夢の世界の悲しい子へ
「私を、助けて」
たった一言。
その言葉が、まるで蜘蛛の糸のように僕に絡み付いたまま、離れようとしない。
「流様。学校のお時間ですが、起きていらっしゃいますか」
メイドの声に体を起こし、水玉模様のパジャマから半袖短パンという夏にピッタリのファッションに着替える。机の上に置いてある教科書がパンパンにつまったランドセルを背負い、二十畳はある自室の部屋のドアを開ける。
「流様。庭に黒い車が止まっておりますので、そこに乗ってください。朝食は車内に用意してありますので」
メイドの赤木さんの声に、僕は歩きながら耳を傾ける。
玄関を開け、僕は赤木さんに見送られながら庭に止まっている一台の車に乗車する。
相変わらず車内は広く、十人ほどが楽々と座れるスペースが存在している。
僕は椅子に座り、黒塗りの机に置いてある料理を眺める。
味噌汁に白米、サバの味噌煮といった普通の料理。我が一家はお金持ちだと言うのに、どうしてか料理は健康的で庶民的だ。
東京ドーム一つ分はある家を背に、車は学校へと発進する。
通りすがりに僕と同じ学校に通う小学生を見かける。
赤いランドセルや青いランドセル、様々な色をするランドセルがお花畑を咲かせ、そこにてんとう虫や蜂がとまっていても不自然ではないというくらいに、カラフルだ。
「流様。今日の予定のお話しさせて頂きます。学校が終わるのが三時十五分。学校が終わり次第、すぐに駐車場へ停めてあるこの車に乗っていただきます。その後……」
いつものように今日の予定を話している執事。その話をどうでもいいことで説教をしている教師の話のように聞き流し、僕は窓を眺め続けた。
車は停止した。
故障したのかとも思ったが、学校についたから停まっただけであった。
「流様。すぐに駐車場へ来てくださいね」
「ああ」
僕は学校へと歩いた。
下駄箱へつくと、毎回のように一人の美少女が話しかけてくる。
「霧崎流。今日も半袖短パンで来たのね」
なぜかいつも持ち歩いている竹刀を片手に、僕の体をなぞるように竹刀で触ってきた。
危うく変な声が飛び出そうになるも、息を殺して堪えた。
相変わらずこの女は、僕をなんだと思っているのだろうか?
「メアリー。半袖短パンでもいいじゃねーか」
「あんたねー。何度も言うけど今は夏。冬じゃないのよ」
「そういえば……」
夏はいつものように半袖短パンを来ていたせいで、とうとう季節感覚が壊れてしまったらしい。
メアリーは顔を半分こちらに向けて、
「ほら。さっさと行くよ」
「僕はお前の飼い犬じゃないんだが……」
「流。今日は学校が雪合戦を開くとか言ってたけど……知ってた?」
僕の淡い叫びを無視し、急に変な話題を持ちかけてきた。しかもその話題が、雪合戦?
そういえば男子の中でも最も仲のいい九条才太が言っていたな。
「なあメアリー。多分それ嘘だぞ」
「え!?」
「九条から聞いたんだろうけど、あいつは誰にでも嘘つくからな。でもその嘘、もうこの学校に五年もいるんだから解るだろ」
メアリーは顔全体で「What」と叫び、何か言いたげな表情となり、すぐに口を籠らせた。
察するにだが、メアリーは今怒っているのだろう。メアリー怒るとすぐに黙り込む癖がある。きっと内心、僕か九条に文句を言いまくっているのだろう。
口に水を含んで飲みきれなくなったかのように口を膨らませ、僕を睨む。
「まあまあ、情報モラルってやつだよ。全てを真として受け入れず。ちゃんと今までの文化を学んだ上でそれが事実かを確認する。そうすれば、メアリーは全然騙されないと思うぞ」
「流は成績優秀じゃん。でも私はそんなに頭がよくないんだよ。だからそんなの解んないよ」
困り果てた顔で言うメアリーに頭を抱えつつ、いつの間にか教室へついていた。
メアリーは九条を見るや、すぐに飛びかかっていった。
全くいつも通りに口論をし、ケンカに発展し欠けるのを先生が止めに入る。本当は僕が止めるべきなのかもしれないが、一度止めに入って二人の怒りが僕に注いだのを覚えている。それ以降、僕は先生に任せている、
今日も和尚さんの念仏のように長い授業が終わり、僕はランドセルを背負って帰ろうと席を立つ。すると、メアリーは真剣な目をして僕の前へ机を挟んで立った。
「流。話したいことがある。だから、今日一緒に帰らない」
メアリーは半ば緊張しながら、震えた口調でそう言った。
どうしようか迷ったが、この後僕はすぐに車に乗れと言われている。こういうことが言われた日は、毎回何か重要な用事が降ってくるものだ。だがしかし、もう退屈だ。
「ああ。一緒に帰るか」
僕はメアリーとともに学校を出て、メアリーが足を進める先を予想しながら足を進める。
まるでペアでフィギアスケートでもしているかのようだ。
「ねえ流。実は話したいことがある。それでさ、昔私たちがよく遊んでたあの公園に行かない?」
昔、というと二年前くらい前か。
僕たちが六年生になる前、たしか四年生だった頃、よくあの公園で遊んだものだ。だが男女という障壁がある限り、いつまでもその関係が続くことはなかった。
「そうだな。昔の思い出話でも話そうか」
「うん」
そう言って、僕とメアリーは思い出のあの公園へ……
だが、見覚えのある車が一台、僕たちの目の前に止まっていた。その車の中からは、執事が一人、車の中から降りてくる。
「流様。今日は大事なパーティーがあります。流様には是非とも出席してもらわなければ」
「はいはい。そんなに僕を連れ出したいのなら……」
と僕はメアリーの手を掴んで後ろを向くが、背後には黒服の男たちがどっしりと待ち構えていた。
「流……」
メアリーは心配そうな目で僕を見ている。
「流様。もうあなたは立派な大人です。そうあまえないでください」
「ふざけるな。僕はまだ子供だ」
「いいえ。もう流様は立派な大人です。ですので速く車に乗ってくれませんか。それとも、」
そう言い欠けて、執事は口を閉じる。
その言葉の続きがなんなのか、それを僕は薄々であるが勘づいている。それは執事が僕を連れ出す時の決まり文句。
ーーどうなってもいいのか?
「メアリー。すまんが、また今度でいいか?どうにも、今日は聞けそうにないんだ……」
「今日じゃないと……」
「すまん。でも今日は無理なんだ」
いつもは強いメアリーの声が弱くなっているのに気づき、僕はか細い声で謝罪の言葉を投げ掛ける。
「私は……」
そう言い残し、メアリーは足早に去ってしまった。
「では流様。来ていただけますね」
そうするしかないだろ……。
僕は重たい足を車の中へ進め、無駄に広い車内で一人、外を眺める。
映画のフィルムのように断片的な背景を見つめ、これから死刑台に送られるような罪悪感にさいなまれる。
ーーああ。どうして僕は、自由じゃない……。
車は三時間経ってようやくとあるビルへとついた。
そこは、初めて見る巨大なビルであり、その最上階だけが黄色い光によって輝いている。
「では流様。行きますよ」
「ああ」
苛立ち混じりの返事を返し、執事の背中を睨みながらビルの中へと入った。
きっと父の仕事関係だろうと勘づきながらも、僕はパーティー会場かあるであろう最上階へと向かった。
「では流様。なかでお父様がお待ちしておりますので、あとはご自由に」
ご自由に、
どうせ自由なんか僕にはないくせに。
ろうそくの息を吹き消すようなため息を吐き、光が漏れている扉を開けてパーティー会場へと入る。
「よー流。来てくれたのか。そういえば今日はお前の誕生日だったな。明日誕生会はするつもりだが、今日は友人に祝ってもらったりしないのか?」
父はまるで僕がここに来たのを違和感と感じているように、僕にそう質問する。
「いやー。特にないよ」
「そうか。じゃあ今日は存分に肉を食べなさい」
僕は一般的に子ともが摂取すべきカロリーを獲得し、パーティー会場の廊下に備え付けられているベンチへと座った。
すると昨日はあまり睡眠時間をとれなかったせいか、睡魔に襲われうとうとしていると、隣に父が座った。
「なあ流。もしかしてお前、あの執事に無理矢理連れて来られたんじゃないのか?」
「まあ……」
僕は曖昧な返事を返す。
すると父はさっき自販機で買ったばかり缶コーヒーの蓋を開け、一緒に買ったミルクを缶コーヒーの中に注ぎ、ゆっくりと喉を通す。
「もしかして、今日誰かに祝ってもらえるんじゃなかったのか?」
「そんなの……全然だよ……」
「そうか。悪いことを聞いたな。忘れてくれ」
父が去る去り際、そっと缶コーヒー片手に振り返る。
「流。一歩を歩んだ者と一歩も進めない者との差はどれくらいだと思う?」
「たかが一歩。そのくらいで、そんな差はつかない」
「そうかもしれない。ただの一歩、そんなものに、意味なんかないのかもしれない。だけどな、一歩を踏み出した者は、何もせず止まっている人間よりも、よっぽどかっけーって思うぞ。だから、かっこいい人間になれ」
かっこいい、か……。
昔からカッコつけている者は意味嫌われ、バカにされてきたーー
「流。お前がどうしたいか、それさえ持っていれば、お前は自由じゃないのか?」
そう言って立ち去る父の背中はいつにも増して大きく見えた。
そんな背中を見ながら、僕は襲われるがままに睡魔によって目を瞑ってしまう。
再び目を開いた際には、目の前に知らない世界が広がっていた。
「ここは……夢の世界ってやつか。それにしても、なかなか面白いな」
僕は流れるプールの中で浮いているような感覚を味わいつつ、夢の世界とやらを探索する。
ふわふわと漂い、薄桃色の世界の中に、一つの巨大な木が生えていることに気がついた。その木には何百もの半球体が埋められており、そこを覗くと色んな世界が広がっていた。
「ここが……夢の中なのか……!」
そう驚いていると、
「少年」
どこかからか、声がした。その声の主を辿るようにして木を少し降りていくと、木の真下には、一人の者が半球体の中で体を動かせずただ悠久の終わりを待っているように、ただそこに存在していた。
「お前が、話しかけたのか?」
「ああ。それより時間がないからよく聞いてくれ」
なぜか焦り口調で話そうとしている謎の存在に聞き耳を立て、木が生えている大地に足をつけて話を聞く。
「今、この夢の世界は一人の少女によって破壊されようとしている。少女は全てを破壊し、何もかもを壊そうとしている。だから少女を止めてくれ。それに、このまま破壊衝動に支配される少女の体は、じきにこの世界と馴染み、二度ともとの世界へは戻れなくなる。だから頼んだ」
「でも、どうして僕が?」
「少女の心を覗いたんだ。そうしたら、少女の心の中には強く根を張ったお前がいた。だからお前を強制的に眠らせ、この夢の世界へ連れてきた」
僕はこの時点で勘づいてはいた。
僕はそんなに友達が多い方ではない。しかも女子となると、たった一人に限られてくる。
「なあ。今すぐそこへ行かせてくれ」
「ああ。夢の世界では何でもできる。一応それを頭にいれておけ。じゃあ頼んだ」
僕は返事をするその前に、知らないどこかへと移動させられていた。
初めて見る景色、そして燃え盛る炎、雷が降り注ぎ、多くの者が慌てて逃げ帰っている様子。
そんな光景の中で、僕は上空に漂う一匹の竜を目にする。
赤黒い翼に赤黒い足、十メートルはある建造物を軽々と破壊するその巨体、振るわれる尻尾の一撃で、瓦礫が宙を舞う。
「あれが……」
「ヴォオオオオオオオォオッォォォ」
「ーーメアリー」
巨大な竜は町を破壊していき、建物をその足で踏みつけ、さらには口から放たれる火炎で何もかもを消滅させた。
「メアリー。やめてくれ。これ以上暴れれば、この世界は壊れてしまう」
そう呼び掛ける僕の声を無視し、竜はこの世界をさらに破壊するつもりだ。
太刀打ちできない、そう思いもしたが、諦めるわけにはいかなかった。
ーーかっこいい人間になれ
「なあ父さん。僕はもう、自分自身に嘘はつかない。そう決めたよ。メアリー、僕はお前を救って、僕の気持ちを伝えたい。だから、歯くいしばってよく耐えろよ」
僕の創造力は、無限大だ。
神をも殺す武器を創り、万物を再生する頭脳をも持つ。ただ一刻に何者にも支配されず、英雄たるその片棒を担ぎし者。
「我は霧崎流。全てを打ち払い、天から降り注ぐ雷光よ、今その身で竜を撃ち落とせ。雷啼」
天から降る雷が竜へと落ちる、がしかし、竜は倒れることも落ちることなく、流を凝視する。
「お前が、雷を」
竜は僕を凝視し、そして睨み付ける。
竜を初めて見た僕にとって、竜に睨まれていることはやくざに絡まれているのと一緒。
だけどーー
「メアリー」
そう叫ぶと、僕を睨んでいたはずの双眼には力がなくなっていき、優しい瞳に変わる……だが、竜の背中に見覚えのある男が乗ると、竜は再び鋭い眼孔へと姿を変えた。
「まさかさっきの男……」
「流様。もうこれであなたの友人、メアリー・サウスポーは死にました。でも安心してください。きっと夢の中では会えますから」
そう微笑んで空へ滞在する一人の男。
「執事……お前」
そこにいたのは執事であった。
前々から怪しいとは思っていたが、まさか……
「お前。何者だ?」
「私はこの夢の世界の住人ですよ。私はこの世界を破壊したかった。なので、この女を利用させてもらったわけなのです」
執事は竜の体を蹴り、それに怒って竜は僕へと突進を仕掛ける。
僕はコンクリートの地面に触れ、前方に鉄の壁を三重に創製するも、竜はいとも容易く破壊して僕の体を上空へと吹き飛ばした。ホームランボールのように宙を漂う感覚が迫る中、竜は僕へと飛翔してきている。
「メアリー。目を覚ませ」
だが、竜にはそんな呼び掛けなど聞こえていないらしい。
「父さん……」
僕は竜に飲み込まれ……
「メアリー。雪合戦、するって言っただろ」
その瞬間、雪玉が何発も竜へ向かって放たれる。竜は僕を飲みかける寸前で高度を下げ、僕の背にいる何者かを見る。
「流。メアリーを救うぞ」
そう言って宙を漂っていたのは、九条才太。
「どうしてここに?」
「夢の世界の住人。それはあの執事と同じことだ。だがあいつは世界を滅ぼそうとしている。だからあいつを止めるためにここに来た。それに、親友の恋人を、そう簡単に死なせはしないさ」
「恋人って……」
「そう照れるなって」
確かに頬はリンゴのように赤く染まり、体温も上がっている気がする。
「流。俺はあの執事を倒す。だからお前はメアリーを頼む」
「ああ。任せておけ」
僕と九条は拳をぶつけ合い、そう誓い合った。
九条は光の速度で執事のもとへ移動し、そして剣を創製して執事へと振るう、が、執事も剣を創製して受け止め、互いの剣が互いの体を削っていく。
「九条。執事は頼んだ。僕は、メアリーを止める」
「ヴォッッッッッッッッッ」
興奮気味声に掻き立てられ、僕は見よう見まねで盾を創製する。
「メアリー。僕がお前を、護ってやる」
盾を臆病者の如く構え、竜と近ず遠からずといった距離で盾を構える。いつ喰われるか解らない恐怖心に見舞われながらも、僕は浮き足で距離をとっていく。
だが、竜は突然僕へ突進をいれる。あまりの速さに目を疑ったが、僕はその突進を盾で受け止める。
だがしかし、重い。
「メアリー。動かないというのが一番よかったが、そうはいかないよな」
「ヴァアアァッァッァァァ」
火炎で超至近距離で盾へ放たれ、盾は木っ端微塵になって破片が周囲へ飛散する。慌てて盾を創製しようとするも、竜の尻尾の一撃が僕の脇腹を直撃し、僕はさらに空へと飛ばされる。
「流」
「よそ見している場合か。獄炎」
執事がクロスしている腕から放たれた火炎は、執事とは反対側にいる僕の方をよそ見していた九条へと注がれる。
「反射」
九条はノールックで獄炎に手をかざし、その手によって獄炎は執事の方へと跳ね返る。
「この私が、私がああああああああ」
獄炎にのまれ、呆気なく執事は死んだ。
だがしかし、まだ問題は残っている。
竜は僕を飲み込もうと大きく口を開け、九条でも追い付かない速度で僕を追っている。
「ヴォオオオオオオッッッッッッッッッッ」
「メアリー。僕は、お前が大好きだああああああ」
その直後、僕は竜にのまれる。
そして、周囲を花びらが舞い、僕はあの巨大な木がある場所へと移動していた。
「流……私、何かしていたみたいで、ごめん」
隣にはいつものようにメアリーがいる。こんな普通のことが、今ではすごく嬉しい。
「いいよ。それよりさ、今日何か僕に話したいことがあったんだろ」
「うん。今日は流の誕生日だからプレゼントと一緒に流に言いたいことがあったんだけど、夢の中じゃ用意していたプレゼントがあげられそうにないんだ。だからーー」
僕の頬には、甘酸っぱい恋の香りが募った。
「ーー口づけで許してね」
かわいく天使のように微笑むメアリーに、僕は思わず心臓の鼓動を駆け足にさせた。
「十分すぎるよ」
「流。私と、付き合ってくれないかな?」
「メアリー。僕はお前が大好きなんだ。だから、ずっと一緒にいよう」
「うん」
世界の秘密なんてどうでもいい。
世界の謎なんか解明しなくていい。
ただ僕は、メアリーといれるだけで、幸せなんだ。
僕たちは巨大な木の下で、永遠を誓い合った。
「「大好きだよ」」
ーーメアリー
ーー流