王太子を蝕む毒
「ニア。お前まで領を抜け出してくるとは。」
随伴するコヴ・ラドが現れた娘に頭を抱える。
「御父様。私は、コヴ・ドゥロをこちらへお誘いすべきと思ったのです。領主が三名、不在が一名。どちらが正しいか、この場にいらっしゃる立場を決めかねている方々には、良い薬でしょう。」
そう述べ、それを終えるとコ・ニアは広間に背を向ける。
「何処へ行く。」
「国王陛下の国葬とは言え、私とは折り合いが悪い方々もこの場にいらっしゃいますので。道中を来る荷車でも眺めながら、領へと戻ります。乾豆や薪、防寒具等が、リゼウ国から運ばれている様です。国境の差配は必要でしょう。」
最早、振り返る事すらなく引き返すコ・ニアに、コヴ・ラドは頭を抱える。
「衛士、何をやっている。次期王の命だ。連中をつまみ出せ!」
一幕を他所に、近づいてくる栄治を指差し、王太子エルド・サザウはそれを叫ぶ。帯剣したその腰に手を伸ばし柄を掴んだその姿を、栄治は腕を掴んで押し止める。
そしてそれに気づく。
「この青臭い匂い。あんた、何か嗅がされてるだろ!心を落ち着かせる香薬だとでも言われたか!」
鼻を突く匂いに記憶がざわめき、栄治の言葉が一層を荒くなる。
「農家をやってるとな、この臭いに狂っていく奴が一定数居るし、その話は一気に広まる。バレてないと思ってるのは本人だけだ。周りは見れば直ぐ解る。その後、臭いで確信する。漏れなく破滅する。おかしくなって畑仕事を出来なくなっていくんだ。そのうち気も触れて行く。」
栄治が激しくエルド・サザウの手をより強く掴み、矢継ぎ早に声を荒げ、恫喝する。周囲を見回し当たり散らす。
「何処の馬鹿だ!それともシギザ領のダナウって奴か!馬鹿王太子に、大麻を盛ったのは!」
その見幕に、周囲はそれを理解できず一層の距離を取る。
腕を掴まれたまま、エルド・サザウは激しく藻掻く。
その抵抗を抑え込み、栄治は彼をそのまま地に押さえつける。
「縄を打て。リゼウ国で更生させてやる。その香草は今後一生使うな。自滅するだけだ。」
「離せ!無礼な!離せ!」
リゼウ国の兵士が、それに駆け寄り、恐る恐る腰から取り出した藁を編んだ荒縄を、エルド・サザウの両手に結びつけていく。
「いいか?こいつが嗅がされたのは、毒だ。誰に、何時から盛られてたか知らんが、同じ様に怪しい香草を渡され、焚く様に言われたヤツは、そいつを捨てろ。自覚があるだろ!」
一人が、その場で膝をつく。それに釣られ、取り乱す姿を見せる役人が増えていく。
「毒、なのですか?」
コ・ジエが栄治に駆け寄る。記憶に引っかかる、何かがあった。
「そうだ。俺はそう断言する。諸説あるし、扱い方は様々だが、俺が知ってるそれならば、俺は、こいつを毒として扱う。目の黒いうちは、それを許さない。」
栄治は、寄ってきたコ・ジエの目を真っ直ぐに見る。鼻をすすり、そして安堵する様に息をつく。
「以前、シギザのコ、デナンが、王立学校で香を持ち込んで振る舞ったのです。手に入れたが、自身は不要だからと、同じ派閥の者に。王太子殿下も、その場に居たかも知れません。それを焚いた場には居合わせることはありませんでしたが、幾度かそういった場面を目にしました。」
その後ろに、道中を同伴した老いた役人が、会話を聞きつけ駆け寄る。
「心を落ち着ける香、学業を捗らせる香として、校内に広まった事があったな。しかし成りを潜めた。そういう風に見えたが、深い所では根を残し続けていたのか。」
「それもあるだろうが、一度覚えたら、好きだと思ったらもうダメだ。外面の症状が鳴りを潜め、抜け出せたと思っても、一度嗅がされると、直ぐ逆戻りだ。一生、毒は頭に残り続ける。」
栄治は、荒い言葉を残しつつ、顔を歪める。
「昔、こいつを畑で栽培した爺さんが居てな。おかしくなって、最後は自分の畑に自分で火をつけて、畑の真ん中で焼け死んだ。世話にもなった。飯も一緒に食った。目の前で畑ごと燃えたんだ。」
「丸焦げになって、炭みたいになったのを、他の爺さん連中が一様に口を揃えて馬鹿だと言った。燃えてるのを助ける所か、近寄る事もブン殴られて阻止された。」
「何日も野ざらしにした後で、呼び出されて、そういうモンだと、教えて貰ったんだ。もう手遅れだった、そういう風になると村の全員から思われてたんだとな。」
栄治は、エルド・サザウの両腕を縛り上げる縄を強く引く。
その指先は爪の合間から出血し、赤く染まり、それが縄に滲んでいる。
苦い思い出に、気が荒ぶっていたそれを、周囲は怒気と感じて近寄りがたい雰囲気を撒き散らしていた。
捕物の騒動が一段落つくと、続いてその場で、事の粗筋がコ・ブエラを中心に語られていく。
既に事前に賛同をしていた貴族役人がその場に多く居合わせた事により、危機感は可視化されていく。
「荷の行方、報告が届いたぜ。」
広間に現れた衛士隊長のリオルが、コ・ジエと幢子の側に寄る。
「夜を徹してシギザ領へと向かい、入っていった所までは足取りを追えたそうだ。だがそこから先は、あまりいい話じゃない。」
リオルの姿を確認し、衛士長もその側に寄る。リオルはその姿に礼を払い、続ける。
「衛士の馬がシギザの領境に着いた時、バルドー国の兵士が立っていたそうだ。その段階で、引き返してきている。情報を持ち帰る事を優先したそうだ。すまねぇ。こんな事になっちまって。」
リオルは二人を前に、頭を下げる。
「こちらに集められているはずの、木酢液の方はどうです?」
低く、冷たい声でコ・ジエはそれを問う。今も残る栄治の剣幕の残り香に、荷の不明を憤る威勢はわずかに削がれていた。
「それも見つからねぇ。王太子殿下が証拠として何処かに秘匿したのか、それとも同じ様に誰かに持ち出されたのか。」
その答えを聞き、思わずコ・ジエは内心、頭を抱え、隠しきれずに口元が歪む。
「しかし、その量は大したものじゃないだろう。あの大瓶の灰の量に比べれば。」
その苦悩の理由を汲み取りきれず、リオルはふと、それを口にしてしまう。
「運んでいる途中でこぼれたり割れないように、瓶に蓋をして、灰を詰めた大瓶の中に沈めて、大事に扱うの。作れる量も多くないし、そもそもあれは水で薄めて使うんだよ。あの小さい瓶の一つだけで、沈めてた大きい瓶の五つ分ぐらいの量にするんだよ。」
幢子が説くその言葉にリオルは唖然とし、衛士長共々、顔色が瞬く間に青くなった。




