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空を地竜が飛ぶまでに  作者: こうづき
2 天竜(リグ)のごとく優雅に空を舞う
6/21

2-2 騎士の娘

「今度は何事ですの、フェリ・ナナム!」

 背後から鋭い声が聞こえて、俺とネーヤはハッと振り返る。サラクは迷わず目の前の机を飛び越え、フェリを救出しようとしていた。

 開いていたドアから入って来たのは、やはり昼間部の制服を着た女子だ。茶色の髪を丹念かつ上品に巻いていて、お嬢様っぽい雰囲気がある。

 そのお嬢様は、つかつかと近づいて来ると、サラクの腕をぐいと掴んだ。

「お待ちなさい! 部外者の方が、手を触れてはいけません!」

「だが、この下に彼女が」

「分かっていますわ。なにしろ、たった一週間でもう……何度目になるかしら。両手の指では数えられませんわよ」

 ケープの袂から、お嬢様はボールペンを一回り太くしたような魔具を取り出し、さっと振った。

 次の瞬間、部屋の中にあった妖精力ルーシュが魔具を通じて彼女の支配下におかれ、整然と動き出す。

「おお……」

 もともと紙のほうに仕掛けがしてあるのか、パラパラと音を立てながら書類がフェリの上から飛び退いて、元の場所に行儀よく積まれていく。……って、せっかく魔法使ってるのに、またそこに積むのかよ! 本棚にしまうとか、他に何かあるだろうがよ!

 それにしても、紙につけられたタグを一枚ずつ読み取って分類しているのだとすれば、ずいぶん繊細な魔法だ。ただ適当に書類を持ち上げて別の場所に移すだけの魔法とは、複雑さが段違い。それなのに、あれが振って発動するタイプの魔具なのだとすれば、いま彼女が魔法の起動にかけた時間は一秒にも満たない。

「まったく。気をつけなさいと繰り返し言っているはずですわよ」

「も、申し訳ありません、マリナ・リグ!」

 ぺこぺこと頭を下げてから、フェリは左手の中指につけた指輪状の魔具を右手でぽんとタップする。少し遅れて、指先にふわりと蛍のような光が生まれ、彼女はその指先を、先ほど棚の角にぶつけて切ったらしい膝に当てた。血のにじんでいた傷が、あっという間に消えていく。フェリの資称ナレハはナナム、空に浮かぶ夜蛍月の名を冠すもので、ちょっとしたケガを治す魔法なら彼らの右に出る者はない……だったかな。教科書でそんな記述を見た気がする。

「ところで、あなた方は?」

 マリナと呼ばれた女子生徒は、偉そうに腕を組んでこちらを睥睨する。

「あ、はい! 今度の予選会カドランの申し込みに来ました、第三課程夜間部の九年生、ネーヤ・イクル・ハヤサカです!」

 かしこまって挨拶するネーヤ。まあ、見たところたぶん先輩だし、そうじゃなくても偉そうだし、思わず丁寧な態度になってしまうのは仕方ない。

 だが――何がお気に召さなかったのか、マリナは冷ややかな視線をネーヤに向ける。

「フェリ・ナナム。あなた、彼女の申し込みを受領しまして?」

 そしてそのまま、フェリに問いかけた。

「えっ? はい、確かに」

「――わたくしは、認めませんわよ」

 その言葉が吐き出された瞬間、部屋の中の温度が何度か下がったような気がした。

 マリナは次に、俺たちのほうを睨め付けてくる。

「あなた方は? そちらの方も日本人?」

 ……そこでようやく、彼女が俺の制服を見ていることに気付く。お、おおう、ひょっとして人種差別ってやつか? 日本人とエルトラ人じゃ、外見なんか大して変わりやしないし、だいたいネーヤは充分すぎるくらいエルトラこのくにの人間だと思うんだが。親の仕事の都合で行ったり来たり、ってんなら、俺よりもずっとエルトラ在住歴は長いだろうし、言葉だってペラペラだ。

「サラク・タット・ワラグニスだ。こっちはリツ・エイス・ヴァネイザ。彼女のクラスメイトで、申し込みの付き添いに来た」

 思わぬ事態に固まっている俺に代わって、サラクが淡々と答える。

「あなたは実行委員か? 予選会カドランの出場に、国籍や人種が関係するとは聞いていないが」

「あら、わたくしをご存知なくて?」

「なにぶん無知なもので、申し訳ない」

 横から、フェリが「あ、あのう!」と口を挟む。

「マリナ・リグは、今年の学校代表候補の筆頭です! 去年度も、九年生でありながら並み居る先輩方を抜き去り、大活躍された方ですよ!」

「そうか。親切にありがとう」

 うわ! サラクの口から素直に「ありがとう」なんて言葉が出るとは! しかも今ちょっと笑ってた気がするぞ! ぜひ写真に撮っておきたかった。

「それで? その代表候補が、なんの権利があって彼女の登録を拒むんだ?」

 訊ねるサラクの口調は、べつにマリナを責めるものではなく、ただ疑問を口にしたという感じだ。俺にそう感じられるということは、彼にしてはずいぶん気をつかって、柔らかく訊ねようとしているんだろう。この先輩が何も考えずに口を開くと、仏頂面と長身のせいで――あるいは元ヤンという経歴のせいかもしれないが――妙な威圧感があるのだ。

「わたくしは選手であると同時に、実行委員で事務方をしておりますわ。《銀翼杯》の規約どおり、コースの設計には触れていませんので誤解なきよう。その立場から言わせていただけば」

 不快なものを見るような目で、マリナはネーヤを見ている。ネーヤの方はと見れば、意外なほど冷静な表情でマリナの話を聞いていた。

「規約上、彼女の登録を拒む理由は、一つもありませんわ」

「……はい?」

「ただ、わたくしが気にくわないという、それだけです。受領してしまったものは仕方ありませんけれど、歓迎されているとはお思いにならないでくださいまし」

 悪びれる様子なんてカケラもなく、見下す調子で悠然と吐かれたその言葉に、何となくカチンとくる。

 気がついたら、一歩前に踏み出していた。

「おい、オマエ、さっきから聞いてりゃ何様のつもりだ! コイツはなあ、その辺のエルトラ人よりもよっぽど《銀翼杯》に――」

「リツ!」

 ネーヤが手で俺を制すと同時に、サラクが俺の口を塞ぐ。

「むがっ!?」

「黙っていろ。お前が喋るとややこしくなる」

 サラクの手に力が入る。手首の魔具が起動しているのが見える。わ、分かった、分かりましたから手ェ離してください! 苦しい! 死ぬ!

「彼女が、どんなつもりで予選会カドランに出ようとしているのかは知りませんけれど……わたくしだけでなく、彼女を良く思わない人間が多いということは、どうかわきまえておいていただきたいものですわ」

 芝居がかった口調で言うマリナに、

「大丈夫です。分かってますから」

 とネーヤが硬い声で応じる。

 俺はようやくサラクの手から解放されて深呼吸。あのまま違う意味で口を塞がれるかと思った。魔法で強化された腕力は、ひとつ間違えば凶器だ。

「今からでも、参加は取り消しできますわよ。生半可な気持ちなら、どうぞお引き取りになってくださいまし」

 マリナが手元の魔具をいじって振れば、さっき記入した紙がひらりと飛んできて、彼女の手に収まる。いつでも破り捨てられる構えだ。

「取り消しなんかしません。あたしは《銀翼杯》のためにこの学校に来たんです! あたしが誰にどう思われようと、それを理由に諦めたりなんかしません!」

「勇ましいことですわね。でしたらその決意のほど、せいぜい予選会で証明してみせることですわ。力ある者には敬意を払う、それが騎士というものですから」

 騎士……ってのは、確かこの国にある社会的な階級だ。騎士、と訳されてはいるが、べつに馬に乗ったりするわけではなく、ニュアンスとしてはまだ「武士」のほうが近い。武装を許可された彼らは、軍隊であり警察官でもあり、それ以外にも色々な官職についたりする、とにかく偉い人たちだ。そんな彼らにも、地球で言う武士道とか騎士道とか、そういうものに通じるポリシーがあるのだろう。

「貴方たちも、それでよろしくて?」

「これはネーヤ・イクルの問題だ。おれたちが口を出すことではない」

「あら、頼もしいこと」

 あざ笑うような顔にまたカチンとくるが、口を開く前にサラクに頭を押さえられた。

「せいぜい健闘なさいませ。でないと、貴女の仲間である彼らにも、累が及ばないとも限りませんもの」

 くそっ、何だか知らないが偉そうに。

「み……見てなさいよ! あたし、絶対ちゃんと飛ぶから! 飛んでやるんだから! それで絶対、あんたなんか倒して、学校代表に! ううん、全国一になってやるんだからっ!」

 敬語をかなぐり捨てて叫ぶと、ネーヤは部屋を飛び出していった。ついでに俺もまた首根っこを掴まれ、サラクに引きずり出される。


 * * *


 ネーヤの姿は廊下になかった。ひとりでさっさと戻ってしまったらしい。第七校舎を出たところで、ようやくサラクは俺のブレザーの襟から手を離す。

「ちょっ、さっきから何なんすか!」

「“竜の巣と女の争いには首を突っ込むな”と言う言葉を知らないのか」

 それに、とサラクは声を落とす。

「目立つのは困るんだろう? ああいう有名人とは関わるな。無難にやり過ごせ」

 まったくもってその通りだ。正直に「ついカッとなって忘れてました」と言うのはあまりに情けない気がして、俺は逃げるように視線を逸らした。

「それから、もうひとつ」

 サラクの声に力が入る。

「フェリ・ナナムが悲しそうだった。あんな天使の前でケンカはいけない」

「それが本音っすか!」

 天使って。女の子を例えるのに天使って。よくある言い回しではあるが、サラクが言うと違和感がすごい。工房では、そばに女がいようがパンツまで平気で着替える男だというのに。

「お前がそう思いたいなら、それでいい」

 はいはい。

「ところでリツ。予選会カドランには、応援に行くんだろうな?」

「は? さっきサラクが言ったじゃないっすか。有名人とは関わるなって」

 そりゃまあ、クラスメイトとしては応援に行ってやるのが望ましいのかもしれないけど……人の多そうな場所で、変な注目を浴びるハメにはなりたくない。だいたい、今までの人生でだって、友達の部活の試合があっても応援になんか行ったことないし。

「応援ならユイルあたりが行くでしょう。そういや、なんでさっきアイツ、ユイルのことはチームに入れなかったんすかねえ」

「その場にいない人間を、勝手にチームメイトには仕立て上げられないだろう」

「いや、俺だって勝手に仕立て上げられたんすけど!」

「細かいことは気にするな。とにかくおれとしては、チームメイトである以上、お前は応援に行くべきだと思うぞ」

「……フェリ・ナナムに会いたいだけなら、ひとりで行ってください」

「バカを言え。おれがそんなくだらない理由で、かわいい後輩を危険な場所に連れていくとでも思うのか」

 そのかわいい後輩を、一番街の鐘楼からためらいなく突き落としたのはどちらさまでしたっけ?

「だが、彼女と仲のいいお前を差し置いて、おれが応援に行くわけにもいくまい」

「サラクは、俺があのワケ分かんない女にイヤガラセされてもいいんすか!」

「その点については、ネーヤ・イクルを信じてやれ。マリナ・リグは騎士の娘のようだから、《レースヴェルガ》で優秀な成績を残した人間には、正しく敬意を払ってくれることだろう」

「あれ、本気で言ってたんすか?」

「騎士とはそういうものだし、《レース》とはそういうものだ」

「はあ……」

 そういうもの、なのか。

「気になるのなら、予選会の前の日にでも練習に付き合ってやったらどうだ。さっきの部屋の壁に予定表があったが、第七曜日の午前中にはコースの敷設が終わるそうだからな」

「第七曜日って、日本だと今は平日じゃないっすか?」

 この国の「一週間」は夜蛍月ナナムの動きによって決まるが、そのため一週間が七日だったり八日だったりする。一週間の一日目と七日目、それともしあるなら八日目が、世の中の平均的な休日だ。まあとにかく、そういう仕組みのせいで日本とは曜日の合わせようがない。工房の客には日本の人間もいるので、事務所には両方の日付や曜日を併記したカレンダーがかかっているが、たしか今週の七日目は金曜日だ。予選会は翌日の土曜日。そういえば、これが平日だったらネーヤはどうする気だったんだろう。学校をサボるのか、予選会を諦めるのか。なんとなく前者っぽい気がする。

「ああ、そうか……まあ、その辺りも含めて、ネーヤ・イクルと相談してみろ」

「だからなんで俺が……」

 サラクが、ぽん、と俺の頭を叩く。

「せっかくの友達だ。大切にしておけ」

「……はあ」

 友達、ねえ。



 授業を終えてから見てみると、ネーヤはすっかりいつもの調子に戻り、メリサばあちゃんにお礼を言ったり、ユイルに予選会の日程を聞かれたりしているところだった。

「店がヒマだったらオレも応援に行くぜ!」

 とウァズ。うちの工房は普通に第七曜日と第一曜日が休みなので、仕事の心配はない。

「ネーヤ」

 声をかけると、彼女は一瞬だけバツの悪そうな顔をしてから、すぐにニコッと笑顔を浮かべて「なに?」と首を傾げる。

「予選会の前の日、こっちに来れるか」

「向こうの学校が終わったら、練習に来るつもりだけど……ねえ、もしかして、リツも来てくれるの!?」

 ああ、くそ、これは断りづらい空気だ。しぶしぶ頷くと、ネーヤは「やった、楽しみ!」と手を叩いた。

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