ヤートル
メートル
長さの単位として国境を超えて広く普及しているそれは、18世紀末に制定された。
単位という決まりが生まれたことで、形を等しく揃え、個人差に於いての誤差から発生する結果の違いは飛躍的に減少していった。数字の計算によって、未知の事象に対しての結果を考察し、それを裏付けていくことで、人が生涯の内に得られる「好ましい結果」も、飛躍的に増加していった。
そして共通の単位を用いることで、その知識を共有することにも役立つ。
暫くの間、薄く掛かった雲が空を覆った日が続いていたが、その日は雲が晴れ、高く登った陽の光が地面に降り注いだ。
この数日をぼんやりと過ごしていた幢子は、まるで息を吹き返した様に、誰よりも早く動き出していた。
コ・ジエが大勢の役人と、数多の荷車を引き連れ、ポッコ村に戻ったまさにその時、この数日を振り回された村の青年たちが幢子の大歓声に苦笑いをしていた所であった。
ジエの姿を見かけるに、その内の一人が駆け出し、それを追って手が空いている村人たちが、帰参したジエたちのもとへ駆け寄っていく。
「幢子さん、これを運べばいいんすかね?」
「うん。荷車へのサスペンションの取り付け、すぐ始めるね!」
たたら場の火の猛る音さえも届くその広間で、由佳と幢子が、数人の青年たちと身を屈めているのを見つけると、ジエはそこへと足を向けていく。
「ユカ殿、こちらにいらしていたのですか。トウコ殿、一体何を。」
この二人がその場に顔を並べていて、何事もないはずがない。急務とも言える渦中の中にあっても、ジエはだからこそ平静を胸に、声を掛ける。
「あ、ジエさん、戻ってきたんですね。丁度いい所です。」
「お、お邪魔しています。」
由佳はこの地の重役であると認知したジエを見かけるに慌てて身を強張らせる。
教会の内装を慌ただしく整える役人たちを置いて、長机の上に載せられたそれを前に、三者が顔を向き合わせていた。
「これがヤートル原基の第一考。ポッコレンガの平均的な規格の長辺4つ分の長さ、という事にしてあるんだ。」
「ヤートル?」
聞き慣れない言葉にジエがトウコの顔を伺う。数人の役人が作業の手を進めながらも、同じようにそちらに顔を向ける。
「馴染みのあるヤードでもメートルでもいいんだけどね。名前を考えてたらきりが無いから、両方から取ってヤートル。実際そのどっちとも長さは違うだろうし。」
並べられた奇妙な形の銑鉄の棒は四本。その長さは揃えて同じものになっている。少なくともジエの目には違いがない様に見えた。
「このヤートルを基本に、測量や計測を一新していくの。直線距離、体積、表面積、インゴットのサイズ、レール、車輪幅なんかもそう。基準をポッコレンガにしてあるから、建物の大きさや炉の大きさにも直ぐに適応できるし、村の人には数えやすくなっているはず。後は検地なんかもそうだね。」
そうして幢子は、鉄の棒のそばへ、レンガやレンガの断片を並べていく。
「十進法だと半分にした際に早速奇数化してしまうから、最初は四刻みで。半ヤートルはポッコレンガ二つ分。下の単位は半ポッコレンガ、四分の一ポッコレンガ。この辺りが車輪幅の規格になるかな。」
そうして、幢子は研磨され均整に揃えられた四分の一ポッコレンガを取り上げる。
「レールの車輪幅もこの辺りで検討ができるはず。同じサイズの車輪を用意できれば、荷車の車体への影響計算もし易いし、修理用の交換部品も大量生産向きになっていくはず。体積計算ができるようになれば、荷への荷重計算や容器の統一規格も進んでいくと思うんだ。」
「ふむ。」
頷きこそはすれども、ジエは心が酷く冷えていくのが徐々に解ってきてきた。
「布陣展開距離、罠の展開距離、前進距離、後退距離。弓の射程距離。槍の長さや投擲距離。他にも身体計測の基準にも。」
一つ息を呑んで、表情を固めた幢子がそう伝えた時、ジエは思わず目を伏せる。
周囲の役人の手はもうすっかり止まっている。その場の全員が、そこに顔を釘付けとなっていた。
「この原基から木の棒や草紡の糸で長さを写し取っていく。原基は貸し出さないで、このヤートルを用いる領や国で厳重に管理する。サザウとリゼウでこれを持ち合えば、お互いを正確に理解して、足並みも揃えやすいし、相互で利用して依存性を上げていけば、厳格化も進んでいくと思うんだ。」
「本当は重さも決めてしまいたいのだけれど、その辺りはまだ金属の均一化や耐腐食性が精度的に無理だから金属加工が進んでから協議しつつ、当面は絶対比重ではなく相対比重で、かなと思ってるの。どうかな?ジエさん。」
不安げにジエの顔を覗き込む幢子の姿を見て、由佳は一人、思わず吹き出した。
「で、たまたま荷車の件で相談に来たアタシが、リゼウに大急ぎで運んでほしいって頼まれてたわけなんですよ。栄治さんに渡せば、喜んで検地に使って、外堀を埋めてくれるだろうからって。」
「誰か。急いで手紙の代筆を頼む。同じ文面を、五枚だ。」
ジエは額に手を当てて、目元を隠す。表情は隠され、周囲の誰からも伺えなかったが、その声が震えていた事だけは、誰もが理解していた。指定された枚数は、丁度長机に並べられた銑鉄の本数と同じであった。
「直ぐに、外にいる衛士の連絡係を呼んでください。極めて重要な荷を運ぶ必要ができたので、護衛を頼みたいと。これを、ユカ殿が運んでくださる、のですよね?」
ユカが頷くのを見届けると、ジエは周囲を見回す。既にその場に幢子の姿はなかった。
「リゼウ国に運ぶのなら、その道中の王都や、エスタの領館に運ぶのも、距離は変わらないでしょう。むしろ重要性を理解して運んでくださる貴方に頼んだ方が、都合がいい。」




