ビジネス、そして書くということ
先日、一冊の本を読破した。
「戦略がすべて」というビジネス書だ。
そこには興味深く、考えさせられる内容が綴られていた。
以下がその一部である。
ビジネスの世界において、他と差別化できない商品は、付加価値がなくなり低価格で買いたたかれる。これをコモディティ化と呼ぶが、それは商品だけの話ではなく、人材にとっても当てはまることだ。
技能や専門知識の薄い人材は、替えの効く人材なので、企業にとって都合の良い条件で働かざるを得なくなる。
違う場所で条件が良くなる可能性が低いので、労働者側も文句を言えない。この状況から脱出するには、特化したスキルを身に着けて競争に勝ち抜くしかなのだ。
私にとっても耳に痛い話しである。
今の仕事は、作業や管理の手順、商品の番号や仕様などの知識は多少必要とされるが、少しの期間を働けば誰でも会得できるものだ。
私は非正規という身分であるので、職場での高い知識が得られる勉強会などに参加する機会もない。新しい会社に転職するとしても、中年と呼ばれる年齢であるので、若い人と比べると市場価値は低いだろう。
そしてなにより私は根っからの文系なので、今の会社が要求する理系の知識に深いところでいつも理解ができずに投げ出してしまう。
このビジネス書はこうも言っていた。勝てる分野をみつけて徹底的にやれと。
私の勝てる分野とはどこであろう。世間から見れば探すには遅すぎるとのそしりも免れないが、それでも、もう少し希望を頂きたいという思いがあるのも事実だ。
その中でも、書くという作業は一つの希望である。
それは糸のように細くてもろい光であるが、私はいつもその一筋の光に吸い寄せられ、拙い文章を書くことに夢中になる。もしかしたらそれは「勝つ」という目標とは違う動機で突き動かされているものではないか。
そう、それは「いいね」という喜ばしい肯定それだけが欲しいためのもの。
ブックマーク、評価、感想。
自分の何かを認めてくれる他者との心のつながり。カッコよく言えばそれが全てでないかと思うのである。
と言っても、私もいつ心が折れて筆を置くやもしれん。
その時は他の夢見る作家の方に、希望を託したいと思う。