5-2 カレラの激昂
近頃は伯父に頼み込んで、少し早めに仕事を上がらせてもらっている。なぜかユキちゃんの口添えもあって、伯父はあっさり許可を出してくれた。
そんなわけで、まだ人のいない――日によってはメリサばあちゃんや主婦であるカレラ・ヴァージェといった、ヒマを持て余していそうな連中が先に来ていたりするが――夜間部の教室に、ネーヤはいつもと同じ時間にやって来た。
俺の顔を見るなり、ネーヤはこちらに向かって文字通り“飛んで”きて、そのままの勢いで抱きつこうとしてくる。限られた時間で空中での動作に慣れるため、最近のネーヤはちょっとだけ地面から浮いていることが多い。
地面を踏んで駆け寄ってくるのとは違う勢いに、思わず腰を浮かせて直撃を避けたが、はずみでポニーテールの先が俺の額を直撃した。筆で撫でられたような感覚がむずがゆい。
その事実に気付いたのかどうかは知らないが、ネーヤは気を悪くした様子もなく振り返る。
「やったよリツ! あたし、入学して初めて補習を逃れたよっ! 先生がビックリしてた!」
「は、初めて!? 逆にすげえなオマエ!」
喜色満面のネーヤは可愛らしいが、この女のポンコツっぷりをさんざん思い知った後では、むしろコイツの高校の先生に同情したくなる。きっと大変なご苦労をされているのだろう。
「つーか、何すんだよ! いきなり男子相手に抱きついたりすんじゃねえ!」
「ええ? でもリツ、あたしに変な気とか起こさないでしょ?」
「起こすわけあるか!」
「だったらいいじゃない。リツの髪、ふわふわしてて気持ちいいんだよねー。よーしよし……あっ、ハゲ発見」
「良くねえよボケ! 勝手に撫でるな! 触るな!」
ったく、と舌打ちする。コイツ、俺のことを飼い犬かなんかと勘違いしてるんじゃないか。
『日本の高校ってのは共学だっけ? まさか、こんなことしてないだろうな』
『してないよ。そもそも、そんなに仲のいい男の子がいないからね』
『……女の子の友達は、ちゃんといるんだよな?』
『へっ? い、いるよ! それくらい! ちゃんと連絡網も回ってくるもん!』
ん? 連絡網……?
『……なあ、ちなみにオマエ、昼飯はどこで食ってるんだ?』
『教室だよ? 早弁して、昼休みはぐっすり寝るから』
『授業で“じゃあ自由に二人組作ってー”とか言われたら、組む友達はいるのか?』
『え? 別に友達じゃなくても、余ってる人と組めばいいじゃない』
『さすがに休み時間なんかは、友達と喋ったりするんだよな?』
訊ねると、ネーヤは柔らかい、けれどどこか引きつった笑顔を浮かべながら、窓のほうに向かってぐるりと身体を回転させた。器用に空中であぐらをかく。技術面では大したものだが、女子としてはどうなんだ、そのポーズ。
『い、いやさあ、日本の子の雑談って、正直なに言ってるのかよく分かんないんだよね……もちろん日本語は分かるんだけど、笑いどころとかがさっぱりで……訊いても“早坂さんには分からないかな”とか“気にしないで”とか言われるだけでさあ……そうするとなんか変な空気になるから、あんまり何度も訊けないし……』
……おい。こっちじゃ友達も多いし、社交性もありそうだから考えもしていなかったが……まさかコイツ、マジで日本に友達いないんじゃないだろうな。
『お姉さんとは、雑談くらいしたんだろ?』
『したけど……お姉ちゃんはずっとこっちの学校で育ったから、あたし以上に日本のことなんて知らないと思うよ』
ああ、そういえばそうだった。
「そ、そんなことより! 勉強教えてもらったお礼をしなきゃ。欲しいものとか、ある?」
旗色が悪くなったと感じたのか、ネーヤは無理やりに話題を変えてくる。
「ああ……それなら、ちょっとおつかいに行ってきてほしいんだが」
「またバッテリー?」
「いや。俺が言う店に行って、今から書くメモの中身を、そのまま店員に伝えてほしいんだ。金は……とりあえず、これ使ってくれ。足りなかったら後で払う」
一万ギエン硬貨を数枚渡すと、ネーヤが「こんなに!?」と目を丸くした。アンナムンに貰った金の一部だ。後から利子つけて返せとか言われなきゃいいんだが。
「わ、分かった。店ってどこにあるの?」
「秋葉原」
ネーヤにルーズリーフを一枚もらい、そこに地図と買い物メモを書き付ける。この世界にいては細かい型番が分からないので、メモはどうしても漠然とした記述になる。まあ、この店の店員なら、俺のメモからでも必要なものをちゃんと選んでくれるだろう。あの店、まだ潰れてないといいんだが。
「できれば来週中までには欲しいんだけど、頼めるか? それから今度、またオマエの魔具を借りていいかな。試してみてえことがあるんだ」
「いいけど、壊さないでよね」
「今んトコ、まだ壊したことはねえだろ。それに、俺だって日々成長してんだよ」
少なくとも、入学当初に比べれば、魔具への理解は格段に深まっているはずだ。関連する単語が頭に入ったせいか、エルトラ語の本も少しは楽に読めるようになってきた。勉強しようと思えば、図書館には入門書から専門書まで、色々な本が揃っている。
それでも分からないことは、その道のプロである親方や、工房のおっちゃん達に聞けば大抵のことは教えてもらえた。こちらは妙にスパルタな教育になることが多いので、ちょっと覚悟が必要だったが。
「第七曜日は練習に付き合ってくれる? そしたら、その時に魔具は預けるよ。買い物はこっちが休みの第一曜日に行ってこようかな。向こうだと月曜日になるんだけど、その店、定休日はある?」
「少なくとも半年前には、年中無休でやってたはずだ。バイトしかいねえ日はあるが、みんな詳しいから問題ねえだろう」
メモを渡すと、ネーヤは「了解!」とうなずいた。
それから、空中に浮いたままぴたりと正座し、神妙な顔で日本語を口にする。
『ところでリツ』
『ん?』
『どうしてこんなに一生懸命、あたしに付き合ってくれるの?』
一瞬言葉に詰まるが、まさか「オマエが勝たないと拉致されそうだから」とも言えない。そんなことを言って、もし本当に勝てなくて俺が攫われたら、コイツはどう思うことか。少しばかり後ろめたくはあるが、『乗りかかった船だからな』と肩をすくめておく。
『やると決めたら、全力を尽くす主義なんだ。今さらオマエがイヤだって言っても、夏の予選会までは付き合ってもらうぞ』
『それは構わないけど……最近のリツ、ちょっと必死すぎて怖いから、心配なんだよね』
『俺が? 別に、そんなつもりはないけど』
『ちゃんと寝てる? 最近、ぼーっとしてない?』
ネーヤが俺の額に手を当てる。今度は避けそこねた。びくりと身を強ばらせた俺を、ネーヤが不思議そうに見つめる。
『寝てるよ。いいから触るな』
最低限の睡眠は取っている、はずだ。だいたい、一日や二日徹夜したところで、状況が変わるはずもない。多少は夜更かしをしている自覚はあるが、工房でたまに俺が眠そうにしていても、学校との両立に苦労しているのだとしか思われていないようだ。サラクは元気にやっているが、そもそも俺に語学面でのハンデがあることは皆よく分かっているから、あまり彼と比較されることもない。なにしろ俺は、工房に来た頃はカタコトのエルトラ語を喋るのがせいぜいだったのだ。
『俺なんかより、自分の心配しとけよ。次の予選会は月曜ってことは、学校サボることになるだろ? ノート借りられる友達はいるんだろうな』
『えっ? あれってマンガの中だけのお約束じゃないの?』
真顔で聞き返されて頭を抱える。
『まあ、きっと大丈夫だよ。授業が分からなくなったら、また教えて。それと』
ポケットから筒状の汎用魔具を取り出したネーヤは、何やら操作をして魔法を指定。
『授業が始まったらちゃんと起こしてあげるから、しばらく寝てなよ。練習はちゃんとしてくるからさ』
そう言って、有無を言わさず俺の首筋に魔具の先端を押し当てた。
椅子から滑り落ちそうになった俺の肩を、床に着地したネーヤが支えてくれる。くそっ、と内心で思いながら、俺は眠気の甘い誘惑に逆らえず、机に突っ伏して目を閉じた。
* * *
「やっぱり眠いんじゃない」
魔具をポケットに戻しながら、ネーヤは呆れた顔でつぶやく。数ある資称の中でも、対生物魔法があまり得意ではないイクルの力では、できることは限られている。本当に元気なら、少しばかり眠気を感じる程度で済むはずだ。だが目の前のリツは、机に伏せて規則正しい寝息を立てている。
「こんにち……わわっ! す、すみません、お邪魔しましたっ」
教室のドアから顔を覗かせたフェリが、なぜか赤くなって引っ込む。
「どうしたの? 入ってきたら?」
「い、いえ! そんな無粋なことはとても……わ、私のことはお気になさらず、続けてくださいませっ」
「続けるって、何を?」
ネーヤが訊ねると、フェリは両手を頬に当て、もじもじとうつむきながら、
「で、ですから、ネーヤ・イクルが無防備に眠るリツ・エイスに、気付かれていないのをいいことに、あんなことやこんなことを……」
「しないわよ! あたしを何だと思ってるの!?」
「わ、私、お邪魔はしませんから……! そこの柱の影で見ているだけで充分ですから! 接吻でも何でも、ご自由になさればよろしいかとっ」
「なんでのぞき見るのが前提になってるの!」
「マリナ・リグにも、お二人の状況はこっそりと観察するよう言われていますので!」
えっへん、と開き直ったように胸を張るフェリ。
「……“こっそり”って、それ、あたしに言って良かったの?」
「あっ……! い、今のはナシで! 忘れてください!」
フェリは慌てた顔で手を振ってみせる。わざとやってるんじゃないのか、とネーヤは内心で思う。
――この子、本当にポンコツだわ。
リツが聞いたら「自分のことを棚に上げて、よくそんなことが言えるな!」と叫ばれそうな呟きを口の中で発する。
「だいたい、それって個人的な関係じゃなくて、練習や作戦を調査しろってことでしょう? 堂々とスパイ行為だなんて……」
警戒心をあらわにするネーヤに、フェリは首を傾げてみせる。
「あっ、いえ、そういう情報は別に要りません。どうせ次はマリナ・リグが勝ちますし……」
「は……!? あ、あたし達じゃ相手にもならないってこと!? そりゃ、この間のアレは確かにセコかったって思うけど!」
声を荒げたネーヤにも、フェリはおっとりと笑うだけだ。
「マリナ・リグはお強いので、仕方がありません。そんなことより、私たち騎士の家の者にとって、目の前で進展するラブロマンスは実に興味深く……さすが、日本の方は違うなと」
「ラブもロマンスもしてないから! 日本人なのも関係ないよね!? それに、あたしにはもう婚約者がいるし! リツとそんな関係にはならないわよ!」
それに、とネーヤは、腕を枕に伏せているリツを見る。
「コイツだって、あたしにそういう意味での興味はないでしょ」
「ええ? そんな、私の見立てではてっきり……残念です、ルグイ・リグとの三角関係を期待していたのに……」
「するなっ!」
つまらなそうな顔のフェリにネーヤが叫んだ瞬間、はっ、と鼻で笑った者がいた。
「魔具だけじゃなくて、男まであの人のお下がりだったのね、あなた」
「カレラ・ヴァージェ……?」
いつの間にか来ていたカレラは、不機嫌そうにネーヤを睨め付ける。
「あなたには、リツ・エイスすら勿体ない。フーカ・イクルの劣化コピーさん、私としては、傷が浅いうちに勝負を降りることをおすすめするわ」
「……お姉ちゃんを、知ってるの?」
「まあね。彼女に比べたら、あなたなんて能なしもいいところよ」
カレラが腕組みしながら眼を細める。
「あなたは、フーカ・イクルの代わりにはなれない。役者が違うの。頼むから、あまり出しゃばらないで」
それだけ言うと、カレラは廊下側の席につき、もう用は無いとばかりに鞄からカードを取り出す。タブレット状の魔具に差し込んで表示したのは、日本を主な題材としたビジネス誌だ。
「カレラ・ヴァージェ」
ほんの少しの沈黙を挟んで、ネーヤがためらいがちに口を開いた。
「あたしは、お姉ちゃんの代わりになるつもりはないよ。最初はそのつもりだったけど、今は違う。リツもユイルも、ウァズやメリサだって、あたしをお姉ちゃんの代わりだなんて思ってないんだ。あたしが勝ちたいって言ったから、あたしを応援してくれてるんだよ。この、ネーヤ・イクルを」
それに、とネーヤはリツの方へ視線を落とす。
「あたしにはお姉ちゃんほどの才能はないかもしれないけど、頼れる仲間がいるからね」
顔を上げずにネーヤの言葉を聞いていたカレラは、眉間に皺を寄せて黙り込んでいる。
凍るような沈黙が、そのまま数秒。
それから、カレラはやおら立ち上がり、タブレットを机に叩きつけた。バン! と派手な音が教室に響き、フェリが「きゃっ」と首を引っ込める。
荷物をそのままに、カレラはそのまま、大股で教室を出て行った。
「あ、あの、ネーヤ・イクル……」
取りなそうと口を開いたフェリだったが、ネーヤは腹を立てる様子もなく、それどころか案じるような視線をドアの向こうに向けている。
「ねえ、なんで今、あの人……泣いてたんだろ?」




