルド・リゼウを前に、顔をそらすようにした栄治の仕草を見て、由佳はそれが、実際に起った事実なのだろうことを察した。


「この男は、笑ったり戯けている裏で、実に真剣で、有能な男なのだ。」

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