4-3 無茶振り
「っつ……」
頭が重い。こめかみを押さえながら上体を起こす。どうやらさっきの長椅子で、そのまま熟睡していたらしい。いつの間にか暖かい毛布がかけられていた。
こぼした水のペットボトルは片付けられていて、代わりに新しいものが一本。ついでに、手首につけていた腕時計状の汎用魔具が外されて、その隣に置かれていた。
壁にかかった時計を見る。いつの間にか三時間半も経っていた。気分は最悪だが、とりあえず生きている。殺すつもりがあるなら、今の間にやっていたはずだ。
ズボンの裾を引き、ショートブーツの紐を緩めて、足首の魔具を確かめる。特に取り外されたり壊されたりはしていなかったが。ブーツの紐の結び方が俺のやり方とは違うから、靴は一度脱がされているのだろう。
ずきん、と脳天を割るような頭痛がして、目の前に光がちらつく。貧血か?
「よく眠れたかな?」
頭を押さえて呻いていると、人形の顔から声がした。
「ええ、まあ……」
喋ると、唇の端がぴりっと痛んだ。歯医者に行って、口を開いたまま固定されたあとの感じに似ている。魔具を戻した手首には、うっすらと縛ったような赤い跡がついていた。
「気分はどうだい」
「最低っすよ、頭が痛え……」
「他に痛いところは?」
「いや……あっちこっち変な感じっすけど、大したことはねえっす」
「なら良かった」
水のボトルを手に取る。ひょっとして、俺が中身をぶちまけるのを承知で、後始末がしやすいように水を出してきたんだろうか。どちらにせよ、さっきの魔法が空間に作用するガス状のものなら、この水は安全だと考えていいだろう。
キャップを開けて一口飲む、それだけの仕草の間に、身体のあちこちがぎしぎしと軋むような感覚があった。水が口の中でしみる。頬の内側を切っているらしい。
「俺に、何をしたんすか?」
「ただ写真を撮らせてもらっただけさ。君の近況を気にしている人は、案外多いんだよ」
嫌なことを言ってくれる。本当に、あのクソ親父はいったい何を敵に回したんだ。
しかも、状況から想像するに、その写真って、俺を監禁してる証拠写真じゃないのか? 身体中が痛いのも、寝てる間に縛られていたせいだと考えれば納得できる。
「君が大人しくしてくれたおかげで、実にいい写真が撮れた。ご両親が見たら、きっと血相を変えて飛んできてくれるさ。宛先が分からないのが残念でならないよ」
うわあ、どんな写真なんだろ。自分の寝顔なんて見たかないが、ちょっと気になる。しかしコイツ、俺に何かしたってこと自体は、もう隠すフリさえしないのか。
「うちの両親はたぶん、それでも俺を見捨てると思うんすけどね……しっかし、そんなん撮っても、俺が普通に学校行ってたら、作り物だってバレるんじゃねえっすか?」
「心配ありがとう。だが、わざわざこんな田舎まで確認に来るほど、みな暇ではないさ」
へえ。俺の写真は、こんな田舎じゃないどこかにいらっしゃる、俺の両親じゃない誰かさんに届くわけか。両親と繋がっていそうな人間にバラ撒いたりするのかな?
「ならいいんすけど……で、なんでアンタは、そうまでして俺を庇ってくれるんすか?」
――不意に、居心地の悪い静寂が会話に割り込んでくる。
あれ? 合ってるよな?
「別に、日本語で話してもらっても構わないよ」
『言葉を間違えたつもりはありませんけど。あなたは、俺のことを庇おうとしていると思ったんですが、違いますか?』
お言葉に甘えて、日本語で答えることにする。ふたたび、微妙な沈黙。
「あの……?」
「ああ、すまない。実際にこの目で見ても、やはり驚くべきものだね、赤毛の人間が日本語を喋っている姿は」
何かを誤魔化している可能性はあるが、そうでなければ、この反応は実にエルトラ人らしいものだ。ある種の魔法に継続的に晒されて"妖精焼け"した赤い髪は、学がなく単純労働にしか従事できない人間の代名詞のようなもの、らしい。もともと赤みの少ない髪なら、焼けてもサラクのように薄く緑が混じった金茶色になるのだが、こちらは赤毛ほどバカっぽくは見えないのだとか。差別だ。
「これから、その点についての話をしようと思っていたんだ」
さっきのお手伝いさんが入ってきて、ケーキと茶を置いていく。エルトラでよく出るこの茶は、烏龍茶に似た濃い色だが甘ったるい代物だ。
ケーキを見た途端に、ぐう、と腹が鳴る。お手伝いさんがくすりと笑った。そんな顔をするとちょっと愛嬌がある。
「遠慮なく食べてくれ。なに、毒を入れるくらいなら、眠っている間に殺しておいたさ」
「……そっすね。じゃあ、遠慮なく」
食べてみると、やたら美味いケーキだった。見た目はシンプルだが、口に運ぶと複雑な味わいが口の中に広がる。四角いケーキのてっぺんにゼリーの層があり、下の方はシロップをたっぷり含んだスポンジが、果物の入ったクリームを挟みながら重ねられている。思わず無心になって平らげていると、アンナムンの失笑が聞こえた。
「……あ、すんません、がっついちまって」
「構わないよ。もう少し量があった方が良かったかな。食欲はないかと思っていたが、そうでもないようだね」
「食欲とかの問題じゃねえっす。こんなに美味かったら、そりゃ食うっすよ!」
「それは良かった。彼女のケーキは絶品だろう。それだけ美味しそうに目の前で食べてもらえれば、作った甲斐もあろうというものだね、イゼス」
「はい、ご主人様」
イゼスと呼ばれたお手伝いさんが、人形に向けて礼をする。
「え、これアンタが作ったんすか? すげーっす! その辺で売ってるのなんかとは比べものになんねえっすよ!」
ありがとうございます、とイゼスさんが俺にも軽く頭を下げた。
興奮冷めやらぬまま、俺は人形に訊ねる。
『有能な方なんですね! 俺を眠らせたのもイゼスさんですか? それとも、殴ったほうか、治したほうですかね?』
言いながらイゼスさんの表情をうかがったが、彼女は穏やかな微笑を浮かべたポーカーフェイスのままで、俺の日本語を理解したのかどうかは判断できなかった。もし分かってるとすれば、本当に優秀なお手伝いさんだ。ただのお手伝いさんとは思えないくらいに。
「そのうちの二つ、と言っておこうか。それが分かっている割に、ずいぶん素直じゃないか」
二つ、か。うーん、どれだろう。イゼスさんの資称が分かれば、ある程度見当はつくのだが。エプロンがさっきと変わっているし、どれかに手を貸したのかなとは思っていたものの、この人の立場はまだ読めない。何にせよ、やっぱりただのお手伝いさんじゃなかった。
あと、やっぱり寝てる間にボコられてたんだな、俺。ちょっと縛ったくらいじゃ、両親が血相を変えるような写真にはならないだろうとは思うし、貧血のような症状からしても出血はあった気がしていた。ひどい傷は残っていないようなので、たぶんその後で傷を塞いでくれたのだろう、と思ってさっきのカマをかけてみたのだが……うーん、熟睡してて良かった。痛いのは好きじゃないんだ。
『文句を言えるような立場ではないと思っていますので。話を戻しても構いませんか』
「聞き分けがよくて助かるよ。……確かに、君が言うとおり、私は君を守ろうとしている。理由は、まあ、大したことじゃないさ。君を監禁しているという証拠の写真があれば、ひとまずは皆、納得してくれることだろう。おそらく、ご両親が見つかるまではね」
俺は皿に残ったクリームをこそげ取りながら口を開く。
『俺の両親が捕まったら、状況は変わりますか?』
「まだ何とも言えないね。まあ、最悪の場合でも、君以外の親戚や周囲に迷惑はかからないだろうから安心なさい。もとより、君は……ああ、いや、この話は今することではないな」
おい、そこで止めるなよ、気になるじゃないか。
「まあ、それはともかくだ。君は我々にとって、君が思っているよりは重要な存在だ。それゆえにあまり自由にしておくわけにはいかないが、人をひとり捕まえておくというのは、それなりに手間がかかる作業でね」
まあ確かに、人間ひとり渡されて「こいつ捕まえておいてくれ」って言われたって困る。家の中にいてもジャマだし、別の場所に置いといたって逃げられたら困るし、飯だの何だのの世話も必要だし。
「だから普通は、そういうことに慣れている、もとい、そういうことが好きな人間に任せるわけだ。そうすれば、ただ捕まえておくよりもずっと、皆が幸せになれるからね」
その「皆」には、捕まる本人は含まれていないような気がする。
『……俺、男ですけど、それでも需要はあるんでしょうか』
冗談めかして訊ねてみる。笑い飛ばしてくれれば、と思ったのだが、残念なことにアンナムンの返事はいたって真面目だった。
「若くて頑丈なら、充分に。男の方が良いという者もいるよ。君のこれからの返答次第では、そうした知人に君を引き渡しても構わない。きっと可愛がってもらえるだろう」
それは……たとえ死ななくても、人間として大事なものを失いそうな話だ。五体満足でいられるとは思うな、という伯父の警告を思い出す。
「だが、私としては、できればそうせずに済ませたいと思っているんだ。君のことはしばらく観察させてもらったが、どうにも、人に渡してしまうのは惜しい人材に思えたものでね」
それが、俺を庇う「大したことじゃない」理由か。結局この人も、俺を何かに使おうとしていることに変わりはないということだろう。痛くない用途ならいいのだが。
『俺も、できればあなたのご期待に沿いたいです。……それで、俺は、何をすれば?』
全身のだるさをこらえながら、背筋を伸ばして訊ねる。
「予選会で優勝してくれ」
――はい?
「あ、あの、意味がよく分かんねえんすけど」
「もう少し正確に言おうか。アクナム第一総合学院における《銀翼杯》の予選会に勝ち、ネーヤ・イクルを学校の代表者にするんだ」
……聞き間違いじゃ、ないんだよな?
困惑顔でイゼスさんのほうを振り返ると、彼女は表情を変えないまま一礼し、ケーキの皿を下げて引っ込んでいった。逃がさない、とばかりにカギのかかる音。
「な、何のために?」
「私がそれを見たいからだよ。それでは不十分かい?」
「いや、でも、それって俺がどうにかできることじゃ……」
「どうにかするんだ。状況によっては、少しくらい手を貸すこともできる」
「無茶っすよ! できるわけがねえっす、いくらなんでも!」
そりゃ確かに、アンナムンからの手紙にはやたら《レース(ヴェルガ)》のことが書かれていたが、それにしたってこの要求は予想外だし――何より、まるで実現できる気がしない。
叫んだ途端にまた頭痛がぶり返す。俺は吐き気をこらえながら、横に放り出したままの毛布を引き寄せて羽織った。残っていた甘ったるい茶を飲み干す。
くそっ。難癖つけて、結局俺を助ける気なんてなかったのか? いや、わざわざ手間暇かけて準備しておいて、なんでそんなことを? 本当にその気がないなら、最初に捕まえた時点でどうにでもできたはずだ。分かんねえ。
「私は、君たちにならできると思っているよ」
「バカな……」
先日の予選会にだって、ネーヤより強い人間はいくらでもいた。おそらく手を抜いていた人間も少なくなかったはずの、あの会でさえ。そんなことは、素人の俺にだって見れば分かる。
「フーカ・イクルにもできたことだ。彼女は天性の才能の持ち主だった。妹のネーヤ・イクルにも、その才能が受け継がれていると私は思っている」
早坂楓香。マリナに彼女の話を聞いたあとも、俺はネーヤに姉のことを聞けずにいた。それとなく話を振ってみても、何となくネーヤのほうが詳しい話を避けている気配がある。
「そういや、そのネーヤの姉貴は“裏切り者”だって聞いたんすけど。何かあったんすか?」
「ネーヤ・イクルが、君にそんな話を?」
「ちょっとウワサに聞いただけっす」
「昔、あの行きすぎた才能が招いてしまった、不幸な事故があってね。それきり彼女はこの世界を去ったから、皆その時の印象が強いのだろう」
事故……か。この世界を去った、というのは文字通り、地球に戻ったということだろう。彼女は確かイギリスにいると言っていた。
「私は君にだって、べつに正々堂々と戦ってもらおうとは思っていないんだ。現に君は、最初の予選会を見事なパフォーマンスで乗り切ったじゃないか。さすがはあの二人の息子、よく肝が据わっている」
なるほど。まともに勝つ必要がないなら、確かに話は変わってくる。バレたところで、あの姉の妹なら……と納得してもらえるというわけか。
……って、
「ざけんな! 俺はともかく、そんなことしたらネーヤ・イクルはどうなる!」
「それが嫌なら、堂々と戦うといい。早坂姉妹の姉にあって妹にないものは多いが、妹にあって姉にないものといえば、まずは君の存在だよ、吉村くん」
「俺?」
「魔具いじりの腕なら、君がフーカ・イクルの素人仕事に負けるはずがない」
「何言ってんすか、俺はただの見習いっすよ。素人と何も変わんねえっす」
「日本でだって、機械いじりは得意だっただろう?」
『……どうして、それをご存知なんですか』
羽織った毛布を前でかき合わせる。
「君たち家族がいなくなったあと、君の周りの人間にも話を聞いたからね。なに、地球の『ロボット』も魔具と同じようなものさ。君は優れた技師だったと聞いている」
『俺の学校の友達に? ……勘違いですよ。俺はセンサーと内部のプログラムが専門で、駆動系はかじった程度ですし。魔具なんて何がなんだか分かりません。あれがどうして飛ぶのかも理解できていないんですから』
飛行機の原理が分からなくても飛行機には乗れるが、設計することはできない。
「分からないのなら学ぶといい。必要な環境は揃っているだろう」
「んなっ……」
「君が充分に努力し、成果を出したのなら、たとえご両親がどうなろうとも、君を助ける理由ができる。明るい場所で生きていきたいのなら、自分の価値は自分で証明するんだ。かつて、君のお母上がそうしたように」
「え?」
なんで今、母さんの話が出て来るんだ?
「契約は成立したと思っていいかな。私を頼りたいときは、この家に手紙を出すといい。金銭にしろ便宜にしろ、君が望むものは可能な範囲で提供しよう」
俺の疑問の声を無視して、アンナムンは続ける。
『……分かりました。努力します』
「うん。良い返事が聞けて嬉しいよ。それじゃあ、また会おう」
くそったれ、と心の中で悪態をつく。こんなもの、優勝したってしなくたって、ロクなことになる気がしない。どうなっちまうんだ、これから。
「歩けますか」
いつの間にか、イゼスさんが戻ってきている。
「それとも、お車をお呼びしましょうか?」
「……お願いします。できれば、空を飛ばないやつで」
そう頼んでみると、イゼスさんは俺の臆病な要求を笑いもせずに、「承知しました」と頭を下げた。
* * *
「ひっでえな、こりゃ……」
家に帰り、服を脱いでみると、あちこちに打ち身の痕が残っていた。治ってはいるが、ピンク色の痕跡が残っている傷もある。鏡を見るかぎり、顔には何の痕もないが、口の中が切れていたところを見るに、もともと無傷だったわけではあるまい。マフラーとスカーフの中間めいた謎の布を外せば、喉にも二条ばかり、赤い痕が走っている。……絞めたのか?
帰りのタクシー代は向こうが出してくれた。行き先すら告げなくても工房まで送ってもらえてしまったのが腹立たしい。俺のことなんて何でも分かってるぞ、ってアピールのつもりか。
布団の上に転がって、スマホの電源を入れる。ネーヤに借りっぱなしのバッテリーで、あと一回くらいは充電できるはずだ。予選会で撮ったムービーを再生する。二戦目のほうはあまり参考にならないので、もっぱら一戦目のほうだ。
同じ初心者と比べれば悪くない動きだが、目指すのは学校代表だ。マリナ・リグの飛びっぷりと比べれば、あまりにもドン臭い。
「……やっぱムリだろ、これ」
喉に手を当て、長いため息をつく。
予選会の結果が出るまでは大目に見てくれるのかもしれないが……さて、勝てなかったらどうしようか。ここから逃げるか、諦めて捕まるか……あるいは、その前に自殺するか。ひょっとすると、それはそれで検討に値する選択肢なのかもしれない。
さすがに何もする気が起きず、俺はスマホの電源を切って目を閉じ、逃げるように頭から布団を被った。




