第80部 狐(きつね)と狸(たぬき)の化かし合い
1243年10月10日 ドイツ・リューベック
*)狐と狸の化かし合い
「それでオレグさん。絹の反物の話に移りましょうか。」
「そうだな、この場の四人が入札するのかい? 希望価格に満たなければ……。」
オレグは途中からソフィアに向いてから言ったのだ。
「オレグ、持ち帰るのでしょう?」
「はい????」
「だってそうだろう。トチェフの領主さまとリリーが丹精込めて織り上げたんだから当然だろう。」
「そう言われましても、是非ともお売り頂きたいと思います。」
「あ、オレグは一番高く買った人と、今後はonlyで取引をお願いするのよね。この絹を織れるのは一台の織り機と二人の女しか居ないんだ。」
「そう、とても貴重なのだよ。」
「私が納品する織り機では織れないのですか?」
「あぁそういう訳だ。マクシムさんから先に購入した機械では綺麗に織れなかったんだ。……そうだろう? リリー。」
「はいそうです。それでも頑張って織ったのが、こちらになります。」
「良くみてくれ。これは見本だから本数には入っていないよ。」
オレグは村娘に織らせた最初の一本を見せたのだ。出来が悪いのは当然だ。リリーが取り出した反物に補足説明を加える。
リリーは、
「ほら、こことここ。それにこの部分が織れていないのよ。良く見て下さい。」
対するハンザ商人の男たちは、
「この絹糸は、もしや……?」
「これは柄はとても綺麗ですね。これも頂きたいです。」
「いやいや、このような小さいところが、ですか?」
「えぇ確かに織り機のクセが出ていますね。……これは織り機の調整で克服出来るでしょうか。」
この男はマクシムに向かって、
「これは私の織り機ではありませんよね。オレグさんが先に買われたのですから当然でしょうが。」
マクシムは、
「えぇはい。ここリューベックで仕入れたものです。たぶんドイツ製です。」
「そうでしょうとも。ここは是非ともリリーさまに実演して頂きたいものです。」
「オレグ。ここは実際に試してみたらどうかしら。」
「お姉さま、お手伝いをして頂けるのかしら?」
「ウォ~、オ~、ノォ~、イヤ~~~~。」
「あら、お姉さまは悲鳴をあげて逃げるのですか?」
「リリーさま、私がお手伝いと使い方のレクチャーを致します。きっと上手に織れること間違いありません。」
オレグは、マクシムがどこからこのイングランドの商人を見つけて来たのかが気になってきた。商人が織り機を扱えるはずはないのだ。逆に扱えるのであればこいつは商人ではない。事実、終始無言を通している男が居るから不気味だ。
「では皆さん、私が夜通しで絹を織ります。」
「だから、入札は明日にするか。マクシムさんはそれでもいいかい?」
マクシムは他の男に延期の確認をとる。全員はそれでよいという。同時にマクシムの事務所に一台の織り機が運ばれる。
「リリー食後に糸張りはしようか。先に腹を満たしておけ。」
「うんお兄さま、お願いしますね。」
「あんたも来いや。ご馳走するよ。だからしっかりと織り機の扱い方をリリーへ教えてくれ。」
「はいオレグさん。任せて下さい。」
杼、または 梭ともいう、小さい木製に絹糸を巻くソフィア。イングランドの商人とリリーは織り機の細い金属の線に糸を通して、織り機に結びつけている。この作業が一番苦労するらしい。
「はは! もう老眼ですので見えないんです。」
イングランドの商人の提案で縦糸の色が替えられた。これをすると一筋の模様が縦にはいるのだ。リリーもグラマリナも気付かなかった。さらに綺麗な反物が出来ると考えたリリー。
後は反復の織る努力だ。リリーの鮮やかな手つきに驚くイングランドの商人。
「ようしリリー。横で寝て応援するぞ~。」
「オレグ兄さん。迷惑だから廊下で寝てちょうだい!」
「ごもっとも……。」
「ソフィアはいいのかよ。」
しょぼんとして出て行くオレグ。
「オレグさん、オレグさん。」
廊下で酔って寝ていたオレグはマクシムの女史から起こされた。
「入室禁止ですか?」
「たぶん、機織りに邪魔だからと全員が出入り禁止だとよ。」
「まぁ用心棒さまったら! うふふ……。」
コン!コン!コン。
「温かいスープをお持ちしました。」
ドア越しに声を掛ける女史。
オレグには、
「鍋ごとどうぞ!」
ドアからは三枚のスープ皿が出てきた。オレグはスープをよそおってドアの隙間から差し入れる。
「あらあら、まぁまぁ、オレグさまも大変ですわね!」
「あぁそうだとも。中の二人は俺よりも強いんだ。ホントだぜ!」
「ああそうだ。マクシムはあなたの船で積み込みの確認をしています。オレグさまも行かれたらどうですか?」
「そうするか。中の二人には手を出すなよ。出したら、」
「殺されますか?」
「違うけれども、違うだろうな。」
コン!コン!コン。
「俺は船に行ってくる。昼には戻るな!」
中の二人に声を掛けて行くオレグ。
港では、
「よう兄ちゃん。随分と無視してくれたな。昨日も来なかっただろう?」
「あぁそうだが、問題が有ったか? 羊は全部出して織り機を積んだんだろう?」
積み荷のバランスを考えて船倉には岩塩が積まれていた。織り機は甲板に高く積まれている。
「おうボブ。いい仕事をしているじゃないか。」
「あたぼうよ。俺は一流だからな。向こうのボブは知らないが……。」
ボブ二号の船倉には鱈と鰊の塩漬けの樽と、織り機が甲板に積まれていた。魔女の五人はロープ掛けを行っている。
「おう、ボブ。そこの女五人は役にたったか。」
「あぁ、とてもな!」
「なんだ、良い夢を見せられただけじゃないか。どうせHな夢を見たのだろう。」
マクシムは、
「オレグさん大変です。織り機が載りません。どうしますか。」
「そこに置いていてくれ。後でどうにかするよ。」
「どうやって?」
「ロープで括って曳航するさ! なっ?」
「まさか、そんな…。??」
いつも不思議な事を言うオレグに戸惑いを感じるのだった。
「さ、オレグさん。話を先に進めましょう。日が暮れてしまいます。」
「そうだな。で、この反物はマクシムさんが落とすのかい?」
「いいえ、おそらく……オットーさんでしょうか。」
「あの無口の人だよな。あれでも商人か?」
「いいえ、ブランデンブルク辺境伯の領首さまです。」
「えぇ???!」
「驚かれるのも無理はございません。私は恥ずかしながら腰を抜かしましたよ。」
「そんな与太話はいいよ。いったいどこで知り合ったのかな。そこんとこ詳しく……。」
マクシムがたくさんの織り機を探していることを聞きつけて訪ねて来たという。ブランデンブルク辺境伯の領首オットーⅢ世と知ったのはつい先日だというのだ。
オレグは不審に思い、
「どうして織り機が気になったのかな。判るかい。」
「本当かどうかは知りません。確か、夢のお告げがあったから探していたんだ、と言うてましたわ。」
「それは、たぶん正解だ。俺も夢を見たんだ。最初はイワバのピアスタさま経由でデンマークへ輸出する予定だったんだよ。だが、そのデンマークで俺は殺される夢まで見たんだ。イワバの領首には違約金を払って来たんだが、まさか、な。」
「すまないなオレグさん。この俺でも金持ちには敵わない。この反物の件は俺は何も言っていないんだ。」
「だが、勝手に入ってきた……、」
「あぁそうだ。その内にこの反物の事が知れたのだよ。誰か内通者が居たんだ。」
「そうか、だったら女の五人が怪しいな。でもマクシムさん。ハンザ商人は一人だけかよ。」
「いや、あのイングランドも商人さ。ただし織り機だけだが。」
「ふん! 随分な事をやってくれたな。」
「……すまない。」
ブランデンブルク辺境伯の領首と事を争うのかと考えたオレグ。
「俺は戦争は嫌いだよ。いつ殺されるのかも知れないし。あ~~これも夢であって欲しい。」
「オレグさん一度叩いてみますか。きっと痛くはありませんよ。」
「うそを言うな! 痛いに決まっているさ。俺はソフィアとリリーで協議してくる。入札は無くしてくれ。俺はもうおりる。」
「オレグさん、それは出来ません。この私が殺されてしまいます。」
「これは夢だ。一遍死んでみたらいいぜ!」
「夢でもイヤですよ。ここはオレグさんが殺されて下さい。私の方がおりたいのですから。」
「だったら、あんたも作戦会議に来るといいよ。」
「いいえ、私が死ぬような作戦には参加しません。」
「そっか! そうだよな。」
狐と狸の戦いに熊公が出てきた。熊公って der Bär の事だ。伯爵の位にあるのだ。アルブレヒト熊公の子孫がオットーⅢ世になる。
「俺は逃げるからな。追うなよ。」
「無理だろうぜ。この俺もリューベックから出して貰えなかったんだからさ。」
「諦めろ! ってか。」
「リンテルンのシャウムブルク城のうわさは、知っているだろう。今度は国と喧嘩はしたくはないよ。」
「・・・・・ご愁傷様! でも、逃げたらきっと追いかけて来ますよ。」
「……」
オレグは早足で二人の元へ急ぐのだった。
「おい、ソフィア!」
バタン、
「ギャッ、オエ~~!」