5-1 特訓
それから、相談する相手もいない俺は、しばらく考えて――
とりあえず、正面から優勝を目指すことにした。
やっぱり俺は、長いこと黙って怯えていられるような性格じゃないらしい。目の前に課題があるのなら、全力でそれに取り組まずにはいられないのが、吉村家の血筋なのだ。
「色々考えたんだが……やっぱり全面的に協力させてくれ」
そう申し出た俺を、ネーヤは「やった! リツ大好き!」と笑顔で受け入れてくれた。罪悪感で心が痛むが、仕方ない。
俺が魔具を改良して、ネーヤが修行する。
我がチームの方針をひとことで言うと、それだけの話だ。
だがいかんせん、俺にもネーヤにもスキルが足りない。早坂楓香が残した魔具は、メンテナンスの手順こそ分かるが、何を思って設計されたものなのか……いや、それ以前に、どんな機能があるのかさえ、俺にはよく分からなかった。
伯父の助言やサラクの手助けも受けながら、少しずつ魔具の何たるかを理解していく地道な作業をしばらく続けているうち、どうやらどこかでコツが掴めたらしい。苦労したのは、地球の物理法則を忘れることだった。この世界は元いた世界と見た目こそ似ているが、魔法にまつわる部分だけは、まるで違う法則に支配されて回っている。それが分かった頃から、魔具の中身は格段に理解しやすくなった。今の俺が魔具を開ければ、たぶん、先月とは違うものが見えてくるだろう。
ネーヤの修行のほうは、問題はどちらかというと練習相手の不足にあった。《レース》は対戦競技だ。となれば、他人と一緒に練習するのが一番。だが、昼間部の生徒たちが俺たちを相手にしてくれるはずもなかった。理由の何割かは、俺が前の予選会で、誰彼かまわずケンカを売りまくったせいだろう。あいつらに石を投げられるのも、だいたい俺のほうだし。まさか、後になってこんな不都合が出るとは思わなかった。ちょっと反省している。
代わりに、多少は腕に覚えがあるというサラクが付き合ってくれることもあるが、彼の資称はタットだ。得意なのは強化と破壊、という大味な体質で、カッ飛ばせばネーヤの速度を上回ることもできる。とはいえ、彼の飛行はコントロールが悪くて《レース》には向かない。ハードル走に例えれば、現れたハードルを端から薙ぎ払い、蹴飛ばしていくような走り方しかできないのだ。それでも、よく様子をうかがいに来るお下げの天使・フェリにいいところを見せたいのだろう、真面目に協力してくれるからありがたい。
ならば、夜間部の他の連中はどうかといえば……ユイルの資称は空間への感知や干渉を得意とするハラン、ウァズは安定性が強いがパワーもスピードも控えめのドロゥアで、どちらも飛ぶのが得意なほうではない。俺は死んでも飛ぶつもりはないし、飛んだところで俺のエイスというナレハじゃ練習相手にもならない。仕方ないので、直線での競り合いはサラクと練習してもらうことにして、それ以外の部分は別の方法を考えることにした。
《レース》で特に重要な要素は、単純なスピード、障害物を避けたり良いルートを取ったりするためのコントロール、競り合いを含めた他人の妨害とその対応、の三つ。コントロールについては、あまり人通りのない屋上に紐を張ったりラインを引いたりして、指示通りに通過する練習を。そして、ゲートの通過時に起きやすい他者からの妨害については、俺が手製の銃型魔具を構えてウロウロしつつ、空中のネーヤを撃ちまくる、という形で再現してみた。単純な魔法なので、俺が使っても起動から発射までのラグはほとんど発生しない。
飛んでくるネーヤを狙うのは、なかなか快感だった。野球のボールくらいの大きさで飛んでいく弾は、まっすぐ狙うと飛行魔法に巻き込まれ、あさっての方向に飛んでいく。軌道を読んで、少し先に撃つのがコツだ。俺がそんなコツを覚える頃にはネーヤも俺のクセを覚え、紙一重のところで避けていく。避けられないものは叩き落とす。もちろんその間にも速度を落とすわけにはいかないから、迎撃にかける力は最小限に。彼女の武器である展開速度を生かして、腕輪や指輪の形をした専用魔具を操り、ほとんど無意識の仕草で攻撃を処理していく。
他のチームがどういう練習をしているのか知らないが――なにしろ、通りかかると攻撃されることが多いので、あまり近寄らないようにしている――、ユイルいわく「前に見た映画でもこういう練習しとったから、たぶんこれで合っとるよ」。フェリは難しい顔で「私は皆さんのやり方に口を出すべき立場ではありませんので……」。フェリの発言が気になるものの、どうせ資称がリグの連中のやり方をそのまま真似しても参考にならないし、なにより同じことをしていたんじゃ優勝できない。俺たちは限られた時間を使って、俺たちにできることをするまでだ。
――だが、その限られた時間が、思わぬ要因で削られることもあるわけで。
「あぁ!? 俺の話ちゃんと聞いてたのかオマエは! 何をどうやったらこんな答えになるんだよ! 逆にすげえよ!」
「き、聞いてたよ? 聞いてはいたよ?」
「右から入って左に抜けてんじゃ意味ねえんだよ! 今度また補習になったらマジで承知しねえからな!」
アンナムンの招待から、すでに三週間あまりが過ぎていた。
放課後――と言っても、夜間部の授業が終わる頃にはもう地球時間で午後九時を回っているが――の教室で、俺はネーヤが広げた生物の宿題にダメ出しをしていた。日本で通っているほうの高校のやつだ。日が暮れる前の貴重な時間は《レース》の練習に費やしてしまうから、こうした勉強は自然と放課後になる。
《トンネル》のある渡界局からネーヤが住む古里市の市街地までは、夜の十一時近くまで路線バスが出ているらしい。都会なみの運行時刻に驚いたが、それだけの需要があるのだろう。そのバスに間に合うのなら、遅くなるのは構わないそうだ。それはそれで、コイツの家庭環境がちょっと心配ではあるが。
「まあまあ、二人とも。少し休憩でも取ったらどうかしら」
メリサばあちゃんが、手作りクッキーの詰まったカゴを差し出してくれる。
「あざーっす! いただきます!」
「あ! ウチも貰ってええかな?」
「オレも! オレもいいっすか! すげー美味そう!」
「ええ、もちろんよ。好きなだけどうぞ」
一緒にクッキーをつまむユイルとウァズ。二人が居残っている原因は、ネーヤが持ってきてロッカーに貯蔵している日本のマンガだ。バトルの多い少年マンガなら、辞書がなくても大体分かるらしい。もうひとつ人気なのは、エルトラを舞台にしたマンガ。現代という設定のくせに中世ヨーロッパみたいな生活をしていたり、ドラゴンを自由に従えていたりと、たいてい微妙に何かがおかしくて笑える。日本で例えるなら、第二次大戦中の軍艦にちょんまげを結ったサムライが乗っていたり、オフィス街にやたら提灯がぶら下がってたりという感じの、何とも微妙なおかしさだ。
余談だが、ネーヤがマンガを溜め込むようになってから、ファンレターはともかく、脅迫状はもっぱら俺のロッカーのほうに放り込まれている。いや、気にしちゃいないんだが、さすがに開けた途端に中身が爆発したときは本気でビビった。一緒に入ってた手紙が焼け焦げてて読めなかったので、せっかくのテロなのに目的を知ることができなかったのが残念だ。他に手のこんだものとしては、俺とネーヤを模した編みぐるみにハリネズミのごとくマチ針が突き刺さっていたことがあった。これはあまりに出来が良かったので、針を抜いて部屋に飾らせていただいている。手紙がついて来なかったので、呪いなのか、それとも愛情をこめすぎたプレゼントなのか未だに分からないが、きっと贈り主は悪い人ではないと思う。
「あなたがたも、良かったらどうかしら」
「いいんですか?」
今日は珍しくサラクと、ついでに昼間部のフェリ・ナナムがいた。何でも、報告書を作っていたら夢中になってしまい、気がついたらこんな時間になっていたのだとか。何の報告書だか知らないが、熱心なことだ。
「こんな遅くまで、皆さん頑張っていらっしゃるんですね……」
「そちらこそ、こんな時間まで残っていては、ご家族が心配されるんじゃないか」
「あっ、だ、大丈夫です。家人には連絡していますし、先ほども電話をして、迎えを呼びましたから」
電波を使う地球の電話は使えないが、魔具を使った電話はこちらでも普及している。きちんと通信したければ有線で。空中でなければ無線での通信もできるが、情報の損耗が激しいので用途は限られる……と、一昨日読んだ本で学んだ。ためしに通信装置を自作してみたが、確かに音質や画質は大昔の白黒テレビかってレベルだった。
「それなら良かった。家はどちらに?」
サラクがさり気ない風を装って、フェリから色々と聞き出そうとしている。警戒心が薄いのか何も考えていないのか、おさげの少女は素直に、「東地区の、丘の上のほうです」と答えた。騎士様が多くお住まいになってるあたりか。アンナムンに呼ばれたあの建物からも近い、高級住宅街と言って差し支えない地区だ。
「そちらにご家族で?」
「あっ、いえ、今は親族の者と……。きっといろいろ勉強になるからと、こちらへ留学に出されているんです。寂しくは思いますが、父や兄たちには守るべき土地がありますので、こちらには来ることができませんし……」
言いながら、フェリは左手の中指にある指輪に触れる。無意識の仕草だったのだろう、サラクの視線に気付き、ハッと手を離した。
「こ、これは母に貰ったものなんです。きっと役に立つから、肌身離さず持っているようにと……いい年をして、恥ずかしいですよね……」
「とんでもない。ご家族を大事にするのは素晴らしいことだ」
放課後に来たのは初めてだと思うが、フェリはちょくちょく夜間部の教室に顔を出しては、俺たちに話しかけてくる。サラクが諸手を挙げて歓迎しているせいだろうか。俺ならウザくて足が遠のくところだが、ひょっとすると、あんがい彼のことを悪く思ってはいないのかもしれない。どうやらユイルとも仲がいいようで、たまにコソコソと何かを交換しているのを見かける。一度だけちらりと見えたのは、どうやら最近の恋愛小説らしかった。女子力が高い。
「ううう……やっぱりテストなんてムリだよ……あたしに構わず先に行って……」
そんなのんびりした雰囲気の中、ネーヤは今にも死にそうな顔で机に突っ伏している。
「うるせえ! ウザい顔してびーびー言うな!」
俺だって好きでこんなことをやってるわけじゃない。だが、ネーヤの貴重な練習時間を、日本での追試だの補習だので潰されたくはないのだ。次の予選会は再来週に迫っている。
「そもそも、オマエがいなきゃ話になんねえだろうがよ! 何度も言ってんだろ、俺にはオマエが必要なんだっつうの!」
叫んでしまってから、あれ、これって何だか誤解されそうな言い回しだな、どう言い換えれば……と思ったのだが、時すでに遅し。
フェリがさり気なくこちらを見る。いや、さり気なさを装っているのがバレバレの不審な動きだ。ユイルもマンガに目を落としつつ、ちらちらとこっちを見ている気がする。くそっ、いつの間にかすっかり意気投合しやがって。
「ち、違うからな!? 変な意味じゃねえからな!?」
あっ、ダメだこれ。自分で言っておいて何だが、動揺してしまったのが余計に怪しい。
「分かっています。そういうことにしておきますから」
「どういうことだよ! おいユイル! テメェもニヤニヤしてんじゃねえ!」
「うち、リツにやったらネーヤを渡してもええと思うんよ」
「渡すな! 変な意味じゃねえっつってんだろ、このスカポンタン!」
「あらあら、若い人たちは元気がいいわねえ」
メリサばあちゃんがおっとりと笑う。ちくしょう。
ため息をついたその時、ガラリと教室の扉が開いた。見れば、ネーヤの婚約者・ルグイの姿がある。
「良かった、まだいたんだね。さすがにもう帰ってしまったかと思ったよ」
この男も、最近よく放課後の教室に現れるひとりだ。ネーヤの父親が、娘の帰りの遅さをようやく心配し始めたらしく、暇な時には迎えに行くように頼んだらしい。
「ああ、ルー兄……ちょうど良かった、そろそろ帰ろうと思ってたんだ……」
いつもは元気に飛んでいくネーヤも、今日ばかりはこの調子だ。
「とにかく! 明日は絶対、補習を回避してこっちに来いよ! 待ってるかんな!」
「が、頑張る……来れなかったら、ごめん……」
呑気にバテてる場合じゃねえっつうの。ヘコんでるヒマがあったら問題の一問でも解いていけってんだ。
ユイルがネーヤの肩を抱き、こちらへ連れて来ながらコソコソと囁く。
「大丈夫やで、マンガでも言うとるやん。愛の力は無限大やって!」
「あ、愛? なんで愛が出てくるの?」
「……ちょっとフェリ・ナナム、こないなこと言うとるで、このアホ」
「困ったものですね……」
ユイルとフェリが顔を見合わせてため息をつく。
「愛で問題が解けるなら、いくらでもやって貰いてえもんだがな」
「ああ……こっちにもアホがおったわ……この調子やと取られてまうで、ホンマに」
二人は俺のほうを見て、もう一度ため息。おい、俺がいったい何をした。




