貴族病
リゼウ国兵士分隊長の手記
サザウ国の王都トウドは、リゼウ国の王城周辺とは明らかに異なり、様々な建物が乱立する巨大な街であった。
訪れたのは初めてである。これ程の建物の数に、どれだけの人々が住んでいるのか。
しかしその街並みに反して、人の姿は疎らである。街の雰囲気も酷く沈んでいる。
兵士たちの間で伝え聞いた噂に依ると、冬季ともなれば国内外から多くの人が集まり、入都を待つ人々が街道に列を成すはずである。
しかしその影はまるでない。
稀に行き交う人を見る。その姿は傍から見ても、直ぐに分かった。
農相や国主様が危惧をしている体躯の失調の相が見える。
細い腕、頬の張りと色、乾いた唇、足取り。
食を十分にとっていない、身体を十分に動かしていない、冬季を乗り越えていけないとされる症状だ。
今ではこんな状態の住人の村が発見されれば、荷車が動員され、療養集落に送られるだろう。
だが今この街に、我が身の明日を案ずる様子は、危機感はどうにも伺えない。
この冬季で、この街で、どれだけの人が飢え、事切れるのだろう。
いや、我々もまた気づいていなかっただけだ。
それを示され、目に見える形で実感するまで、我々もまた、ああした姿であったのかも知れない。
若鶏の丸焼きを食べ、豆を食べ、スープを飲み。そうして畑仕事で身体を動かし、陽を浴びて十分に昼寝をする。
そうした環境で、ああした症状から、漸く抜け出していったのだろう。
農相があれだけの収穫を前にして尚、飢えに殊更に憤る理由が、今は理解できる。
我々は、自他を通して、飢えるという事を知る事が出来たのだから。
「このままいけば、数日中に王太子殿下は国王陛下になられるでしょう。」
「それが、この段取りの悪さの原因か。最悪だな。時期が悪すぎる。」
栄治は目を瞑り、大きくため息をつく。コ・ニアが道中で述べていた言葉を思い出す。
「組合で得た情報によると極めてありふれた、貴族病と呼ばれるもので、急逝とはいえ珍しい症状ではないのです。」
「手足のしびれ、冷え、身体が衰えていき、食欲不全、歩行障害などを経由。これを詩魔法で癒やしても、再発、症状の緩和が見られなくなり、脈は乱れ、時に意識を失う。」
「如何にもありがちな症状だな。その上で、馬鹿王太子が騒動を起こして、心労で、ポックリか。」
栄治の頭の中は大きく掻き乱される。
このまま王政府に乗り込んだ所で、まともに話が通じない可能性について考える。と、同時に、貴族病の症状についても如何にもありがちな話に、意識が取られる。
「まさか、脚気じゃねぇだろうな。おい、王族や内政府の貴族ってのは乾豆は食うのか?」
「乾豆、ですか。僅かであれば食べるかと思いますが、ここは海も近く、魚や王領で得られた鶏の肉等が好まれます。豆は専ら、供回りに報酬として払い下げられる食べ物です。」
その返答に、俄に、自分の身体が気になった栄治は、膝を叩いてみる。
「どうにも、自分でやったんじゃダメだな。おい隊長。俺に膝の、この辺りを、その槍の柄で軽く叩いてみてくれ。」
栄治の言葉に、不意をつかれた兵士隊長は戸惑いながらも、逆さに持った長槍の柄で、栄治の膝を叩く。
すると、衝撃に対する反射行動で、足が跳ねるように持ち上がる。
「まぁ、俺は大丈夫か。二の豆は明らかに大豆っぽいモンだしな。三の豆も食えば確実か。おい、お前たちも座ってやってみろ。流石に不安になってきた。」
「一体何をされているのですか?」
その時、唐突に始まった奇妙な光景に、奥からやってきた組合の本部長が思わず声をかける。
「待ってたぜ。まぁ、あれだ。貴族病ってのじゃないかを確かめてたんだよ。もっとも、この国の貴族病は違うかも知れねぇがな。」
手のひらを縦にして、座った兵士長の膝を叩いている栄治の意図は誰にも掴めていなかった。
「俺の生まれた国では、貴族病の判別と言ったらこれなんだ。ほれ、こうすると足が跳ね上がるだろう。」
栄治が手を打つと、膝は兵士隊長の意思に反して跳ね上がる。
何度も繰り返され、兵士隊長は自分の意のままにならない挙動に不安になり始める。
「こうやって、勝手に跳ね上がるんだよ、力を抜いてればな。それなら正常だ。脚気じゃねぇ。逆に持ち上がらなければ、脚気の症状が進んでる可能性がある。まぁ、その程度ならまだ十分間に合うがな。」
「脚気ですか。それが貴族病の事なのですか?間に合うとは?」
本部長は自らも椅子に座り、そのズボンを捲くりあげ、脚を膝まで晒す。
「やってみろっていうのか。ほれ、足の力を抜いてみろ。」
栄治は本部長の足の太ももを掴み、力の入り具合を確認し、彼の膝を叩いてみる。
「持ち上がらねぇな。力を抜いてるか?乾豆、ちゃんと食ってるか?」
何度か叩いてみるが、足は持ち上がらない。次第に、本部長の顔が青ざめていく。
「ここの所、良い鶏の肉が出回りますので、魚と肉ばかりで。」
弱々しい声で本部長が吐露をするのを、栄治は手足の温度を確かめながら聴く。
「悪いことは言わねぇから、豆を食え。酒を控えて、毎日、二の豆と三の豆辺りを食ってれば、冷えや痺れくらいの初期症状なら間に合うだろう。どうしても肉を食いたければ、イノシシの肉だ。」
そう言いながら、頭の中に、この場で使える手札が一枚増えた事を意識した。




