その14 レスワの壷(2)
モモは恐くなってその場を離れようと後ずさりしました。
引き返そうと振り返った時、側に弟がいないのに気が付きました。
「フレイ?」きょろきょろと、辺りを見回します。でも、薄暗い通りにフレイの姿はあり
ません。
「フレイっ!」
「何大声だしてるんだい? お嬢ちゃん」
突然声を掛けられてびっくりして振り向くと、先程の店の奥からお婆さんが出て来まし
た。
お婆さんは、枯れ枝のような手に一杯持った乾物を、他の品で埋め尽くされている台の
上に更に並べます。ぎゅうぎゅうと干涸びたマンドラゴラを押しやる手には、指にも甲に
もぶつぶつと青黒いイボが出来ていました。
よく見ると、お婆さんの皺くちゃの顔も、手と同じようなイボがたくさん出来ています。
鼻は潰れて低く、毒ガマガエルそっくりです。でも、垂れた目蓋の下の赤い目は、生気
のない見かけとは逆に、ぎらぎらと陰険に光っています。
「あの……、私……」
モモはすっかり怯えて、その場に釘付けになってしまいました。お婆さんはそんなモモ
を、さも不愉快そうに睨付けました。
「ここではそんな大きな声を出しちゃいけない。『ネビル・キャラバン』にやって来るお
客は、人に知られたくない買い物をするめに来るんだ。大声を出したら、みんなびっくり
して帰ってしまう。それに第一、ここはあんたみたいなちっちゃな子供が来る場所じゃな
い。とっととお帰り」
「でも……」
「それとも、何かい? 『子猫の肝』をあたしに売ってくれるって言うのかい?」
「『子猫の肝』……?」
モモは、初めて聞く言葉に、恐る恐る聞き返しました。
お婆さんは目を細め、枯れ木が裂けたようににいっ、と口の端を釣り上げました。
「猫の妖精の子供の肝は、そりゃあ高価な薬になるのさ。生で食べれば不老不死になるし、
乾燥させて粉末にしたものは、どんな病でもたちどころに治す。まさに万能の薬。生を食
べるには生きたまま肝を引っこ抜かなきゃならない。けど、子猫でも猫の妖精は魔力が強
いから、なまなかでは出来ないけどね」
聞いた途端、モモは全身がぶるぶると震えてしまいました。
ここに居たら殺される。早く帰らなきゃ。
「わっ、私っ、きも、なんて、売らないっ!」
渾身の勇気を振り絞って叫んだ時。
お婆さんの真後ろで、クリーム色の小さな毛玉がもぞもぞと動いたのに気が付きました。
毛玉は、小さな尻尾を上にして、何か覗いています。
「フレイっ!」何時の間にか、フレイがお婆さんのテントに入り込んでいました。フレイ
は、お婆さんの後ろにある色々な壷を、次々そっと覗いて遊んでいたのです。
モモの声に気付いてお婆さんが振り返った時、フレイは丁度お婆さんの真後ろの、茶色
い壷の蓋を開けたところでした。
開けた途端、ぽんっ、という小気味良い音がして、中から何かが飛び出しました。
「あっ!」
「えっ?」
お婆さんが、酷く慌てた表情で叫びました。
フレイは、その声に驚いて蓋を取り落としました。
陶器の蓋が、固いトネリコの枝の上に落ちて、がちゃん、と割れました。
「ああっ! なんて事を……」
お婆さんがフレイに掴み掛かります。フレイが慌てて逃げようとしたその時。
目の前に黄色いウサギが現れました。
「よおっ、出してくれてありがとよっ! お礼にこれ、あげるっ!」
小さなフレイの、さらに半分程の背丈のちっちゃなウサギは、悪戯っぽく大きな赤い目
でウインクをすると、持っていた黒い杖をぱっと振りました。
「レスワっ!」
その途端、ウサギの杖から真っ赤な光が飛び出しました。光はまっすぐにフレイに当た
り、次にお婆さんの方へと向かいます。
しかし、光が当たる前に、お婆さんは呪文を唱えました。
「ディモオっ!」
お婆さんの指先から青い光が飛び、赤い光を消しました。
「ちいっ!」ウサギは光が消されたのを見ると、一目散で台を飛び越えテントから遠ざか
りました。
「待てっ!」
お婆さんも、急いでテントから飛び出します。
蹴飛ばされた台から、トカゲとマンドラゴラが転がり落ち、モモの前に散らばりました。