6-1 秘密
『……マジかよ』
それが、ネーヤから荷物を受け取った俺の、正直な感想だった。
今いるのは、いつも練習に使っている屋上だ。この時間、近くに人はいないはずである。借りていた魔具と買って来てもらった荷物を交換した俺は、ネーヤから秋葉原での出来事を聞いていた。三島の言葉をそのまま伝えようとしたせいか、彼女にしては珍しく、延々と日本語で説明してくれている。
しかし……百歩譲って、そこに三島がいたことは理解できる。だが、俺のメモを見ただけで察しがつくってどういうことなんだ。俺、あいつの字なんて覚えてないぞ?
紙袋を開けると、何やら薄っぺらくてデカい箱が入っている。開けてみると、大型のソーラーバッテリーだった。これ、けっこう高いんじゃなかろうか。買ったパーツの詳細をプリントアウトしたコピー用紙の裏には、『強く生きてください』と投げやりなメッセージ。
『あ、学校に置きっぱなしだった教科書やジャージは、三島くんが預かってるって』
『捨てときゃいいのに、そんなもん……』
俺と仲が良かったからと押し付けられたんだろうか。それは悪いことをした。
『にしても、重かっただろ。悪かったな、あのアホのせいで』
『別にいいよ、りっちゃんの昔の話もいろいろ聞けたし』
『んなっ!?』
『リツがなんで飛べないのかも、よく分かったし』
にやりとネーヤが笑い、自転車のハンドルを握るような仕草をしてみせた。さてはアイツ、全部喋りやがったな。
『あンの野郎……』
『心配してたよ。手紙くらい出してあげれば良かったのに』
『家は分かるが住所は知らん』
『聞いといてあげようか?』
俺は『いらない』と首を振る。たとえ住所を知っていたとしても、おそらく連絡はしなかっただろう。そこから俺の居場所が追っ手にバレる可能性もあるし、なにより、三島まで巻き込んでしまったら取り返しが付かない。
『ん? 聞いとくって……おい、オマエまさか、三島の連絡先とか聞いたのか?』
『聞いたけど、それが何か?』
……何だか面倒なことになった気がする。昔の話をネーヤに知られるのも、こっちでの話を三島に知られるのも、何だかイヤな感じだ。今の容姿なんか絶対に見られたくない。「相変わらずダサいな」と笑う姿が目に浮かぶようだ。
できれば、俺が生きているということさえ、三島には知られたくなかった。「死んだのかもしれない」くらいに思っていてくれれば、何をするにも気楽だったのに。一度生きていることを知らせてしまった人間に、「やっぱり行方不明になりました」だの「死んでました」だの、そんな連絡をするのは気まずいだろう。
『ところでりっちゃん』
『な、なんだよ……』
次の言葉を聞いて、俺はもっと、根本的に重大な問題を思い出した。
『なんで、日本人じゃないってウソついてたの?』
『えーと……その、三島にも聞いたかもしれないけど、ちょっと家庭の事情で、身を隠さないといけなくてですね……』
屋上の硬いデッキに正座して、俺は素直に『すいません』と頭を下げる。
『別に謝らなくてもいいんだけど、何があったの? お母さんのお仕事に関係があるとか?』
『へ? なんで母さん? いや、親父が何かやらかしたって聞いてるけど』
あ、いけね、これってカマかけられたのかな。いや待て、コイツにそんな高等なテクニックが使えるか?
一瞬、ネーヤの目に怯えるような色が見えたような気がしたが……いや、それはさすがに錯覚だろう。コイツが日本人を差別するはずもないんだし。しかし何にせよ、疑いの視線を向けられているのは分かる。どうやら怒っているわけじゃなさそうなのが幸いだ。
『あ、いや、隠してるわけじゃなくて、詳しい話は俺も知らないんだって。ホントに! 俺も親父に言われた通りやってるだけだから!』
『信じていいんだよね?』
『な、何を』
『その“家庭の事情”と、リツは関係ないんだよね? 何も危ないことはしてないんだよね? あたし、リツを信じていいんだよね?』
じっと見つめられ、思わず言葉に詰まる。懇願するような声。やっぱりコイツ、何か知ってるのか? アンナムンのことを? あるいは俺の両親のことを? ああ、くそ、こんな不意打ちじゃ頭が回らない。
『関係は、ないよ。それは、信じてもらって構わない』
ネーヤはじっと俺の目を見てくる。これはあれか? ウソついてるかどうかは目を見りゃ分かる、ってヤツか? 自慢じゃないが、俺はそんなことじゃ分からない自信があるぞ。頼むから、オマエも同類であってくれ。
夜逃げの事情が俺に関係ないことは確かだし、たぶん、危ないことはしてない……だろう。俺はただ、コイツを優勝させようとしているだけだ。うん、ウソはついてない。
「……分かった。変なこと聞いてごめんね」
「いや……こっちこそ」
ネーヤの視線が外れた瞬間、唐突にくしゃみが出た。ウワサでもされてるんだろうか。そういえば最近、どこからか視線を感じることがある。正体が誰にせよ、できれば今の会話は聞かれていなければいいのだが。
* * *
同じ校舎の最上階にある空き教室に、少女が二人、紙と鉛筆と魔具を広げて額を寄せ合っていた。片方の少女が“何か”を見ながら紙に描くスケッチを、制服を着たお下げの少女が食い入るように見つめている。
「あ、話が終わったみたいや。ネーヤが準備運動始めたわ。一旦切ろか」
絵を描く少女――ユイルが、片目を覆っていた左手を離す。彼女を中心に、上下左右におよそ十メートルの空間を覆っていた魔法を、端からゆっくりと解除していく。少しでも制御を誤れば、空中に煤が飛び散り、範囲内にいる人間に気付かれてしまうだろう。
「お忙しいところ、ありがとうございます。おかげでいい場面に遭遇できました、ユイル・ハラン。おかげで今週の報告書も楽しくなりそうです」
「協力できて嬉しいわ。うちの腕も、なかなか捨てたもんやないなぁ。それにしてもフェリ・ナナム、あんたの文才、騎士にしておくには惜しいで」
「私なんて、そんな。ユイル・ハランこそ、本当に素晴らしい腕前です。隠密性の高い魔法発動も、的確なスケッチも、たゆまぬ修練のたまものであることがよく分かります」
「せやろ? 小さい頃から、うちのオカンがよう言うててん。“海竜の魔法は、深く静かに、波を立てずに潜るもの。観察対象にバレたら台無しやで”ってな」
「まあ、それは素晴らしいご教育ですね!」
無邪気そうな絵描きの少女と、純朴そうなお下げの少女。二人の女学生はひとしきり褒め言葉をかけあったあと、じゃれつくように肩を寄せあい、『お主も悪よのう』『いえいえ、お代官さまほどでは』と、覚えたばかりの言葉をささやき交わす。広げられた紙には、男女が見つめ合う姿が何枚も、少女漫画風のイラストで描かれていた。
「にしても、アレは絶対に修羅場やで。ネーヤがリツのこと正座させとったしなぁ。めっちゃ気になるわ……日本語やなかったら、もうちょい聞き取れそうやったのになぁ」
唇と鼻の間に鉛筆を挟み、ユイルは唇をとがらせる。何とか聞き取れた範囲の会話はフェリに伝えているが、それも断片的で話がよく分からない。
「渡しとった袋は、たぶんリツがネーヤに頼んどった買い物や。“なんでオマエがアイツに会うとるんや”って言うとったから、リツの元カノにでも会うたんと違う?」
「その後の会話からすると、家庭の事情で決められた婚約者だったのでは……?」
「そう考えると、家庭の事情がどうのって話もしっくり来るなぁ。で、“ホンマに今は関係あれへん、連絡も取ってへん、信じてくれ”っちゅー話やな?」
「つまり、“いま愛しているのはあなただけです”と?」
「それや!」
あかん、めっちゃワクワクしてきたわ、とユイルが頬に手を当てる。
「こりゃあ、しばらくは厳重な監視が必要やなぁ。今月の給料も入ったトコやし、フンパツして録音用の魔具も用意しとこか!」
「まあ! 格好いいです、ユイル・ハラン! 上手く撮れたら、上映会をしましょうね!」
華やかに笑う盗撮少女たちの存在を、屋上の二人はまだ知らない。
* * *
「そう言えば、これの中身、見てくれたんだよね? 何か分かった?」
教室に戻るなり、ネーヤはぷかりと宙に浮かんだまま、コンビニのおにぎりを囓り始めた。まあ、身体を動かせば腹が減るのは道理だ。飛行効率が落ちるから太るなよ、と思いながら、俺はネーヤが指さした白い魔具を見る。
「ああ。図書館でリグの選手が使ってるヤツの設計図を見たことはあったけど、あれと比べりゃ、イクル向けにめちゃくちゃ改造してあるよ。よく出来てる。たぶん、他の資称の……いや、下手すりゃ、同じイクルの人間にも使えねえのかもな」
資称というのはあくまで、似た魔法資質を持つ人間をグルーピングしたものだ。俺でさえ父親の影響で少し標準から外れた体質らしいから、純粋な日本人のネーヤは、その辺のイクルとはいくらか違った資質を持っていてもおかしくない。おそらく早坂楓香は、自分の資質をきちんと分かっていて、その上で自分のためだけの魔具を組んだのだ。
「上手くパフォーマンスを引き出せないってこと?」
「それ以前に、たぶん飛べもしねえよ。イクルの発動速度がなきゃ、とても制御が追っつかねえ。前方に向かって絶えず加速魔法をブッ放しながら、合間に制御命令を挟んでんだろうな。オマエが最初の頃、しょっちゅう暴走してたのも納得が行った。結果論だが、あのケーブル交換は正解だったよ。コイツを動かすには何より伝達速度の安定性が必須だ。制御部分を入れ替えりゃ高速化は見込めるが、安定性を考えるとこのダサい実装が無難だな」
「ご、ごめん、何を言ってるのかよく分かんないんだけど……」
あっ、やべ、つい早口になってた。日本にいた頃のオタク趣味と同じで、分かってくると相手を無視して喋りすぎてしまうのは悪いクセだ。いかにもオタクっぽい喋りになるから、日本語を話すときは注意してたつもりなんだが。
「こいつは、普通の魔具と飛び方が違うんだ。『ハチドリ』って分かるか? すげえ高速で羽ばたいてホバリングする地球の鳥。あんな風に、すばやく沢山の魔法を発動して飛ぶ仕組みになってるんだよ。ふつう《レース》に出るヤツが使うのは、もっと大型の魔法を使って、一気に大きく飛ぶ魔具だ。天竜って言うくらいだし、ドラゴンみてえに、大きくゆっくり羽ばたくイメージだな」
「ハチドリとドラゴン……それだけ聞くと、勝ち目がなさそうな気がするね」
「まあな。でも、ハチドリの飛び方をドラゴンが真似することはできねえ。スピードが追っつかねえだろうし、なによりリグの出力で同じように魔法を使ったら燃費が悪すぎて、あっという間に空間の妖精力が枯渇しちまう。ハチドリってのも、ずーっと花の蜜吸い続けてねえと、腹が減って飛べねえらしいしな」
「ちょっと待って、妖精力が足りなくなるって、そしたら……」
「そんなもん、こっちで育ったオマエの方がよく分かってんだろ? もちろん飛べねえし、下手すりゃ別の選手まで巻き込んで墜落だ。見た限り、《レース》の選手は浮力をぜんぶ魔具に頼って確保してるからな。軽量化を考えりゃ、非常用の妖精力カートリッジだってほとんど積んでねえだろうし……」
「妖精力を奪った上で墜落させるのは、重大な反則行為だよ!」
ネーヤが叩きつけるように叫び、俺は慌てて顔を上げる。俺、なにかコイツの気に障るようなことを言ったか?
「《レース》ってのが軍事訓練なら、別に問題ねえんじゃ? 自分まで墜落しちまうとしても、周囲の魔法を潰せるんだし、けっこう有効な戦法だろ?」
「戦争のときに、敵に使うのは構わないのかもしれない。でも、それって他人の命綱を切って突き落とすってことじゃない。それじゃ《レース》じゃない、ただの殺人だよ!」
教室に声が響き渡る。そこで我に返ったらしいネーヤは、「ごめん、リツに言っても仕方ないよね、続けて」と首を振った。
「あ、ああ。……分かったことがもう一つある。配線をよく見たら、使ってねえパーツがちょいちょい混じってんだ。何でこうなってんのか、心当たりはねえか?」
「どういうこと?」
「コイツは複数の魔法を使うように回路を組んであるんだが、一見繋がってるようで、どこにも繋がってねえパーツがいるんだよ。抜いていいなら抜きてえし、意味があるなら知りてえ」
「……お姉ちゃんも、よく分かってなかったんじゃないかな。試行錯誤しながら作って、やっとできたのがソレだったんじゃない?」
「そんなもんかな……。色々分かったから、ちょっと工房の機械借りて、自分でも魔具を作ってみててさ。できればコイツの意味が知りたかったんだけど、そういうことなら仕方ねえや」
「作る? そんなことまでやってるの?」
「サラクだって自分で色々作ってるんだ、俺だってやってみたいよ。自分で考えて作ったもんが動くのは楽しいしな」
日本にいたときだってそうだった。ロボット研究部なる部活に入っていた俺は、当時からあれこれ電子工作をして遊んでいたのだ。魔具もあの時の工作に似た部分があって、作っているとホッとする。整備するだけじゃ得られない満足感だ。
「次の予選会には間に合わねえだろうけど、近いうちにちゃんと完成させてみせるよ」
「……それって、誰のための魔具?」
「あ? オマエ以外に誰がいるんだ?」
つーか、何でそんなこと聞くんだよ?
「《レース》に誘ってくれてありがとな、ネーヤ。オマエがいてくれて助かった」
そりゃまあ、《レース》がなかったらアンナムンに妙な無茶振りをされることはなかったかもしれないけど、逆にそのおかげで、問答無用で誘拐される危機から救われたのかもしれない。そういう意味でも感謝はしている。でもやっぱり、何より、こんなに楽しいものに出会えて良かった。使ってくれる人がいて、一緒に良くしていけるのは、嬉しい。
「……いやあ、何だかよく分かんないけど、ありがとね!」
にっ、と笑うネーヤは、もうさっきの激昂のことなど忘れてしまったかのようだった。
――その翌日、ロッカーに久しぶりに“ファンレター”が入っていた。
「最後通告」と書かれたその手紙を、いつもと同じように無視してしまったことを、俺は後になって少しだけ後悔することになる。




