7-2 空へ
リツの工房には、以前魔具の整備のために行ったことがあった。記憶を頼りに歩き、ネーヤは見覚えのある「クドナーゼン魔具工房」の看板を見つける。
「……って、あたし、何やってんだろ」
今日は日本でもエルトラでも休日だ。父には「退院したら、まっすぐ帰って寝てるよ」と伝えたはずだが、気がつけばこんなところに立っていた。
「ネーヤ・イクル? 何をしている」
工房は休日のはずだが、中には細々と作業をしている職人の姿がある。そのうちの一人、のぞき込んだネーヤを目ざとく見つけたサラクが、慌てたように工房から出てきた。
「とりあえず、こっちにお上がりなさいよ。どうしたの?」
続けて出てきたのは、以前の予選会のときにサラクと一緒にいた、リツの従姉・ユキネだ。
「そ、その……リツのことが、心配で。彼、どうなってしまったんですか」
ああ、とユキネが暗い表情で視線を落とす。
「分からない。手は尽くしているけど、そもそもあの子には、色々と事情があってね……」
「もしかして、お母様のご職業の件ですか?」
ネーヤの問いに、ユキネは観念したように頷いた。
「知ってるならいいんだよ。……あの子の母親である叔母は、大昔、アタシの父親と一緒に日本に密入国してね。一度は捕まったんだけど、その時にはもう、父にはこっちに、叔母にはあっちに、生まれたばかりの子供がいた。二人して子供と生き別れるなんてイヤだ、と思った叔母は、ニンジャとして働くから見逃してくれ、と当時の担当者に交渉したわけだ。叔母は日本語が堪能で、ちょっとやそっとじゃボロが出なかったからね」
アタシもこうなるまで知らなかったんだ、とユキネは言い訳がましく続ける。思いがけない話を背負わされ、誰かに話したくて仕方なかったのだろう。
「その時に、一緒に約束したらしいのさ、将来あの子を同じ道に進ませるって。要するに、あの子は昔から、どっかの派閥の手駒だったわけだ。どこからか対立相手にそれを知られて、始末のために事件を起こしたんだろうって話だよ」
そう言って、ユキネは深々とネーヤに頭を下げる。
「……こっちの勝手な事情のために、巻き込んじまってすまない。アタシはリツを犠牲に助けられた立場だから、何も言う資格はないんだ……」
あなたのせいじゃない、と言いかけたが、声にならなかった。この事件は、姉の楓香を《レース》から追放したのと同じ力によるものだとネーヤは思っている。だがひょっとすると、事情はもう少しだけ入り組んでいたのかもしれない。
「おい」
口を挟んだのは、仏頂面で話を聞いていたサラクだ。
「仮に、リツがもう帰ってこないものとして……せめて、作りかけてた魔具だけは完成させてやらないか。部屋に作りかけの現物と、設計図があるはずだ。一緒に作業をしていたから、見ればわかる。……今からなら、次の予選会にだって間に合うかもしれない」
「ち、ちょっとサラク・タット、それじゃまるで、リツが……」
言いかけたネーヤは、サラクが震えるほど固く拳を握っていることに気付く。
――そうだ、当たり前じゃないか。この二人にとっても、リツは大切な弟分なのだ。
* * *
「な、何、これ……っ!」
初めて入ったリツの部屋を見て、ネーヤは息を呑んだ。
決して広くない部屋の壁から天井から、あらゆる場所に偏執狂じみた勢いで紙が貼られている。それはエルトラ語と日本語で書かれた単語だったり、数式だったり、芯に刻まれる図形だったり。頭がいいとは思っていたが……あれは彼が天才だったわけではなく、こうして勉強し続けた結果だったのだと、ネーヤは初めて思い知った。
「あったぞ」
何の遠慮もなく部屋に踏み込んだサラクが、透明のポリ袋を持ち上げる。中にごちゃごちゃとした部品の数々と、大量の紙を閉じた紙ばさみが入っていた。開けてみれば、そこには試行錯誤の跡を残す魔具の設計図。
サラクが妙な顔で「これもそうか?」と言っているのは、魔具部品とはまったく違う、細々とした小さなパーツだ。
「あっ、これ、この間秋葉原で買ってたやつ!」
サラクとユキネが困ったように顔を見合わせ、「分かるか」「ぜんぜん」とささやき交わす。
「わ、分かりました。これは地球人として、あたしが何とかします!」
気がつくと、ネーヤはそう叫んでいた。
丁寧に整理された設計書。たまに途中で飽きて投げ出したものや、一度くしゃくしゃに丸めかけて伸ばしたものが混じっていて、思わず笑みが浮かんでしまう。
「待っててね、必ず完成させてあげるから……」
そっと撫でた紙ばさみの表紙には、日本語で「ワイルドファルコン四世号」と筆ペンで書かれている。
「……あと、とりあえずこの名前は却下で」
* * *
週明けの夜間部の教室は、どうにも妙な空気に包まれていた。
リツとユイルが姿を消し、サラクも騎士隊の指示で登校を自粛。ネーヤもまだケガのためとして休んでいる。いつも賑やかな年少組の人数が減ったせいで、どうにもやりづらい。目当てのメンバーが揃っていなくなったためか、フェリも姿を見せなくなった。
「結局、何がどうなってんだよ……」
ネーヤが事故に遭ったとウァズが聞いたのは、翌日に休みを控えた第六曜日。あの日の微妙な空気は週が開けても何一つ改善されないどころか、むしろ悪化しているようだ。
前々日にウァズの店に来て、すごい剣幕で「ユイルが買ったのと同じものを」とICレコーダーを買って行ったカレラは、珍しくノートを前に何やら唸っているところだった。メリサがチョコレート菓子を手に話しかけている。
「何なんだよ……みんな、帰ってきてくれよっ!」
思わず叫んだウァズに、カレラが「お黙り!」と一瞥を飛ばす。
「みんな忙しいんだよ! 女々しいこと言ってるヒマがあったら、椅子でも温めておきな!」
「えっ、あれ? なんか……キャラが違っ……」
「うるさい!」
* * *
時刻は丑三つ時を少し過ぎ、雷鳥月は中天に、夜蛍月はその少し東に。二つの月に照らされた夜の中、騎士隊の詰め所でひっそりと騒ぎが持ち上がっていた。
「……これで全部か」
物陰に身を隠して、手紙の内容を確認する。
足首の魔具、もとい「困った時のお守り」たる呪いのアイテムは、この非常事態に、どうにかお守りらしい役には立ってくれた。コイツは基本的には俺のバイタルモニターをしているが、それだけにしてはリングが分厚い。オマエ他にもなにか機能を隠してるだろ、とあちこちいじっていたら、唐突にどこかへ何かを発信し始めたのだ。
小窓からカギと手紙が降ってきたのはその数時間後。どうやら発信していたのは位置情報らしい。手紙の主は誰かと思えば、アンナムンの署名があった。俺を殴ったとき、イゼスさんたちはこの魔具の存在に気付いていたはずだから、あの時に魔具を解析して盗聴していたのではないか……と密かに思っている。最初からこのお守りが「アンナムンに助けてもらうこと」を意図して作られた可能性もあるが、躊躇なく人をぶん殴ってくるあの人たちを守護神だとは思いたくない。そりゃ、ケーキの味は間違いなく神がかってたけど。
手紙の内容を要約すると「脱獄の手伝いをしてやるから、指定の場所から指定のアイテムをパクってくるように」。満身創痍の俺がどうにかそのミッションを成し遂げられたのは、敷地内のどこかで、タイミングよく火事が起きたせいらしかった。
* * *
「ひいい、アカン……これバレたらマジでアカンて……!」
「黙ってりゃバレやしないわよ。いいから落ち着きなさい」
妙にスッキリした表情のカレラに手を引かれ、ユイルは炎を背に森の中を走る。停めてあった浮遊式のバイクの後部座席に乗せられ、無灯火で空へと舞い上がった。
「日本行き、邪魔してしまって悪かったわね」
「それは別にええって。ゆっくりお金貯めて日本語覚えて、今度はちゃんと自分で行くわ。でも、ホンマにどうにかなるん?」
「気にしないで。友達が、あの派閥と仲の悪い連中に話をつけてきたわ。ヤツらを潰せるチャンスが来たって、みんな大喜びだそうよ」
ここ数日の修羅っぷりをおくびにも出さない上品さで、カレラはにっこり笑ってみせる。
* * *
「そこで何をしている!」
不意にハンドライトの光を浴びせられ、慌てて反対側に走り出す。全力疾走するには荷物が重い。言われた通りに回収したのは、アタッシュケースひとつと段ボールひとつ、背負うタイプの魔具がひとつ。段ボールもアタッシュケースもかなりの重さで、途中で盗んだ汎用魔具で強化してもまだ腕が疲れる。開いていたはずの距離が少しずつ近づいてくる。このままじゃ、捕まるのは時間の問題だ。
――帰らなきゃ。
「困ったな」でも、「痛いのはイヤだな」でもなく、最初に頭に浮かんだのは、なぜかそんな言葉だった。
――アイツのところに、帰らなきゃ。
「ざけんな!」
段ボールを小脇に抱え、アタッシュケースを片手に握って振り返る。遠心力で思いきりブン回して牽制。さすがに当たりはしない。追撃は諦めて走る。廊下の先は大きな窓のある行き止まり。ダメだ、どう考えても、逃げる方法がひとつしか思い浮かばない。
背負っているのは飛ぶための魔具だ。ネーヤが背負っていたはずのものが、いつの間にか回収されて修理されていた。目的は俺の知ったこっちゃない。元通りに直っているのかどうかも分からない。だが、少なくとも、飛ぶための道具ではあるはずだ。
側面の安全ロックを外して起動。魔具が動き出したことは分かる。地面を蹴った。身体が浮き上がる。迫ってくる窓ガラスを、アタッシュケースで叩き割る。
「ひぃっ!?」
足が地面につかない。腹の底にひやりとした感覚がある。喉からほとばしる悲鳴と共に、魔具はどこまでもまっすぐに俺を空へと打ち上げる。この魔具が元の設計通りなら、エイスの俺には直進以外の操作ができない。ついでにおそらく、長時間飛べば一部の機構に負担がかかって、下手をすれば爆発するだろう。そうなったら……あとは、祈るしかない。
足元を見るのが怖くて、仕方なく視線を上へ。びっくりするほど空が広い。二つの月、大きく広がる空。初めて会ったあの日のネーヤも、こんな風景を見ていたのだろうか。地上にいた俺は、どんな風に見えたのだろう。
バキッ、と背中で嫌な音がした。出力のバランスが崩れ、大きく右に旋回する。ぐんぐんと高度が下がっていく。アタッシュケースを掴んだ手が汗ばむ。眼下に俺たちの学校が見えた。
「――リツ! 荷物こっちに放ってや!」
思わぬ声にそちらを見ると、二人乗りのバイクが空を飛んでいた。まずカバンを、それから段ボールを。言われるがままに投げたそれを、運転手と後部座席のユイルが、見事なコンビネーションで受け止める。
あとは――俺自身か。ぐるぐると落下していく感覚は、小さい頃に崖から落ちたときのものとはずいぶん違った。見えない妖精の力が、俺の身体を支えてくれているのが分かる。地球では生身の身体で「飛ぶ」のと「落ちる」のはほぼ同義だが、この世界では違うのだ。あんなに魔具を触っていたのに、そんなことも知らなかった。
空に月が映る。中天の雷鳥月に向かって、無意識に伸ばした手を――
「リツ」
――しっかりと、やわらかい手が握りしめる。
聞きたいことは沢山あったけれど、正直、そんなことはもうどうでもいい気分で。
「ネーヤ!」
俺は彼女の手を握り返し、そっと引き寄せた。
* * *
疲労と恐怖でぶっ倒れた俺が目を覚ましたときには、すでに大抵のことが片付いてしまったあとだった。
「良かった……本当に良かったよ……ひとりは寂しかったよ……!」
その後二日学校を休み、ようやく復帰した俺が見たのは、なぜか感涙にむせぶウァズの姿だった。いつも俺が座っている椅子の上には、どういうわけかホッカイロが乗っている。新手の嫌がらせだろうか。
工房には、俺が捕まっていたのとは別の詰め所に属する騎士がやって来て、ネーヤが墜落した事件の真犯人――ルグイを捕らえたことを報告してくれた。もっとも、彼が一人でやったことではなく、他にも様々な話が裏で動いていたようだが、そのあたりは妙に張り切ったあの騎士さまたちがどうにかしてくれることだろう。
ロッカーを開けると、そこは何だか大変なことになっていた。カギをかけていなかったせいで、手紙どころか植木鉢だの編みぐるみだの薄っぺらい本だのが、バカみたいに押し込まれている。割れた植木鉢は、たぶん嫌がらせだと思うのだが、破片をつなぎ合わせると白墨で「早く戻ってこいよ」と書いてあることに気がついた。ふと、最近あのヒョロ眼鏡に石を投げられてないな、と思う。
アンナムンからの手紙は、ロッカーの混雑を避けて、いつの間にか俺のカバンに突っ込まれていた。『君が目立ってくれたおかげで、色々とやりやすかった』とかなんとか書いてあったので、今度ゆっくり事情を問いただしてみたいと思う。
なんであそこにいたのか、とカレラに聞けば、「利害が一致した人を見つけたから、手を組んだの」とのこと。彼女はどうやら三年前の事件に関係しているらしく、あれから少しずつ、早坂楓香さんについてネーヤと話しているようだった。
ネーヤがあの夜背負っていた魔具は、驚いたことに、俺が部屋に作りかけで放置していたワイルドファルコン四世号だった。サラクとユキちゃん、それからネーヤ曰く「スペシャルゲスト」が手を貸して、あの夜に完成させていたらしい。
いまは週末の予選会に向けて、急ピッチで調整を進めている。




