第7部 中世ヨーロッパの産業革命 (第一次産業革命)
この頃の時代背景を少し書き上げました。物語のストーリはありません。食事風景に出て来る、ナイフとフォークが考案・利用されるまでは、後、500年ほど先になります。
1200年の少し前から、第一次産業革命、といえる事象があります。
農業革命と、鉄を素材にした農機具の工業生産です。ヨーロッパ大陸の広大な森林を開墾して、農地を拡げ続けて行きました。
農業革命は、馬の蹄鉄や鋤などの農機具を鉄で作る事により、大きく生産性が揚りました。同じ農業革命で、小麦の三甫農法も普及しました。
小麦の三甫農法は、1年目は小麦、次年は牧草=馬や家畜の餌、三年目は休耕にする方法です。これを繰り返します。同じ作物の連作は長く続けるほど土地は疲弊して生産性が落ちて行きます。生産性を落とさずに作付する方法です。この方法で沢山の収穫が揚り、土地の新規開墾により増えて行きました。
参考までに。日本の米作は連作しています。上記の説明とは? 違いますね。同じ連作なのに。でも、どこかが違うでしょう? 麦みたいにな作付では同じ連作障害がでて収量は激減いたします。
収穫が上がるにつれ、穀物の移動手段として、荷馬車が考案されます。4輪の荷車を馬に曳かせます。この2頭立馬車で約5トンの荷物が運べるようにまでになります。この荷車の車輪や金具は、鉄ですので需要も飛躍的に伸びて行きます。
農機具の進歩で、土地の効率的な開墾が可能となりました。ヨーロッパは高低差の少ない土地が続いていますので、開墾がとてもし易かったのです。
これが地球環境破壊の先駆けとなりました。大規模な森林の伐採は、乾燥地域を生み出し砂漠が比例して広がりました。
ヨーロッパ大陸で穀物の生産性が飛躍して増大しましたので、人口も比例して増え続けて行きます。
1384年に「黒死病」、ペストが持ち込まれて、1億以上の人々が死んで行きました。ヨーロッパの人口は半分になりました。ペスト菌は、カーンの子孫が中国大陸に侵攻した際に持ち帰り、これをヨーロッパ侵攻で持ち込んだとも言われますが、中国のあるアジア大陸では人口の半分以上が死に絶えています。
このペスト菌は人のノミやシラミを媒介にして増えて行きます。これらのノミが、シルクロードの毛皮等に付着して持ち込まれました。恐ろしい勢いで伝播して行きましたのです。
各国ともに身の危険を感じ、戦争は起こっていません。ペストはローマ帝国の時代から有りました。皇帝や君主も死亡しています。1384年以降も緩やかに人口は減少して行きました。特に14世紀の猛威が有名です。ちなみに、ネズミにより拡大と言われたいますが、濡れネズミ=濡れ衣です。