その14 レスワの壷(4)
ボッヘ親方は、今やっていた仕事だけではなく、大工の技のほとんどを、いっぺんに忘
れてしまいました。
「……あれ? 僕は何でこんなところにいるのかな?」
呟いて、ボッヘさんは下を見ました。
「わーっ! たっ、高いっ! たっ、助けてくれーっ!」
「お、親方っ?」
上で急に喚き出したボッヘ親方に、トッドさんは驚いて材木を投げ出して上がって行き
ました。
「どうしたんですっ、親方っ?」
「たっ、助けて下さいっ! 僕はこんな高い所、まだ恐いですっ!」
完全に様子のおかしいボッヘ親方を、トッドさんは困惑しながらゆっくり下へと下ろし
てあげました。
「一体、何があったんですか?」
尋ねても、ボッヘ親方は真っ青な顔を「わかりません」と振るばかりです。
「僕はまだ見習いなんです。なのに、あんな高い所で仕事なんて……」
「えっ……? 何を言ってるんですか親方」
「親方? 僕がですか?」
そこで漸く、トッドさんはボッヘ親方が修行時代から後の事をすっかり忘れているのに
気が付きました。
「思い出して下さいっ! ボッヘ親方は、パッセルベルで一番の大工の棟梁なんですよっ
?」
「そんな事言われても……」
「親方〜〜っ!」
全く思い出す気配の無いボッヘ親方に、トッドさんは半分泣き顔になりました。
屋根から落っこちそうになり危ない所で踏み止まったウサギは、トッドさんの慌てぶり
を横目で笑いながら、屋根からまたぴょーん、と飛び下りました。
「さて、次は何処へ行こうかな?」
トネリコの幹の方へと走りかけ、ウサギはふと立ち止まりました。
くんくん、と上の方から匂って来る、いいにおいを嗅ぎました。
「おや、誰かがお昼の支度をしている。キャベツのシチューだ。いいにおい」
よし、これを失敬してやろう、と、ウサギは上の枝へと駆け出しました。
お昼にキャベツのシチューを作っていたのは、ネービルさんでした。
今日は大きな市場が立ったので、奥様達がまた買い物を持ってネービルさんの家へ集ま
っていました。
買い物をしてくれたお礼にと、ネービルさんは得意のキャベツのシチューを、みんなに
振る舞うために作っていたのです。
マーマおばさんが、足の悪いネービルさんを手伝って台所に立っていました。
と、誰かが戸口を叩きました。
「どなた?」ネービルさんの問いに、答えたのは長老でした。
「わしじゃよ。入ってもいいかの?」
「まあ長老。どうぞどうぞ」
マーマおばさんが戸を開けると、長老が嬉しそうな顔で入って来ました。
「市場からの帰りじゃったのだが、四丁目の側まで来たらあんまりにいい匂いがするもん
でな。ちと寄ってみたくなったんじゃ」
「まあ。長老もキャベツのシチューがお好きですか?」
「うむ。好物でな」
更に顔を嬉し気に崩した長老に、ネービルさんもマーマおばさんも笑いました。
と、その時。
台所の窓の外で何か音がしました。何でしょう、と、マーマおばさんが窓を開けました。
その途端、レスワウサギが窓に飛びつきました。
「レスワっ!」
ひゅん、とウサギが杖を振ります。杖の先から飛び出した細い真っ赤な光がマーマおば
さんに当たる寸前。
「ディオモっ!」
長老が魔法を唱えました。金色の大きな光が、赤い光を飲み込み、更に先へと走って行
きます。
「うわあああっ!」
金色の光は、もろにウサギに当たり、ウサギは窓から転がり落ちました。
それを見た長老は、いつもの居眠りばかりしている姿からは考えられない素早さで、家
の外へと飛び出しました。
「待てっ!」窓から雪の上に転がり落ちたウサギが、逃げようと枝の端まで走って行くの
を追い掛けた長老は、もう一度魔法を唱えました。
「ロープっ!」
今度は長老の手の先から、金色のロープがしゅるっ、と現れました。
真直ぐに自分に向かって来るロープを、ウサギは慌てて避けました。