第146部 赤い月と黒いオオカミ
「バ~ン!」「ガガガ!!!」「ドスン、ガァ~ン!!」
赤い月の前で黒い人影と黒いオオカミがぶつかり合っていた。この姿は二人のオオカミになった、ソフィアとアウグスタにしか見えていない。
1247年10月12日 ゴットランド島・ヴィスビュー
*)赤い月と黒いオオカミ
「なぁリリー。今晩の赤い満月はなんだ。」
「はいジーベンビュルゲンの古城の城主さまです。ですが、あの方とは判りません。シェドミョグルの古城とも言われています、アルデアル侯です。」
「あの月は、そのアンレマァ候の乗り物か?」
「アルデアル侯です。あんれまぁ、ではありません。オレグは知らないのですか? 月は、月は関係ありません。今晩は数年に一度のスーパーフルムーン。侯爵さまの旧婚旅行なのでしょう。」
「歳をとっても新婚かいな。そりゃ大変だな。なんたって七つの領地を統治、治めなくてはならないのだからな。」
「オレグは貴族が嫌いなの?」
「金払いのいい領主は好きだぜ。でもよ領土を持って統治するのはイヤだよ。」
「第一にですね。」
「自由が無い! 伯爵は好きになったが領土持ちの貴族は嫌いだよ。それでアルデアル侯爵さまは今も実在するのか?」
「ですから、その、月が出たら出るらしいです。私も詳しくは知りません。」
「魔女マティルダなら知っているだろう。叩きたいから頭を出してくれないか。」
「キルケーと一緒の境界の中ですから、尻尾も出るかもしれません。」
「仕方ないね、出してくれ。」
「・…|…・。」
「イヤだと申しております。」
「シビルと魔女が怯えるのはどうしてなんだ。」
「それは知りません。各々に訊かれて下さい。」
「バコ~ン。」
「シビル起きろ。狭いテーブルの下でなにしてんだ。」
「桑原桑原。」
「今日はカミナリは落ちないよ。お前はアルデアル侯の事を知っているなら簡単に教えてくれないか。いったいどこが怖いんだ。」
「あれは齢五百は超える人間ではない亜人です。そのう悪魔です。」
「おう簡単に言ってくれたじゃないか。悪魔が亜人なのか?」
「この先は、キルケーに訊いて下さい。あれも亜人で悪魔です。」
「あれは愛人だろう。」
「はいキルケーはそのアルデアル侯の愛人になりたいのでしょう。」
「おう理解した。」
「やいキルケー、お前のパトロンが迎えに来たぞ。一緒に行くのか!」
「はいお迎えですもの、天国にまで行きたいですわ。」
「オレグ、現実に戻って頂戴。夢は終わりです。」
「あ、あぁ、俺は寝ていたのか?」
「そうです、道の真ん中に転がっていたから、ボブ船長がここまで運んで来たのですよ。それにニコライも倒れたそうです。」
「ニコライ?」
「えぇ、今またボブ船長が迎えに行っています。」
「今までの事が全部、夢なのか?」
「はいそうですよ、でも本当は逆かもしれませんわ!」
オレグは赤い月に浮かぶ不気味な影を見た途端に気絶したという。
「どうして俺が、俺が倒れるのだ分からん。」
今でも遠くからはソフィアとアウグスタの二人の遠吠えが聞こえる。
「ゾフィとマトワはどうした。」
「いま着替えを持って迎えに行っています。多分、大丈夫でしょう。」
「ならいいのだが、」
「今日はアルデアル侯の挨拶だけのようです。赤い月の黒い影は見えません。もうジーベンビュルゲンの古城に帰られたと思います。」
「そうか、今度はカレンが二人を見て喜ぶのだろうな。」
「そうですわね、平和でいいです。」
「え”!! 起きれない、立てないぞ。どうしたんだ。」
「オレグ、足に怪我をしているわ。倒れた時に古木で切ったのかしら。」
「??……腕も切っているし妙に力が入らない。俺は疲れているのか?」
リリーにはほんの一瞬だがオレグが消えたのが見えていた。走ってきたので急な激しい運動で貧血になったのだと考えた。
「私だって急に走りましたので疲れたようです。オレグ兄さまもう立てますか? それとも救援を呼びましょうか。」
「いやだめだ、誰かを呼んできてくれないか。荷馬車が在れば嬉しい。」
オレグはとうとう力が尽きてしまい、打ち臥してしまった。
仰向けで道に転がるオレグが見た赤い月。
「あの黒い影はどこかで見たような気がするよ。いつだったかな。」
赤い月が普通の青白い月に見えてきた。遠くのオオカミの遠吠えの響きが止む。カレンとゾフィ、それに疲れ切った女の二人がオレグの元までやってきた。
「オレグ、ブザマですね!」
とアウグスタが言い、
「オレグだったの?」
とソフィアが言った。
「ん?? なんの事だい、俺は疲れて倒れたようだ。お蔭で怪我して動けない。」
暗闇ではっきりと見えていないのだから、ソフィアとアウグスタには判断が出来るはずがない。だが暗闇で戦った人影とオオカミの影。どちらがどちらとも判断が出来ない。しかしここには物語るような怪我をしたオレグが横たわる。
少しした頃に、
「すまね~この三人を荷馬車に乗せて宿まで運んでくれ。」
ボブの声を聴きながらオレグは眠りについた。
まる一日はオレグの悪夢が続いた。奇怪な話だ! それから二日が経った。リガに発つ。
1247年10月14日 ゴットランド島・ヴィスビュー
ヴィスビューからグダニスクに行くには南下して行くが、リガに行くにはゴットランド島を北回りにした方が早い。
今ではすっかり仲良くなったソフィアとアウグスタ。二人ともそれぞれの家族を放置していつもくっついている。だが今も口は悪い。
オレグはグダニスクに帰りたいと言うから戸板が用意されて、その上にオレグが横たわる。
「オレグ、もう船に乗ってもいいの?」
心配する者すべてが言うセリフ。
「もう聞き飽きた。出港してくれ。」
二日前の夜の出来事は魔女の間では禁句になっている。怖がる様子やまして人ならざる姿に変身した三人はなおの事であった。
「私たち秘密の三姉妹だね!」x3
ドラキン三姉妹を思い出す。
ニコライはヴィスビューで船の代金を支払うもまだ手元に金貨は残っていた。この資金でさらに農機具を買い足していく。もっともニコライは内陸部の旧首都のイェルガヴァの工房や鍛冶屋に常時発注している。あうんの呼吸で出来た農機具はニコライのリガの倉庫へ運ばれる。
船ではオレグの枕元から離れないニコライ。
「オレグさん、今回の旅でとても良かった事が分かりました。」
「ニコライ、どうしたんだ? ニコニコしてさ、アウグスタに逃げられたのか?」
「とんでもありません、女房が身重で、いや違います。私も船を持ちたいと思いましてですね、近隣の国や都市に農機具を売りに行きたいと考えました。」
「そうかい儲けは大きくなるが、デンマークに襲われたりするし嵐で船を無くすかもしれないぜ?」
「ですが、船以上に稼げばいいのですから私も船を持ちます。」
「止めたがいいよ、傭船もあるが、第一に他都市に伝手やこねが在るのかい?」
「オレグさん。」
「なんだい、だから伝手は、」
「オレグさん。」
「何回も言わせるな、コネは!」
「オレグさん、」
「??? へっ! この俺がコネ伝手なのかぁ~!!」
「いいでしょう。」
「そりゃ困ったよ。」
「で、いいでしょう。」
「良くない、俺みたいに自分で探せ!」
*)燃えるフォレスンドの修道院
この俺がちょーっと寝ている間に大雨で道路や鉄道が冠水していた。昨年の被害が大きい大町町にも被害が出たような。
「兄ちゃん大変だ、来てみろ!」
「オレグさん一大事です。」
「動けん、運んでくれないか。」
「ニコライ足を持ってくれ。俺は兄ちゃんの頭を持つからさ。」
「ボブそれは止めてくれ、俺の首が伸びて切れてしまう、死ぬよ。」
「人間、首つりでも切れないんだぜ、ロープは良く切れるらしいがよ、ガ~ハッ、いや笑う所ではない。修道院が燃えているんだ見てくれ!」
「あの修道院がか! どうしてだ。」
「リリー、ノア。来てくれ。」
「なに、なんだよ。」
「一緒に返事するな。二人で偵察が出来るかな。でも、あまり近づいてはダメだぞ。撃ち落とされるかもしれないしな。」
「ケッ、俺がオレグの尻を蹴ってやるから、自分で飛べばぁ?」
いつものノア、ゾフィに戻っていた。オレグはつい嬉しくなりほほ笑む。
「気持ち悪いぜ。飛んで見て来てやるよ。そこで寝ていろ!」
「オレグ兄さんまってて。」
「頼んだぞリリー。」
首にロープを掛けられて船倉から引きずられるオレグ。
「痛い、いたい、イタイ。」
「首は首でも手首だ、これなら遺体は出来ないだろう。」
「ボブ、俺はボブを死体にしたい!」
甲板に出てフォレスンドの修道院の辺りを見たら、大きな家が燃えるように黒い煙が見えている。みんなは不安な面持ちで見ているのだろう。
「イヤ~~私の修道院が燃えているイヤ~~!!」
魔女マティルダが人間の姿に戻されて泣きわめいている。
「趣味がいいのか悪いのか。キルケーどっちだ。」
「いいじゃありませんか。」
いつものように曖昧な返事が聞こえた。
「ケッ、野郎の送り火か!」
「オレグ、あの煙は変だよ。」
「ん??……、ソフィア、急いで空の二人を呼び戻せ。急げ!」
「うんウォ~ォ~ オ~~ォ ウォ~~~!」
「シビル、すまないがここの全員の記憶を消してくれないか。」
「えぇ、夜に消しておきます。ですが何が、」
「全員、船にしがみ付け~、シビル大至急前方に風を送れ、急げ!!」
修道院の上空の黒い煙が上に昇らないで横に広がっている。その煙が大きくなり、そして小さくなった。前後に細くなるから正面から見たら小さくなる。
「煙が襲ってくる、みんな、船に掴まれ~!!」
起きれないはずのオレグが立ち上がりそして大きく叫んだのだ。やや遅れて黒い煙が怒涛の勢いで船を襲った。
「い、息が出来ない!」
「ぐるじい!」
「きゃ~!!」
「怖いよ~!」
嵐のような突風が黒い煙と共に襲ってきたのだ。
「みんな無事か!」
「あぁ。ここはな。」
「ヘっ、」
無事なのはこの船だけだった。後続のスウェーデンの船が沈んだ。
「みんな魔女たちを助けてくれないか。ボブ小舟にロープだ、結んで流せ。シビル、小舟で救助だ! 急いでくれ~!」
「くそう~またしても沈められたか~悔しい、悔しいぞ!」
「オレグ兄さん、大丈夫なの? もう歩けるの?」
「リリー無事で良かった。俺が……、歩いている?」
「ノア、ロープを持って飛んでくれ。リリーも頼んだぞ。」
「うん分かったわ。」
「面倒だな~。」
キルケーが、
「あんた、どうして攻撃が分かったのよ。それにまたしても、とはどういう意味なのかしら。」
「あ、いや、俺はただ単に口走っただけだが、おかしいのか?」
「そうね、とても変だわ。昔に襲われた事があったの?」
「いいや、全然、……知らないよ。」
「ふ~んそうなんだ。」
オレグがまたしてもため息をついた。
「スウェーデンの船は諦める。金貨で支払うか。」
蒼い顔のシーンプ。ボブの船に木箱の荷物を積んでいたから難を逃れた。あのままスウェーデンの船に積んでいたらと考えたらしい。
「私たち親子は無事です。」
というギーシャの家族。猫の姉妹は恐怖で動けない。腰が抜けていた。
リガに入港した。
「なぁ兄ちゃん。少しでいいから半分の治療費を持ってくれないかな~。俺の船が全治一か月だぜ。」
「そうだな、ここはグダニスクで新築だな。」
「え”、あ”、ほ”。恩に着るぜ。」
「それくらいはいいよ。もう馬車馬だな!」
「え”、あ”、ほ”。そりゃ~ないよ。」
翌日、ボブの船は簡単に修理を終えてニコライ夫妻と別れた。ここで忘れられた男が登場する。
「伯爵さま、私はここで降りまして単独でエストニアのレバルに戻ります。この事をフリードさまにご報告しなければなりません。」
「そうだな、よろしく頼む。」
「ところでルイ・カーン伯爵さま、エストニアには戻られるのでしょうか?」
「あぁ必ず戻るよ。大切な家族を取り戻したから、家族旅行に行きたい、里帰りを済ませて体力を付けて帰ってくるよ。」
「ではフリードさまには、大けがをされましたので故郷で治療を済ませて戻られます、とお伝えいたしますがよろしいですね?」
「そうだな、よろしく頼む。」
ペールと一人のメイドを降ろして旅の共とした。
「ペール、その女は好きにしてくれ。戻さなくてもいいぞ。」
「はいありがたく頂きます。」
オレグからキルケーから見放されたメイドは、シクシクと泣いて喜ぶ。
「死ぬよりもジジイのお傍がよろしゅうございます。」
ジジイが相手だから泣いて、オレグと別れるから死なないで済むと喜ぶのだった。オレグはペールに金貨五百枚を預けてスウェーデンの船の代金とし、またレバルのパブの経営を託した。
「それでしたら、残りのメイドも頂きます。」
「あ、それね。いいよ。全部あげちゃう。」
「ルイ・カーン伯爵さま、それはあんまりです、私たちは……。」
「俺が帰るまでしっかり働いてくれよ。」
「他はキルケーも行ってくれないか、ここはやはりお前にパブを任せたい。」
「はい旦那さま、お帰りをお待ちしておりますわ。」
キルケーとしてはオレグとは別れたくはないのだが、面と向かって依頼されたならばうんとしか返事が出来ない。
すると、ソフィアが驚くような言葉をキルケーに言ったのだ。
「キルケー、ルイ・カーン伯爵さまの面倒を見てくれてありがとう。」
照れくさいのかオレグとは言えなかった。
「え””””ソフィアさん、……半分の乳房は差し上げますわ!」
「あ、あれね、リリーにあげたわよ、良かったかしら。」
「んまぁ、リリーさんお返し下さい。」
「貰ったからもうダ~メ。返さないよ。」
三人での痴話ばなしが聞こえてくる。
オレグはそんな女の声は嫌いなのだ。だから、
「おう、グダニスクへ向けてしゅっぱ~つ。」
その夜である。久しぶりの夫婦の感触。
「ソフィア、小さくなったのだな。可愛そうに。」
「オレグ待ってて。すぐにリリーから戻してもらうから!」
雑魚寝の船倉からけたたましいリリーの悲鳴が響く。
「いや~やめて~!」
「戻しなさい。」
「いやよ、それは私のものよ。返さないわ付いて行く。」
「いいわよリリーおいで! 三人で、」
「え”っ! いいの!」
アルデアル侯の呪いは消えない。