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空を地竜が飛ぶまでに  作者: こうづき
2 天竜(リグ)のごとく優雅に空を舞う
5/21

2-1 予選会申込


 たたたた、と廊下を走る足音が近づき、勢いよく扉が開く。

「間に合った!」

 入ってきた人物の顔は見るまでもない。ネーヤは「つかれたー」と言いながら手近な席に腰を下ろす。

 新学期が始まって一週間。こちらで教育なんて受けたこともないくせに、学校なんかに通ってどうなることかと思ったが、案外何とかなるものだ。外国語として習う日本語の授業は何の問題もないし、エルトラ語の授業は名作の朗読や観賞が多く、聞いて感想を述べるだけならどうにかなりそうだった。数学は頑張ればついていける。こちらの世界も数字は十進数だ。どういうわけだか知らないが、ふたつの世界の人間はそっくりな形をしているので、どちらも両手の指の数あたりを基準にして算法を作ったのではなかろうか。

「ネーヤ・イクル」

 椅子の背もたれに体重を預け、だらんとしているネーヤに、メリサばあちゃんが孫を見るような暖かい目で話しかける。

「さっき昼間部のほうを通りかかったら、こんなものを配っていたのだけど」

 差し上げるわ、とメリサばあちゃんがネーヤに渡したのは、一枚のチラシだった。あまり上手くない人物のイラストと、丸っこく変形したエルトラ文字がレイアウトされている。

 ――その文字を目にした瞬間、ネーヤはしゃきっと背筋を伸ばし、奪い取るようにチラシを手に取った。

 読んでいくうちに、唇に笑みが浮かんでいく。

「き……来た来たっ! ついにあたしの出番が来たよ!」

「何やのん、それ?」

 ユイルが横からのぞき込み、「あぁ!」と納得の声を上げる。

「《銀翼杯》のカドランやねぇ!」

「カドラン?」

 思わず呟いた俺に、『予選会、ってところかな』とネーヤが日本語で説明する。うんうん、とユイルが頷いているところを見ると、今の言葉は理解できたらしい。

『個人競技だから、学校代表を決めないといけないでしょ。学校によって違うけど、選手を決めるには大抵、予選会をやるの。この学校だと、最初の予選会はプレ試合。結果はあくまで参考記録ってことにして、選手と実行委員に流れやコースの感じを分かってもらうためのものらしいよ』

『部活から代表を出したりするわけじゃないのか』

『日本みたいな部活って、あんまりやってる学校ないらしいからね』

 そうか、ありがとう、とエルトラ語で返すと、ユイルが少しガッカリしたような顔をする。日本語を話しても、あまり奇異な目で見られる様子がないのは幸いだった。とはいえ、ユイルのように憧れの眼差しを向けてくる人間は、それはそれで厄介ではあったが。

「『部活』って知っとる、漫画で読んだことあるよ! なぁなぁ、二人とも、日本の学校ではなんか『部活』しとったん?」

「あたしは何もしてないよ」

 勢い込んで聞いてくるユイル。だが、ネーヤの答えは少し意外なものだった。あれだけ熱く《銀翼杯》について語るくらいだし、てっきりスポーツが大好きなのかと思っていたのに。俺の表情に気付いたのか、「サボってたわけじゃないんだよ」と続ける。

「お父さんの仕事の都合で、こっちと日本を行ったり来たりしてたから、ちょっと入りにくくて。転入は半端な時期になっちゃうし、勉強だって追いつかないから大変だしね」

「ああ……」

 この星と地球じゃ一年の長さが違うので、どっちに合わせたとしても半端な時期の転校になるのは仕方ない。ちなみに、一日の長さは不気味なくらい一致していて、よく学者の論争のタネになっている。

「へぇー! 『グローバル人材』やねぇ、カッコええなぁ!」

 ユイルは感嘆の声を漏らしているが……どこで覚えてきたんだ、そんな中途半端な日本語。

「リツは? ずっと日本の学校におったんやろ?」

「俺は……いや、俺のことなんてどうでもいいだろ。それより、その予選会カドランがどうしたって?」

 大して興味もなかったが、話を逸らそうとチラシを指さしてみる。

「そうそう、ここに募集要項が書いて……って! 申し込み、明日までじゃない! どうしよう、明日も補習が……誰かに代わりに……いや、今から行けば……」

 遅れてきた原因は補習か。たしか、日本もまだ四月の終わりくらいだった気がするんだが、ちょっと早くないか? 新学期からどれだけダメな方向にカッ飛ばしてんだよ、オマエ。

「ねえ、この第七校舎ってどこ?」

「それなら、正門入って右の、えーと……」

 ダメだ、アレこっちの言葉でどう言えばいいんだろう。

『……白い壁で、外に茶色い柱や筋交いが見えてる、あのドイツっぽい建物』

 途中で日本語に切り替わった返答を、ネーヤは妙な顔ひとつせずに聞いて、

「ああ、アレが第七か!」

 と、何事もなかったように返してきた。やっぱりコイツとの会話は楽だ。あまり頼っちゃいけないと思ってはいるんだが。

「この時間じゃ、もう閉まっちゃってるかな?」

「まあ、ダメもとで行ってみりゃいいんじゃないか」

「そうだね! じゃあリツ」

 気がつけば、いつの間にかお互い呼び捨てになっている。よく話しかけてくるユイルが俺たちを呼び捨てにしているので、その影響かもしれない。ちなみに、日本語の「~さん」にあたるのがこの世界だと資称ナレハだ。

「一緒に行こう!」

「はあ!? イヤだよ、今からじゃ授業始まっちまうだろ! サボるなら一人で行けよ!」

「日本語の授業なんて、きみがサボっても何一つ問題ないでしょ」

「う……」

 それは確かに。どうせ夜間部はその性質上、遅刻や欠席を厳しく咎められることもない。

「いや、だからって、なんで俺を巻き込むんだよ!」

「一人で遅刻したら目立つでしょ! その点ふたりなら、お腹を壊したリツにあたしが付き添ってあげたってことにすれば」

「知るかよ! 勝手に目立ってりゃいいじゃねえか、俺は――」

 言い返したその時、ぐいと首根っこを掴まれた。サラクの声が降ってくる。

「時間の無駄だ。行くぞ」

「へ?」

 右手で俺を引きずり、左手でネーヤを招く仕草をして、サラクはいつもの仏頂面のまま第七校舎へと歩き出した。


 * * *


「な、何するんすか!」

「おれが一緒なら、お前は仕事で遅れたと説明できる。二人とも、日本語の授業など必要はあるまい」

「サラクは?」

「気にするな。どうせ受けても分からん」

 サラクがちょっぴりドヤ顔をする。ダメじゃないっすか!

「日本語なんて、発注書の数字が読めればいいんだ。なぜ話したり聞いたりしなければならんのだ。日本の客への返事はリツが訳してくれる」

「……要するに、授業をサボりたかったんすか」

「お前がそう思いたいなら勝手にしろ」

 ああ、これは間違いなく、ただサボりたかっただけっすね!

 サラクがぽいっと俺を放り出す。嫌がる人間ひとりを軽々と引きずってこられたのは、手首につけた腕時計のような魔具ハイデラで魔法を使っていたからだ。単純な筋力の強化は、タットという資称ナレハを持つ人間がもっとも得意とする魔法のひとつである。「土木作業向き」という評判は伊達じゃない。身一つで大木を引っこ抜いたり大岩を持ち上げたりもできる、重機いらずの便利人材だ。

「一人で行けばいいじゃねえか……」

「まあまあ、カタいこと言わないで」

 夜が始まりつつある中をしばらく歩くと、第七校舎が見えてくる。幸いにしてまだ明かりはついていた。中に入ると、ネーヤは迷わず、チラシと同じ柄のポスターが貼られた扉を目指す。曇りガラスをはめ込んだ扉の中から、青白い光が漏れていた。

「すいませーん!」

 声をかけながら、ネーヤが勢いよく観音開きの扉を開ける。

 部屋の中は雑然としていた。壁際に並んだ棚には書類や本――この世界の本は、四角い箱型をした魔具になっていることが多い――が詰め込まれ、奥の机の上には学校全体の模型らしきものがドンと乗っている。模型の上には、何やら色とりどりの紐が張り巡らされていた。

「あたしたち、予選会カドランの申し込みに来たんですけど」

「あ、はい!」

 誰もいないのかと思いきや、積み上げられた書類の山の中から、一人の少女が慌てたように立ち上がる。居残って作業をしていたのだろうか。昼間部の制服を着た女の子で、おさげに結った髪がマジメそうな印象を与える。

「あの……皆さんが、お申し込みを?」

 怪訝そうな顔をしている少女に、ネーヤが「そうだよ」と学生証を見せる。

「し、失礼しました! 夜間部の方ですね! 私は予選会実行委員のフェリ・ナナム・カレスゴレン、昼間部の九年生です!」

 勢いよく頭を下げたフェリは、弾みでそばの書類をひっくり返し、慌てて頭を上げたついでにおさげを別の書類の山に引っかけ、「ああっ!」と悲痛そうな声を上げる。ドジっ子か……。九年生なら同い年のはずなんだが、そんな仕草のせいか子供っぽく見える女の子だ。

「大丈夫っすか?」

「だ、大丈夫です! お気になさらず! お待たせしてすみません、申し込みの手続きは……ええと……」

 フェリは崩れた山の中からノートを手に取る。業務のアンチョコらしいそのノートは見慣れた日本製だった。こと筆記用具については地球の製品の需要は高く、特にゲルインキボールペンは従来のペンを駆逐する勢いで広まっている。「国内の観光客には、地球の文字が入ってるやつがよく売れるんだぜ」とウァズが言っていた。

「あ! ええと、それではまず、こちらの書類に記入をお願いします!」

 書類と共に差し出されたペンも、やっぱり日本のボールペンだった。いや、別に羽ペンを差し出して欲しいというわけではないのだが。

 フェリが記入サンプルも示してくれたおかげか、ネーヤは順調に書類を埋めていく。

「あ、リツ、せっかくだからチームメイトとして名前書いておいていい?」

「は? いや、個人競技なんだろ? なんでチームメイトが必要なんだ」

「登録しておくと、いい席で試合が見られるよ!」

「いや、絶対それだけじゃねえよな? 面倒なのはゴメンだぞ!」

「面倒なんかないって。あたしが見つからないときの連絡先になったり、試合のときに荷物番をしてもらったりするだけだから。さすがに、エイスのきみに代わりに出ろとは言わないよ。いざとなればあたしが自分で全部やるから、試合には来なくたって大丈夫」

「いい席ってのは荷物置き場か……」

「嘘は言ってないよ、チームメイトの待機場所はだいたい、レースがちゃんと見える特等席だもん!」

「そうなんすか?」

 後ろのサラクに問うと、「ああ」と肯定の返事がある。だが、どうも様子がおかしい。彼にしては、何だかやけにボーッとしている気がする。

「あの、どうかしたんすか?」

「ネーヤ・イクル」

 サラクの視線の先は、どうやら書類の山を床に積み上げ直しているフェリのようだ。

「リツなら構わん。チームメイトに加えてやれ」

「ホントに? じゃあ、ここに名前をお願い!」

「分かった」

「って、ちょっと! どうして俺の名前を勝手に書こうとしてるんすか! まずは自分じゃないんすか!?」

「おれは年齢制限に引っかかるだろうが」

 そういえば、十一年生相当までって制限があったっけ。サラクの年はそのひとつ上だ。

「だが興味はある。安心しろ、できる範囲で手伝いはする」

「どうしたんすかサラク、いきなりそんな親切になって……」

「何を言っている。おれは元から親切な人間だ」

 ちらり、とフェリの方をうかがいながら言うサラク。

 ……ははあ、そういうことか。

 彼女は予選会の実行委員だと言っていた。ネーヤのチームメイトでいれば、彼女と話をする機会もあるだろう。

 工房ではわりと朴念仁で通っているサラクだが、なるほど、ああいう大人しそうな子が好みだというなら無理もない。なにしろ、うちの工房にいる女性陣ときたら、ユキちゃんを筆頭にみんなあまりに賑やかすぎる。

「綴りはこれで良かったな?」

 サラクは勝手に人の名前を書いてよこした。その字に、いつもより数段気合いが入っている気がする。なにしろ俺にでもハッキリ読めるのだ。こんな綺麗な字が書けるんなら、普段からそうしてくれれば苦労しないのに。愛か。愛の力か!

 とりあえず後でユキちゃんにチクっとこう、と思いながら、俺はうなずく。

「合ってるっすよ。もう好きにしてくれたらいいっす」

「本人もこう言っている。何の問題もないな」

「うん、そうだね! じゃあフェリ・ナナム、これ、よろしくお願いします!」

「は、はい! 確かに受領しました!」

 フェリは書類を大事そうに押し頂き、振り返って、足元の書類につまづき、別の書類の山にぶつかって――

「きゃっ!」

 だばばばば! と音を立てて崩れて来た書類に埋もれて、見えなくなった。

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