7-1 決意
目を覚ますと、消毒液の臭いがする部屋にいた。学校の医務棟でもないようだ。
「ネーヤ・イクル! 大丈夫ですか!」
フェリが泣きながら叫んでいる。ネーヤは目をぱちくりさせ、あれ、と首を傾げた。
「ここ……どこ?」
「第二病院です! こちらの方が設備がいいからと、皆様が……」
「待って……あれ? あたし、どうしちゃったんだっけ?」
「覚えていらっしゃらないんですか? 練習の途中で、墜落事故を起こされたんです……!」
涙を拭い、フェリは辛抱強くネーヤに状況を説明した。学校で事故が起きたこと。巻き込まれたネーヤが墜落して怪我をしたこと。その場にフェリがいたため、すぐに応急処置ができたこと。背負っていた魔具が身代わりになったおかげで、衝撃がずいぶん緩和できたらしいこと。魔法で治しやすい外傷が中心だったので、退院だけなら明日にもできるということ。騎士の家の者として、フェリが騎士隊から付き添いを引き継いだということ。
「それと……あの、少し、言いづらい話なんですが」
少し言いよどんでから、フェリは震える声でネーヤに告げる。
「事故を起こした主犯として……リツ・エイスが、騎士隊に捕まりました」
「……え? 待って、どういうこと?」
「もともと、彼は何らかの事情で尾行されていたようです。目の前で事件を起こしたので、その場で捕縛したと。サラク・タットも関与を疑われて、自宅待機を命じられています。あの場には、私と一緒にユイル・ハランもいたはずなのですが、なぜか彼女には、あれから連絡がつかなくて……それも心配です」
ぼんやりとした頭でフェリの言葉を聞いていたネーヤが、しばらくして発したのは、
「――じゃあ、来週の予選会は?」
という一言。
「でっ、出られるわけないでしょう! しばらくは安静にしていてください! 魔具だって壊れちゃってるんですよっ、ネーヤ・イクルは地球人だから、市販品だって合わないし! リツ・エイスがいなくなったんじゃ、もう魔具の設計を把握している人も……たとえ魔具があっても、こんな事件が起きた時点で、お二人のチームには出場権剥奪規定が適用されるのでは……」
「……そっか。そうだよねぇ……」
ため息と共に、ネーヤは腕で目元を覆う。
「あたしのせいだ。ごめん、リツ……」
* * *
嗚咽に混じって、ぐすっ、と鼻をかむ音がする。
部屋の中には少女がひとり。ベッドに腰かけ、袖で涙を拭いながら、鼻をかんだちり紙を足元のゴミ箱に落とす。この分では、すぐにゴミ箱がいっぱいになりそうだ。
ふと、少女――ユイルは窓の外を見る。朝の木々の緑のほかに、なにも映っていなかったはずの窓。そこから、かすかにノックの音が聞こえたのだ。
「……誰かおるん?」
返事の代わりに、再びノックの音。細く窓を開けたそのとき、ユイルの頭に何か軽いものが当たった。窓から投げ込まれたのだ、とすぐに気付く。てのひらに収まる程度の、小さなウサギの編みぐるみ。感触から、中に硬いものが入っているのが分かる。編みぐるみからは白い毛糸が一本、窓の外へと伸びていた。建物の外壁とよく似た色だ。
「静かに。ユイル・ハランね」
編みぐるみから小さな声が聞こえて、ユイルは目を丸くする。それからすぐに、中に入っているのが有線通信機だと気付いた。毛糸の先にある親機と通信するためのものだ。やわらかくて太い毛糸は、妖精力の伝導体として充分に機能を果たす。
その珍しい色の毛糸にも声にも、ユイルは覚えがあった。教室でこの毛糸を編んでいるところを、何度見たことか。
「ユイルでええよ、カレラ・ヴァージェ……なんで、こんなところにおるん?」
「お言葉ね。あなたもここに連れて来られたんだろうと踏んで、様子を見に来てあげたのよ。まったく、三年前と何も変わってないんだから、笑っちゃうわ」
ユイルは窓を大きく開ける。白く細い格子が外から取り付けられていて、身体は出せそうにない。だが、その格子の向こう、ほんの数メートルの位置に生える太い木の枝に、カレラが足を組んで腰かけているのが見えた。驚いたことに、ハイヒールにブランドものの鞄を持った、いつもの登校と変わらない姿で。
「し……心配して来たんやったら、残念やったな。うちは別に、戻るつもりはあれへんよっ。みんなに聞かれたら、ゴメンな、って伝えてくれたらええわ」
「日本に行くの? あなた、絵の勉強をしたいと言っていたわね。ビザさえ手に入れば、第三課程を卒業する必要はないんでしょう」
「なっ、なんでそれを……」
「私も昔、そうしたからよ。全てを黙っている代わりに、願いを叶えてもらったの。私はたまたまはち合わせてしまったのだけど、あなたの資称はハランだもの、人より色々なものが見えるでしょうね。犯人の姿だとか、事件の真相だとか」
「しゃあないやん、あんな目の前で堂々とやられたら、イヤでもバッチリ見てまうわ。うちはただ、リツとネーヤの逢瀬が見たいだけやってんけどなぁ」
ぐずっ、と鼻水をすすり上げ、ユイルは目をこする。いくら繰り返しても、滲んだ涙でカレラの表情は見えない。
「リツ・エイスは、気の毒だったと思うけれど……私はちゃんと、何度も警告したのよ? 次に狙われるのは、あの二人だと思っていたから」
「ひょっとして……ネーヤとリツへの嫌がらせの手紙は、アンタがやっとったんか」
「ええ。私以外にも、熱心なファンやアンチが手紙を入れていたみたいだけど」
「素直に話したら良かったやん。こういう事情があるんで、手を引いて欲しいって」
「それはできないわ。何も言わない、もう関わらないって約束したんだもの。あれが私にできる精一杯よ。最後は直接言ってもみたけど、どうにも上手くいかなくて。あの子たちはきっと不幸になると分かってるのに、私はどうすれば良かったのか……」
「律儀な人やなぁ」
「約束を破るのが怖いのよ。だって、あなた、ここがどこだか理解してる?」
編みぐるみからこぼれたその声は、わずかに震えていた。
「騎士隊の北詰め所よ。困ったときに助けを求めるべき騎士さまのもとに、あなたはこうやって閉じ込められているってわけ」
「分かっとるよ、うちに話をしてくれた騎士サマ、知り合い……っちゅうか、ネーヤの婚約者さんやし。だからこそビザの便宜も図れるし、学校や仕事のほうも上手いこと処理してくれるんやろ。……逆に、ひとつ聞かせてんか。何があったか知らんけど、なんでこの町に戻って来たん? 旦那の仕事の都合かいな?」
「いいえ、ただ、心残りがあっただけ。……言っておくけど、あなた、これからものすごく後悔するわよ。大切な友達を裏切って夢を叶えたって、結局すごく苦しくて、自分がイヤになる。そう思うから、あなたも泣いていたんじゃないの?」
ユイルは愛おしむように編みぐるみを撫で、「あんた、ええ人やな」と呟いた。
「うちはな……せっかくオイシいスクープを録音できたのに、コレみんなに自慢して回れんと思ったら、なんや、めっちゃ悔しぃなって、泣けてきてん……」
「……はぁ?」
冷ややかな声。心なしか、編みぐるみのウサギの顔のガラが悪くなったような気がする。
「い、いや、ウァズの店で地球のICレコーダーっちゅーの買うてんけど、これがめっちゃ便利でな、もうハラン要らずやでコレ。感動してずっと色々録音しとるんやけど、もう、ココ来てからの脅迫と恫喝だけでスゴいことになっとって……あ、この会話も録音バッチリやで」
「なっ……」
しばしの沈黙のあと、カレラはおもむろにハイヒールを脱ぎ、木の枝の上に仁王立ちする。
「もう、いいわ。あなたが嫌がってないのなら何もしないつもりだったけど、そんな武器があるなら話は別よ……あンのグジェルヴァム、今度こそカルスンぶっ潰してフェリパにしてくれる! そこで待ってな、データは死守するんだよ!」
ひどい罵詈雑言だった。ああ、リツに送ってた下ネタ系の脅迫状は、あれでもだいぶ抑えた内容やったんやな……とユイルはしみじみ思う。相変わらず視界は涙でぼやけていたが、カレラがそれはそれは楽しそうに笑っていたことだけは、なぜか不思議とはっきり分かった。
* * *
目を覚まして、自分がうつぶせに寝ていたことに気付いた。下は硬い床だ。両手を背中のほうに回され、手錠をかけられているらしい。
――あれ? なんで俺、こんなところにいるんだっけ?
首を巡らせようとして、全身の痛みに思わず呻く。妙な姿勢で硬いところに転がっていたせいだろう。
「どこだ、ここ……」
三畳ほどのがらんとした部屋だ。窓は小さなものがひとつあり、そこに太い鉄格子がはまっている。日の光が差し込んでいるから、いつの間にか夜が明けていたわけだ。今は何時ごろだろう。反対側の壁には鉄のドアがひとつ。にじり寄ってみたが、やはりカギがかかっている。
確か、ネーヤが事故に遭って、なぜか俺が逮捕されたんだ。……と考えてみても、さっぱり意味が分からない。なんだそりゃ。尋問らしいものはされたが、連中はまったく俺の話を聞くつもりはなさそうだった。最終的にはなんだか相手を怒らせてしまったようで、一発殴られて気絶したことは覚えている。
困ったなぁ、と思いながら壁に寄りかかり、殺風景な灰色の空間を見つめる。たぶん、アンナムンに捕まっていたら、きっとこんな気分だったんじゃないだろうか。夜逃げをしてきて、初めて伯父の家に部屋を与えられたときも、同じような気分だった気がする。どうにでもなれ、という投げやりな気持ち。ヤケクソともまた違う、もっと熱量の低い感情だ。何かのスイッチが切れてしまったようで、どうにかしなきゃ、という気持ちさえ湧いてこない。
服はシンプルなものに着替えさせられているし、手首の魔具も取り上げられているが、足首のものはそのままだ。まあ、これは俺にさえ外す手段がなく、やたら頑丈で壊すことさえ難しい、という呪いのアイテムなので仕方ない。たぶん、一番簡単な外し方は、俺の足のほうを切断することだ。
どれくらい時間が経っただろう。扉が開いて、長身の男が入って来た。ルグイ・リグだ。ネーヤの婚約者、一歩手前の男。今日は騎士隊としての制服を着ている。
「おはよう、リツ・エイス。気分はどうだい」
「とりあえず、腹が減ったっすね」
「そうか。元気そうで何よりだ」
手には、バットを少し短くしたような金属製の棒を持っている。先端で頭を小突かれた。
「そんなことより、ネーヤは無事なんすか?」
「いきなりそれか。もちろんだよ、手厚く治療をしたからね。彼女をあんな目に遭わせた君には、殺人未遂の犯人として相応の裁きがあるだろう」
「……やったのは俺じゃねえっす」
無事なのか。それなら良かった。これで、心残りのうちの一つが解消できたわけだ。
「そんなことはどうでもいいさ。僕としては、君をこの町から排除できれば充分だ。日本で育った君が、いったい何を思って彼らの手駒になっていたのかは知りたいけれど」
彼ら、というのはアンナムンだろうか。別に、手駒になったというほどの働きをした記憶はないが。
「アンタが思ってるほどのポリシーはねえっすよ。親に売られた、って言ったら納得してもらえるっすかね。つーか、アンタまさか、俺ごときを潰すためだけにネーヤにケガをさせたんすか? あれだけ仲良くしてる婚約者を?」
「君が悪いんだよ。最近の彼女は、君にばかり懐いていて面白くないんだ。ちゃんと君の母親のことも説明して、近づかないようにネーヤに言ったんだけどね……君と出会ってから、彼女は僕に逆らってばかりだ。あれじゃいけない。彼女もフーカのようになってしまう。あんなネーヤはいらないんだ。《レース》なんて辞めさせないと」
熱に浮かされたような勢いで喋りながら、ルグイが金属棒を振り上げた。思わず頭を引っ込めると、「避けるな!」と理不尽なことを言われた。無理だろ、おい。
「そもそも、日本人が僕たちの領域に入ってくるのが間違いなんだ。あの世界は僕らに与えられた恵みの畑であっても、決してその逆じゃあない」
「開戦派、ってヤツっすか、アンタは……」
「彼らは幾らか話の分かる連中だが、一緒にはしないで欲しいね。あの世界に攻め込むのは下策だよ。僕らの優位性が崩れてしまう」
「優位性……?」
さすがに拘束された状態では逃げ切れず、腹に蹴りを入れられる。じりじりと壁際に追い詰められていく。
「そうさ。民衆を導いていくのは僕たちリグでなくちゃ。西部州はそれで正しく回っている。竜を退治する騎士がいるから人々は生きていける。戦いとは、いや国とは、優れた人種、すなわちリグの手にあるべきものだ」
なるほど、地球じゃ魔法が使えないから、資称に関わらず皆が平等になってしまうというわけか。くっだらねえ。
「神は資称として人々に役割を与えたのだ。誰が使っても平等に戦える武器など、この世界の枠組みを破壊する、神を愚弄するものだ。あんな世界の存在が、武の象徴たる《レース》に入ってはいけないんだ」
だんだん、聞くだけバカバカしくなってきた。要するに、自分の既得権益だけは守ろうということじゃないか。ダブルスタンダードもいいところだ。つーか、その棒っ切れは誰にでも平等な武器とやらじゃないんすかね。さっきからちょいちょい当たってマジ痛いんすけど。
「それなのにネーヤときたら! これだけ僕が環境を整えてやったのに、まだ《レース》をしたいだなんて! 君はもういない、魔具だってもう壊れた、なのにどうして、彼女は諦めてくれないんだ! どうして君に会わせろとうるさいんだっ!」
金属棒が側頭部にぶち当たり、受け身もとれずに床に倒れる。起き上がる隙も与えられず、子供が地団駄を踏むような動きで踏みつけられる。
痛い、のだが、そんなことよりも、ルグイの言葉が頭の中を占めている。
――そっか。アイツ、諦めてないんだな。
そう思ったら笑みが浮かんできて、「何を笑っているんだ!」とまたボコられた。
ダメだな、俺は。彼女はまだ、俺のことだって信じてくれている。だったら俺も、まだ諦めるべきじゃない。せめて、アレを完成させるところまでは。
呻き声を上げて気絶したフリをしながら、俺はこの後の算段を考えていた。どうやら、手遅れになる前にスイッチが入ってくれたらしい。




