Fake~蝉の声、波の音~
「我考える然れどそれは我にあらず」
でも、考える君は必ずそこにいる。
そんな夏。
・みーんみーんみんみんみんみーん。
蝉の声が聴こえる。
ざざー、ざざー、ざざー。
波の音が聞こえる。
「・・・ここはどこだ・・・?僕は・・・誰だ・・・?」
覚えているものはない。ただ水着姿で砂浜に倒れている僕をいろんな人が見ているだけだった。
・8月1日。常識で言うと夏休みらしい。
一週間前に僕はここに来た。
僕は家族と一緒に海へ行っていたらしい。
だけど家族が少し目を離したすきに僕は波にさらわれてしまったらしい。
そして気がついたら砂浜で倒れていたようだ。
記憶がないのは波にさらわれて臨死体験をしたからだと医者は言っていた。
みーんみーんみんみんみんみーん。
蝉の声がする。
この住宅は自然豊かな町にあるため蝉がうるさい。
今僕がいる部屋は僕が使っていた部屋らしい。
海から直接病院へ行った僕は自分の部屋に来れば記憶が戻るだろと思ったが何も思い出せない。
アパートの一室。
かつて物置だった部屋を開けて作った部屋。
今でも家族の箪笥や故人となった祖父の仏壇があり夕方頃に一度煙が上がり鐘が鳴る部屋。
親はとりあえず記憶が戻るまではゆっくりしていなさいと言った。
この人が本当に親かもわからない。
ただ僕はこの部屋で眠り、家族みんなで食事をしてこの部屋に戻り眠る。
家族はこの僕と言う一人称もそろそろ卒業したら?と言うがこの一人称がなぜか落ち着く。
もしかしたら他人から見たらおかしいのかもしれない。記憶が戻れば変えるかもしれないが
今の僕には記憶がないからこれが一番身にしみる。
「・・・君は僕を知っている?」机の上にいるかわいらしいぬいぐるみたちに尋ねる。
きっと知っているんだろうけど僕には思い出がない。
・8月15日。相変わらず蝉の声がする夏の日。
記憶が戻る気配はない。再び病院に行き、医者に相談した。
医者は記憶を取り戻すよりも今を生きてこれからの思い出を作っていく方がいいと言った。
確かにそうだね。過去に縛られるのがいけないとは思わないけど未来を捨てるのは悪いと思う。
それからの僕の日々は変わった。
なぜか勉学の知識はあった。
夏休みの宿題をやることにした。
どれも簡単に思えるのは今夢中になれるのがこれしかないからだろう。
4,5冊あった宿題も次の日には終わっていた。
また暇になってしまった。
僕は部屋を見渡す。
本棚には漫画がいっぱいあった。
とりあえずそれを見る。
新しく買ったのかビニールに入ったままの本もあった。
なぜかもったいない気もしたが記憶のあった前に
自分も所詮自分だから申し分ける必要もないと思って
ビニールを破って読むことにした。
・9月1日。学校は新学期。
クラスのみんなは僕を知っているけど僕は誰一人知らなかった。
みんなが僕と仲良く話す。
今の時代のブームを楽しそうに話すが僕にはあまり興味はわかなかった。
一人だけ時間が違う。
記憶をなくしただけでこうも人が変わるものだろうか。
・・・・分からないか、普通。記憶をなくす前と後の記憶が混ざらない限り。
記憶をなくす前の僕は勉強が苦手で成績もよくなかった。
漫画やゲームに夢中でよく友達と喧嘩もしていたそうだ。
今の僕は、漫画やゲームはあまり楽しくはない。
いろんな友達と仲良くしている。
勉強も最初に興味を持ったものだから
得意で成績もいい。親には褒められてしまう。
記憶をなくす前は仲の悪かったクラスメイトとも今はいい感じ。
記憶をなくす前の僕が見たら驚くだろうか、それともこれからしようとしていたのか。
・・・ううん、もう記憶記憶にこだわるのはやめよう。
記憶障害者の僕、じゃない。
健全な学生の僕、で行こう。
・10月1日。学校生活も慣れてきた。
秋のお祭りや友達と一緒に遊んだこと。
水泳のテストで合格したこと。
部屋のリフォームをしたこと。
いいことばかりじゃない。
学校に遅刻して先生に怒られたこと。
友達と喧嘩して関係が悪くなってしまったこと。
風を引いて寝込んでしまったこと。
家の前にある木に止まっていた蝉が死んでしまったこと。
夏休み最後の日にお祭りで買った金魚が死んでしまったこと。
悪いこともあった。親と喧嘩したこともあった。
あれから2カ月しかたってないのに僕はいろんな経験をした。
みんなにしてみれば何てことない今まで生きていた中での2カ月にすぎなかったかもしれない。
でも、僕にしてみれば新しいことだらけでとても充実していた。
ついつい記憶が戻らなくてもいいやと思ってしまうことや、
記憶喪失だってことを忘れてしまったときもあった。
・10月24日。夜。
夕食を食べ、お風呂に入り、明日の勉強をして消灯した僕。
初めてここに来てから丁度3カ月。
・・・初めてってのはおかしいか。僕はずっとこの家に住んでいたんだもの。
枕に頭を乗せる。最初は別の人の匂いだと思っていたこの匂いにももう慣れた。
部屋に入ってすぐにある段ボールの上に立ち並ぶフィギュアにも最初は驚いた。
けど今はどれも凛々しく感じて少しでもポーズが変わっていたりすると直す。
記憶を失ったことなんてなかったと思える時間。
それもそうか。これから長い間生きて行くんだ。
失った思い出よりもこれから続く思い出のほうが多いんだものね。
甘口しか食べれなかったらしい僕はもう中辛のカレーを食べられるんだ。
まだアルバムの数では勝てないけどこれから無限に増えて行くんだ。
囚われることなんてない。
・みーんみーんみんみんみんみーん。
蝉の声がする。
ざざー、ざざー、ざざー。
波の音が聞こえる。
これは夢?あの時の海に僕はいる。
大丈夫!?砂浜に僕を引きあげる人の声がする。
僕の記憶の、今ある新しい記憶の一番古い記憶。
「・・・・・ううっっ!」
あれ?でも、記憶にない声がする。
「…どうして・・・・、どうしてなんだ・・・!?」
記憶にはない声。ぽたぽたと落ちるのは雨ではなくたぶん、涙。
心が苦しい。これは、悪夢・・・!
「・・・苦しいよ・・・苦しいよ・・・!」
僕も苦しい・・・!心が、苦しいよ・・!
この声を聞くだけで心が苦しいよ・・・!
これは、もしかしてあの時記憶を失わなかった場合の僕の苦しみ・・?
・・・そうか、今の記憶を失った僕は記憶を失わなかった場合の僕には恨まれている・・・?
・朝。気持ち悪い汗をかいていた。
体もだるい。熱を測ったら39度だった。
今日は学校を休もうね。親が言い、僕はうなづいてもう一度眠る。
昨日見た夢があれだからね。仕方ないか。
深く眼を閉じて安らかに眠る。
・みーんみーんみんみんみんみーん。
蝉の声がする。
ざざー、ざざー、ざざー。
波の音が聞こえる。
ここは、あの時の海。また来ちゃったか。
でも、昨日と違って少し様子がおかしい。
砂浜にはだれもいない。
僕は一人で砂浜に立っていた。
水泳教室の地味な水着の僕がいるだけだった。
でも、
「・・・どうしてお前が・・・!」
海の方から声がする。
「どうしてお前がそこに立っている!?」
「どうしてって?僕は僕だから!」
「僕が僕だからだと!?なら、僕は誰だ!」
「え?」
「お前の言う僕は誰だ?本当にお前は僕、なのか?」
「・・・・それは・・・」
「・・・答えを知りたかったらここに来い。」
声に導かれるまま僕は海の中に入った。
・ここは海だった。
けれどあの日とは違って夕方だった。
僕もあの日とは違っていつも着ているお気に入りの服だった。
だけど、波打ち際には僕じゃない僕がいた。
「・・・・来たか。」
「・・・君は、僕?」
「・・・そう言われているよ。だけど、違う。」
「え?」
「・・・お前は僕だ。だけど、僕はお前じゃない。」
今の僕とは違い、がさつな服を着た僕は
夕陽を背にして僕の方をまっすぐと見ていた。
「僕は、お前じゃない!」
もう一度発せられた言葉にはひどく力が込められていた。
「・・・記憶を失う前の僕・・・?」
「・・・そうじゃない。記憶を失ったって失わなかったってお前はお前だ。」
「・・・じゃ、君は誰・・・?」
「・・・僕は・・・僕だ!」
文字だけじゃ意味はわからない。
きっとほかの人が聞けばただのくだらない夢だろう。
でも、今の僕は違かった。
心臓の鼓動が心臓が破裂しそうなほど打っていた。
気持ち悪い汗がやまない。
僕は何かをつかんでいた。
僕は、あそこにいる人を知っている。
「・・・君は、僕・・・?」
「・・・・答えはもう気づいているはずだ。」
・気がつくと夕方だった。
僕は汗だくの服を脱いでシャワーを浴びた。
パジャマからお気に入りの服に着替えた。
親はもう仕事に行ったのか家にはいなかった。
僕は家を出て自転車に乗って走って行った。
・そこは学校だった。
校門前に自転車を置いて中に入る。
中にはクラスメイトの友達がいた。
いい感じになった友達。喧嘩して関係が悪くなってしまった友達。
よく遊びに行く友達。
だけど、僕には気が付いていない。
声をかけることができなかった。
だって、彼らの後ろにはもう一人の僕がいたからだ。
「・・・あいつとはいつもケンカしていたな。」
友達の背中を見てさびしそうに言うもう一人の僕。
「・・・あいつとはよく遊んだっけな。」
床にうつむきながらつぶやくもう一人の僕。
「・・・よくテストで悪い点数とって親や先生に叱られていたな。」
教室に張ってある生徒の順位表を見るもう一人の僕。
「今頃は家族で楽しくハロウィンでもやっていただろうな・・・!」
視線に力を入れてにらむ僕。
「・・・ごめんなさい。」
「ごめんですむと思っているのか!?
僕は、喧嘩していたあいつともいつかは仲直りしたいと思っていた!
よく遊んだあいつともいつか喧嘩するだろうと思っていた!
テストで悪い点数をとって下がっていた成績もいつかはあげないとな、って思っていたんだ!」
床に落ちるは涙。
「・・・それなのに、どうして僕じゃなくてお前がそこにいるんだ・・・・!?」
「・・・・。」
「どうして、みんなからの笑顔を見せられるのが僕じゃなくてお前なんだ!」
「・・・・・ごめんなさい・・・」
「・・・どうして・・・どうして・・・!」
泣き崩れて廊下に膝まづく。
そう、僕は気付いてしまったんだ。
あの時、救出されたのは僕じゃない。
記憶を失った僕なんだ。
本当の僕は記憶を失ってなんかいなかった。
あの日波にさらわれておぼれていたのは僕だけじゃなかったんだ。
本当の僕と偶然そっくりだった記憶を失った僕が入れ替わってしまったんだ。
本当の僕は記憶を失った別人である僕が救出されているところを海から見て泣いていたんだ。
波にさらわれて3ヵ月間、ずっと刻まれた傷もいやさずにひたすら家に帰りたがっていたんだ。
波にさらわれるきっかけとなったお腹の傷。
本当の僕は海で岩場におなかをぶつけて大怪我を負ったんだ。
水泳の得意だった本当の僕は普通だったら波にのまれない。
記憶を失った僕はあの日、足をつって波にさらわれたんだ。
けがをして波にさらわれる瞬間を見た人ならけがの種類で別人だってわかったけど
それを見ていない親はわからなかったんだ。
それに、本当の僕が一番苦しくて悔しいのは
「・・どうして、僕じゃないって気づいてくれなかったんだ!!」
「・・・・ごめんなさい。」
僕にはもう、どうしようもない。
本来僕が歩んでいった生活を歩むはずだった人から奪ってしまった。
僕も、涙を流す。
そして、ある決断をした。
「・・・あの、」
僕が本当の僕に話しかける。
・朝。僕は目を覚ました。
いつも通り親に起こされて朝食を食べて学校に行く。
学校でもハロウィンだ。
あの人は・・・もういない。
「・・・僕が歩むべき道はここにはもうないよ。」
「それでいいの・・・?」
「・・・・ここから先は君が行った方がいい。」
「・・・意地っ張り。」
「・・・互いにね。」
そう言って以来あの人とはもう会っていない。
多分もう会うこともないだろう。
帰ってきたテストは赤点だった。
それでも、次のテストは100点だった。
・そしてそれからしばらく経った夏の日。
みーんみーんみんみんみんみーん。
蝉の声がする。
ざざー、ざざー、ざざー。
波の音が聞こえる。
あの砂浜で僕は僕と出会った。
「・・・久しぶりだね。」
「うん、もう会うことはないと思ってたよ。」
「・・・これでもう僕は君じゃない。」
「僕も君じゃない。別人さ。格好も変わったことだし。」
そうだ。歩んできた道は違う。
僕は僕だ。
FAKEなんかじゃない。
僕たちはたがいに背を向けてそれぞれの道に戻って行った。
2011年5月6日執筆。